27話 人形の終わり 下



「何か勘違いをされているようですが、僕は今日、世界を救いにきたのではありません。イズミ様に害をなす貴方を殺しにきたのです」


 説明すれば理解してこちらにつくだろうという枢機卿の予想に反してカイルは最初となにも変わらない言葉を静かに告げる。

 予想とは全く異なる反応に枢機卿も僅かに動揺した様子を見せる。


「馬鹿な、何故理解出来ない、お前は今まで同じように多くの者の死を許容してきた筈だ。怨嗟の声も、痛みの声、憎しみの声、怒りの声、嘆きの声もお前には全てが、世界の全ての声が聞こえた筈だ!お前もあの侍女も、みてきたはずだ!

なのになぜ、理解しようとしない!」


 理解できなかった。目の前にいるかつて優秀な人形だった青年も死んだという侍女もこれまで多くの犠牲を許容してきた者達だ。なのになぜ今になってたった1人の犠牲も許容することができないのか。聖女1人でこれまでの全ての犠牲が報われるというのになぜそれを棒に振ろうというのか。


「……貴方のいう通り、嫌だと思うくらいに怨嗟も、憎悪も、怒りも、嘆きも

この世界でずっと見てきた。イリーナも同じです。ずっと聞いてきた、世界の絶望を。僕はそれしかこの世界にはないのだと思っていました。

 ……だけど、違った。こんな世界にも誰かの笑顔を、未来の誰かの幸せを願った想いがあるんだって、イズミ様が見せてくれるんです。僕とイリーナに憎悪や嘆き、狂気以外の心をイズミ様は見せてくれる。イズミの祈りを見たみんなはとても幸せそうな表情でした。あれこそがきっと救済なのだと僕はそう思いました」


 なんだこの男は。一体なにを言っている?何故そのような表情ができる?

 目の前にいるのは人の感情を知らない人形だったはずだ、人形が何故そのような慈愛に満ちた表情で此方見る?自分の知る人形はそんな穏やかな微笑みをしない。ここに来てようやく枢機卿はカイルが既に命令を聞くだけの人形ではないということに気づいた。


 自分の操り人形だった筈の存在が自らの意思で男の念願の計画を覆そうとしている。許されない、そんな事は赦されない。


「救済だと?人形風情が世界の願いを、救済を語るでない!願いで人は救えない!願うだけでは世界は救われないのだ!

 生き残る為に他者を殺し、どこかで誰かが死んでいることを知りながら関係ないことと割り切って笑顔でその日を過ごす、それが今の人間だ!」


 あの地獄から、瘴気の与える地獄から解放されるには聖女の人柱計画は必須だ。これが為されればもういつ瘴気が発生するか怯えて暮らす日々ではなくなる。突然現れた瘴気に町を呑まれる恐怖も瘴気の中で徐々に動け無くなっていく絶望にも、もう誰もあわないですむ。

 加護の結界の術式は既に完成している。あとは聖女を人柱に術式を起動させれば世界は救われるのだ。


 だというのに、目の前の男はそれを邪魔しようというのか。

 あと少し、あと少しなのだ。

 

「この世界に住むものが瘴気の恐怖から救われる為に必要なのは決して優しさや女神のようなあやふやなものではない!今まで失われた命、それがこの聖女を使った救済計画への時間を稼いだ!

 そして今、完成間近のこの計画に聖女は必要不可欠、いいか、お前の望み通り、聖女が世界を救うのだ!」


 ある種の狂気すら感じさせる様子で自身の想いを語る枢機卿の様子を目を逸らすことなくカイルは見続け、安心したように微笑む。


「最後にあなたの想いを聞けてよかった。

 ……ですが残念ながら、聖女を人柱にする計画は僕には許容できません。

確かに僕はイズミ様に世界を救うきっかけとなっていただけることを望んでいます。しかしそれはイズミ様の犠牲によってではない。そもそも僕は世界を救うのは聖女ではないと思っています」


「世界を救うのが聖女ではないだと?」


「ええ、この世界を救うのは聖女ではありません。この世界を救うのは枢機卿、人の想いですよ」


その瞬間、枢機卿はカイルの言葉に既視感を覚えた。


—ああ、私はその言葉を聞いたことがある。だが、何故お前が、その言葉を—


 枢機卿の脳裏に嘗てこの人形と同じことを言った誰かが浮かび上がる。


(そうだ、あれは当時司祭でしかなかった自身の護衛を勤めた騎士の女だ)



 あれは確かとある村を犠牲に魔獣の殲滅を行ったときの事だった。


『人は駒じゃありませんし、数では人を理解できません。

司祭様はもう少し、人の心の影響力を学ばれたほうがいいかとおもいますよ』


『またか、何度も言うが願いや想いなんてものでは瘴気を抑えたりはできないぞ。我々に必要なのは確実により多くの人間を生かす為に何人殺すのかという数字だ。全ての人間を生かすことはできんが盤上の駒をいくつ失っていくつ残せるかで最終的に救える人数が変わってくる』


