第40話

『だから悪かったって言ってるだろうがっ』

『何その目。謝罪の意思が全然感じられないんだけど?』

『っ、どうしろって言うんだよっ!?』

 カッとなって姉さんの胸倉をつかむ虎君。その顔は今にも殴りかかりそうな形相で、僕は『ダメだよっ!』って止めに入る。

 でも虎君も僕の声が聞こえてないみたいで、姉さんを睨んだまま。

 いくら虎君と姉さんが本当は仲良しだとしても、暴力はやっぱりダメだと思う。たとえ手加減をしても、男の人の力で女の人に手を挙げたら怪我をすることだってあるんだから。

 僕は必死に落ち着いてって虎君を宥めるけど、やっぱり全然声が届かない。まるで僕の声はおろか、姿も見えてないって感じだ。

『誠意、見せなさいよ』

 虎君に凄まれてるのに、姉さんは全然物怖じしてない。それどころか逆に虎君をジッと見据えて冷たく言い放った。たとえば土下座する、とかね。と。

『姉さん! 何言ってるの!?』

 冗談で言ってる顔じゃないってことは一目瞭然。だから僕は姉さんに食って掛かる。いくら何でもそれはないんじゃない?! って。

 虎君と姉さんに何があったのかは知らない。いつか話してくれればいいって思ってはいるけど深く追及しないのは、喧嘩しても本当は二人がお互いをちゃんと認め合ってるって分かってるから。

 だから、取っ組み合いの喧嘩をしても、姉さんが手を挙げても、虎君が姉さんに手を挙げるってことは一度もなかった。

 そして、どんなに言い合ってても、虎君を過度に挑発しても、姉さんが虎君のプライドを傷つけることも一度もなかった。

 そう。今までは。

『……断る』

『あんたに拒否権があると思ってるの?』

『土下座したところでお前、絶対許さねぇだろうが』

 だから謝りはするけど土下座はしない。

 言い切る虎君だけど、そもそも虎君が謝らなくちゃならない事なんて何もない。

 ただ僕とじゃれてただけで、どうして姉さんはこんな目くじら立てて怒るのか。

(そういえば姉さん、虎君と仲違いしてからやたらと僕と虎君が仲良くするの嫌がってる気がする)

 同じように虎君と茂斗が仲良くしてても何も言わないのに、なんでだろう?

 今まで特に気にしてなかったけど、思い返したらそんな気がする。むしろ三人で仲良く喋ってるところは何度も見たことがあるし、本当、僕と一緒の時だけ邪険にされてる。

(もしかして僕も何かしたのかな……?)

 気づかないうちに虎君と僕が姉さんを傷つけてしまったのかもしれない。そんな不安が頭を過って、それなら姉さんの態度にも合点がいった。

『姉さん、僕、姉さんの事傷つけた?』

 きっと傷つけたんだろうけど、何をしてしまったのかは分からない。だから謝るために直接姉さんに僕と虎君は何をしてしまったのか尋ねた。

 それなのに、姉さんは僕の言葉を無視し続ける。それどころか視線さえ向けてもらえない。

『姉さん……?』

『許さないわよ。当たり前でしょ』

 姉さんにこんな風に冷たい態度を取られたことがない僕は、心臓が凍り付きそうになる。

 僕の声にはっきりと『許さない』と言った姉さんは、虎君を見据えて僕の存在を無視し続ける……。

『だってあんた、私が止めなかったら何してたか分かってるの?』

『そ、れは、だから謝ってるだろうがっ』

『謝ったら必ず許してもらえるって思ってるわけじゃないわよね? そもそも謝るって行為はただの自己満足よ。本気で悪いと思ってたら謝って終わらそうなんて考えには辿り着かないわ』

 畳み掛ける姉さんに虎君は閉口。僕も正論に気づかされて自分が恥ずかしくなった。姉さんはとても傷ついてる。だから謝って許してもらおうと思ってたけど、その考え自体、姉さんを思いやってなかったって知ったから……。

 姉さんの冷たい眼差しは変わらない。虎君は黙ったままその視線を受け止めていた。

『本気で悪いって思ってるなら、いい加減諦めなさい。そしたら私も忘れるから』

『それはできない。……さっきの事は、本当に悪いと思ってる。でもだからって言ってお前の言いなりにはなれない』

『! 反省してるんでしょ?!』

『ああ、してるよ。でもそれはお前との約束を守らなかったからじゃない。一番大事な信頼を裏切りかけたからだ』

 真っすぐ姉さんを見据えて告げる虎君の声は真剣そのもので、その熱量に負けたのか今度は姉さんが言葉を詰まらせた。

 僕は『一番大事な信頼』って何だろうって虎君を見上げた。でも、なんでだろう……。虎君の顔がよく見えない。

(あれ……? なんでだろう……?)

 目が霞んでるのかな?

 視界がぼやけてるわけじゃないのに、虎君の表情が見えない。僕は目を擦ってもう一度虎君を見上げたけど、やっぱり視界は不鮮明なまま。

『っ、そんな上辺だけの言葉、信じられるわけないでしょっ!』

『! 姉さんっ!』

 姉さんの怒声。そして、振り上げられる手。虎君を打とうとしてるって、すぐわかった。

 僕はそれを止めようと二人の間に割って入った。喧嘩しないで!! って声を荒げて。

まもる!?』

 打たれる衝撃に目を瞑ってしまっていたのか、びっくりした声が耳に届く。恐る恐る瞼を持ち上げたら、驚いてる虎君と姉さんの姿が目に入った。

(よかった……。声、届いた……)

「虎くん、ねーさん……、けんか、しないで……」

 昔みたいに仲良くしてとはもう言わない。でも、二人ともお互いを大事に思ってるのにそんな風に喧嘩しないで。

 訴える僕に虎君は分かったって頷いてくれる。もう喧嘩しないから。って。

 だから安心して眠っていいよって頭を撫でてくれる虎君の手はいつも通り優しくて、僕は「やくそく、だよ……」って笑い返す。

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