第64話

「随分早い反応だ――――っ、うるせぇ」

 楽し気な声で電話口に話しかける斗弛弥としやさんだけど、電話に出るや否や笑い顔を歪めて携帯を耳から遠ざける。何を言ってるかまでは聞き取れないけど、携帯からは虎君の声が漏れ聞こえてて相当大きな声で話してることが分かった。

 生まれてからずっと虎君と一緒にいる僕だけど、虎君がこんな大声を出すことなんて滅多になくて、正直、初めてかもしれない。

 煩そうな斗弛弥さんは携帯を耳に当てずに大きな声で喋る虎君に「分かったから落ちつけ」って窘める。ボリューム落とさないと電話切るぞ。って。

 すると携帯から漏れ聞こえてた虎君の声は聞こえなくなって、斗弛弥さんはそれに再び携帯を耳に当てて喋り出す。

「『どういうことか』は送ってやっただろうが。っ、だから、うるせぇ。怒鳴るな」

 さっきほどじゃないけどまた携帯から漏れる声。斗弛弥さんは僕に視線を向けると、「あんまり煩いとスピーカーにするぞ」って虎君に伝える。

 でも僕はその言葉に首を傾げてしまう。

(それ。意味あるのかな……?)

 斗弛弥さんは虎君に声のボリュームを抑えて欲しいんだろうけど、その割に口から出たのは脅し文句にもならない言葉。別にスピーカーにされても困らないよね? って僕が思うのは当然だ。

 するとそんな僕から視線を外す斗弛弥さんは「ああ。まもるなら今目の前にいる」って虎君に僕の存在を伝える。そこで漸く斗弛弥さんの思惑に気づいた。

(そっか。誰がいるか分からないし、そんな状況でスピーカーにされるのは嫌だよね)

 電話をかけてきてる虎君は今斗弛弥さんの周りに誰がいるか知らない。そんな状態でスピーカー通話にされたら確かに嫌だと思うに決まってる。

 自分のうっかり具合に苦笑いを漏らしながら、斗弛弥さんの声に耳を傾ける僕。盗み聞きしてるみたいであんまりよくないって分かってるんだけど、虎君の反応が気になるから今は良識を横に置いておくことにする。

(絶対心配かけちゃったよね。既読マークがついてすぐ電話かかってきたし、どうやって言い訳しよう……)

 不用意な行動をした自分が悪いって言ったら、虎君は納得してくれるかな?

 頭で虎君に状況を問い詰められた場合を想定してこれ以上『手がかかる弟』のイメージが悪化しないように努める。

(ああでも本当、やっちゃったなぁ……。家帰るのが憂鬱になったのってこれが初めてかも……)

 僕の顔に青あざが咲いてる状態で騒がない家族は残念ながらうちの家にはいない。唯一いつも通りかもしれないって思うのは、まぁめのうぐらいかな……。

 殴られた僕よりも激高するのは姉さんと茂斗だろうし、報復するとか言い出しかねない二人を宥めるのは骨が折れるどころの騒ぎじゃない。

 必死に止めたところで本当に二人が何もしないって安心するのに数日はかかるだろうし、本当、殴られたのは僕なのに散々だ。

 でももっと憂鬱なのは、宥めなければいけない相手が姉さんと茂斗だけじゃないってところ。二人よりもずっとずっと手強い父さんと母さんの怒りを治めなけばいけないから……。

(虎君に協力してくれるよう頼んでもいいかな……)

 母さんの怒りを鎮火できても、僕じゃ怒った父さんのそれを宥めることはできない。でも虎君が助けてくれたら、大丈夫な気がする。だって虎君はとても頼りになるし、父さんからの信頼も厚いから。

「ああ。……ああ。そうだ。これから葵の荷物を取りに行きがてらゲロの片付けして、その後家に送ってやるつもりだ」

「! 忘れてた!!」

 どうやって怒り狂うみんなを宥めよう?

 そればっかり考えてた僕は斗弛弥さんの言葉に重要な事を忘れたって気づいた。

 虎君と電話で話してる斗弛弥さんは僕の声に振り返って『何が?』って顔して見せる。

 いつもなら電話が終わるのを待つところ。でも電話の相手は虎君だし僕は斗弛弥さんに詰め寄ると「片付けなくちゃっ!!」って声を荒げてしまっていた。

「『片付ける』? 何を?」

「僕が吐いた後始末ですよっ!」

 吐くだけ吐いてすっきりしたのはいいけど、その残骸がまだ廊下に残ってる。

 この学校に通ってるのは大半がお金持ちの家の子供。だから、みんな掃除が凄く苦手。でも生活力も生きる上で必要だから、学園の方針で授業が終わった後15分だけ校内を掃除することになってる。それは勿論当番制なんだけど、それでも嫌がる人は多い。

 そんなただでさえ掃除が苦手な人達が他人の吐いた物を片付けられるかどうかなんて、ちょっと考えればすぐに分かることだろう。

 僕は他の人に迷惑をかけられないって斗弛弥さんにしがみついて訴える。今すぐ片付けに行かなくちゃ! って。

 でも、そんな僕に斗弛弥さんは「落ち着け」って苦笑い。

「オイ、お姫様の相手するから切るぞ」

「! 斗弛弥さんっ!!」

 苦笑いを見せてくれた斗弛弥さんは意地悪な顔に表情を変えると虎君に僕を『お姫様』と称して茶化す。

 斗弛弥さんに『お姫様』って言われたら、きっと斗弛弥さんに好意を持ってる人は性別問わず嬉しいって思うだろう。でも、僕は確かに斗弛弥さんの事は好きだけど、そういう意味で好きなわけじゃないから、嬉しいって思えない。むしろ腹が立つ勢いだ。

 睨む僕に斗弛弥さんは大笑い。そして、この距離だから聞こえる虎君の声。でもまぁ、声だけで何て言ってるかは分からないんだけど。

 電話の向こうで何か叫んでる虎君の声は斗弛弥さんが宣言通り電話を切ったから途中で途切れる。

「っ、虎君、まだ喋ってましたよっ!」

「ああ。喋ってたな。まぁでも、どうせすぐこっちに来るだろうし、言いたいことはその時聞いてやるよ。会う機会があれば、な」

 痛みを堪えて膨れっ面を見せる僕に、斗弛弥さんは僕の手に手を重ねると氷嚢をもう一度頬に当てるよう促してくる。

 その手に抗わずに身を任せながらも目だけで不満を訴えてみる。斗弛弥さんは視線を真正面から受け取りながらも全く動じることなく笑う。

(別に怯んで欲しいわけじゃないけど、やっぱりショックだっ!)

 そりゃ僕が睨んだところで怯む人なんて殆どいないってことはちゃんと分かってる。

 でも、僕の周りには僕を甘やかしてくれる人が多くて、偶に勘違いしてしまいそうになる。僕って結構迫力あるのかも! って。

(まぁ、すぐに我に返るんだけど)

 だってみんなすっごく顔に出てるんだもん。『葵って本当に子どもっぽいな』って。

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