第80話

 わざわざ虎君が部屋から取ってきてくれたルームウェアに着替えた後、僕は大して眠くないのにベッドに横になっていた。

 それば僕が望んだことではなくて、虎君が望んだことだ。

「……ねぇ虎君、僕、いつまでこうしてなくちゃダメなの?」

 見慣れない天井を眺めることに飽きた僕は全然眠くならないって訴える。

 すると、ベッドのすぐ傍のテーブルで勉強をしていた虎君は手を止めて僕を振り返った。

「そうだな……。明日の朝まで、かな」

「えぇ? なんで?」

 しっかりと布団をかぶって横になってる僕を確認した後虎君はペンを手にしたまま少しだけ考えると、今日一日は安静にしてるよう言ってくる。

 別に体調が悪いわけではない僕はそれに当然不満の声を上げてしまう。何で寝てないとダメなの? って。

「脳震盪を起こしたんだから当たり前だろ? 本当だったら病院で検査を受けてもらいたいところなんだからな」

 虎君は体調が良くても何があるか分からないのが頭の怪我だからって言うけど、僕はその言葉が絶対嘘だって思った。だってちょっと前まで虎君の態度は普通だったから。

 それなのにどうして今こんな風に心配性を全開にしているのか?

(失敗したなぁ……。やっぱりガーゼ、取るべきじゃなかった)

 理由は簡単で、僕が迂闊にも頬っぺたのガーゼを取ってしまったから。

 痛みはなかったけど、内出血のせいで青紫色に変色した頬っぺたに、虎君の顔は真っ青になった。真っ青になって、すぐに病院に行くぞって僕の腕を引いた。

 身体には全く不調がなかったし、僕が凄く嫌がったから病院行きは免れたわけだけど、その代わりに安静にしてるようにってベッドに寝かされて、今に至るわけだ。

「だから、大袈裟だってば。脳震盪って言ってもちょっと眩暈がしただけだし、病院に行っても呆れられるだけだよ?」

「呆れられるぐらいいいよ。まもるに何もないって分かるなら、呆れられるぐらいなんてことない」

 他人が心配しすぎだと呆れようが、大袈裟だと笑おうが、安心できるなら安いもの。

 そう言い切る虎君。僕は、「そんなに心配なの?」って分かり切ってることを尋ねてしまう。虎君が返すのは、『今更そんなこと聞く?』って言いたげな顔だった。

「そんな顔しないでよ」

「! 葵こそそんな顔しないでよ」

 眉が下がってる自覚はある。

 虎君はため息を吐くとペンを置いて身体ごと僕を振り返って僕の頬っぺたに手を伸ばしてくる。

「……痛くない?」

「へ、平気……」

 心配そうに尋ねてくる虎君はやっぱり辛そうな顔をしていてみせる。不謹慎ながらもそれがやっぱり嬉しくて、僕は頬を緩ませてしまう。

(虎君ってば本当に心配性なんだからっ……!)

 強く押されない限り痛みなんて無いのに、僕の頬っぺたに触れる指は何処までも優しくてくすぐったい。

「虎君、くすぐったいよ……?」

「ああ、ごめん」

 思わず零れる笑い声に、虎君は目を細める。

 でもすぐに辛そうに顔を歪めてしまって、ベッドに突っ伏してしまった。

「虎君……?」

「無事で本当に良かった……」

 絞り出したような声。

 すぐに虎君は顔を上げて「殴られてるから『無事』とは言えないかもしれないけど……」って苦笑い。

「確かに暫く痛かったけど、でも、大丈夫だよ? 誰も傷ついてないし、『無事』で合ってるよ」

「葵以外の連中はどうでもいいよ……」

「! 虎君っ」

 僕を見つめる虎君の目は真剣そのもので、思わず『そういう言い方しないで』って注意してしまう。

 虎君はすぐに謝ってくれるけど、でも僕が怒ったから謝っただけで本心でなさそうだ。

「……ごめんな? でも俺には葵がすべてだから、本心からは謝れない」

「な、んで……」

「葵のことを身を挺して守ってくれた藤原には感謝してる。不本意だけど。……でも、そもそもの原因は藤原の日頃の行いらしいから、あいつの『無事』は喜べない」

 眉を下げる僕に、もう一度謝ってくる虎君。

 でも、僕はますます泣きそうな顔をしてしまっていた。

「そんな顔しないで……?」

「無理だよ……。たとえ慶史の日頃の行いが悪くても、あの時、あの人達が慶史を傷つけても良い理由にはならないでしょ」

「! そうだな。……葵は藤原の事が本当に大事なんだな」

 僕を見つめる虎君の眼差しは優しい。でもその奥に悲しさが見えてしまって、僕は思わず虎君の頬へと手を伸ばしていた。

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