 一つの駒で救える人数は限られている、駒をいかに長く、有用に使用できるか、そして時には捨て駒とすることで駒の実力以上により長い時間を得ることができる。


『もう、困った人ですねー。

 人が人を想う力は司祭様が想う以上に強いものですよ。それこそ瘴気なんかには負けないと思います』


 冷徹に犠牲者の数を考える男にそう言って彼女は微笑んだ。

 当時から男は多くの駒を持っていたが自分にそんな生意気なことを言ってくるのは彼女だけだった。


 しかしそんな彼女も、瘴気の闇の中へと呑まれ、結局はその命を落とした。その結果を受けて男はやはりと思うしかなかった。現に人の想いとやらをどれだけ信じようとも、彼女の命は救われなかった。


 しかし今再び、枢機卿の前にあの騎士の女と同じ微笑みを浮かべる存在が現れた。同じ微笑みで自分を見つめ、同じ言葉で自分を追い詰めていく。


「貴方のそれも想いの力です。

僕は、僕達は見てきました。想いが人を動かす力を、憎しみから生まれた復讐も、未来の誰かが笑えるように自己犠牲を選ぶ者も、たくさん見てきました。

 貴方のように全ての想いが幸せな結末に届くわけでも、向かったわけでもありません。でもイズミ様の祈りは生き残った多くの者たちに届かなかった想いを、叶えることができなかった想いを見せてくれる。

生き残った者達の中には伝えられたその想いに叫んで、もがいて、それでも届かない想いに必死に食いついて行こうとしている人たちもいる」


(私の計画が想いの力だと?)


 違う、私は確かな計算でもって最終的により多くの人間を生かす道を選択しただけにすぎない。決して想いなどという幻などではない筈だ。

 だが、何故私は言葉に出せない、何故声にならない。


 枢機卿の否定も戸惑いも、何もかもを無視してカイルはゆっくりと彼に近づいていく。


「だけど、貴方の想いはそれを壊してしまう。

 貴方の想いが生きる者達の想いを勝手に壊そうとするように。僕達も貴方の想いを壊します」


 徐々に近づいてくるカイルの言葉に枢機卿は自身の道が途絶えようとしていることを悟った。


 これで終わるのか、終わってしまうのか。

 私は、まだ何も達していないというのに想いの力などそんな不明確なもので理不尽な理由で。


 そこでふと、男は気づいた。

 ああ、そういえば私がしてきたことも随分と理不尽だったのかも知れないと。


 世界で起きる全ての幸福も不幸もいつだって誰かにとって理不尽だ。

 今から私に起こるそれも目の前にいるこの青年におとずれるであろう未来も。



「……お前がどれだけ世界を救おうと、その心を震わせ想いとやらの為にその身を焦がそうとも、いずれお前は世界に、助けた聖女に消されることになるのだぞ」


 理解できない、何故目の前の彼は聖女をそうまで助けようとする?

 目の前の彼はいつか彼の最も護りたかったものにその存在を否定されることになる。それはなんとも理不尽で悲劇といえるはずだ。なぜそれを許容できる?


「僕は、僕が人でなくなった時が正直なところ怖いです。

 僕が守りたかった全てを自分の手で壊してしまうのではないかとそう考えると魔獣になってしまうことはとても怖いです。きっと、人でなくなれば僕の意識など残らないのでしょうから」


 枢機卿はカイルの言葉に違和感を感じざる負えなかった。

カイルが放った言葉は魔獣になってしまうことが怖いというより、大切なモノを壊してしまうことが怖いと言っているように聞こえたからだ。


「でも、言ってくれた人がいたんですよ。

 僕が人でなくなるその時僕を殺してくれるとそう言ってくれた人がいたんです。結局彼女は僕を殺すことなく死んでしまったけど、死ぬ間際に彼女が言うんですよ。主人をイズミ様を信じろって、僕を消してしまうことぐらいイズミ様は簡単にやってのけるって彼女にそう言われると不思議と確かにそうだとそう思えたんです。おかげで今はそんな不安はありません。僕は安心してイズミ様に消されるのを待つことができそうです。

 それに、僕が死ぬのをあちらで待ってくれている希有な女性がいますから、早く行ってあげないと」



(あぁ、そうかこの男は死を受け入れているのか)


 目の前の青年は自身に訪れる最期を理解してその理不尽な死を幸福だと両手を広げて喜んで受け入れようとしている。自身が見たという全ての想いを聖女に預けて消されようとしている。


 侍女といいこの騎士といい、自身の死すら一切厭わないその姿はいっそ狂信的とも思える。


「お前の死を待つ女性というのは、あの侍女のことか?」


「そうです。今日、貴方が殺すように指示したイリーナです。」


「なるほど、お似合いの2人というわけだ。

 氷と言われるほどに感情のない人形だった貴様が人の愛などという下らないものを覚えるとはな」


「……貴方にもきっと誰かが待っていてくれますよ」


 カイルの言葉を枢機卿は鼻で笑う。


(私にだと?私にそのような相手などいるわけが……)


 そこまで考えて枢機卿は、思い出す、そういえばそんな優しい言葉をかけられたような。あれはいつだったか、確かあの生意気な女が死ぬ前に—


『全く、何故どいつこいつも私のいうことを素直に聞かないのだ。

その癖に失敗して尻拭いででた犠牲は私のせいだ。地獄に堕ちろというのは私ではなく最初に失敗した者達にいうべきだろうが』


『司祭様の言い方は冷たくみられちゃいますからねー。

まあでも、もし司祭様が死んだら私くらいは地獄までご一緒しますよ』


『……なぜ私が地獄に行くことが確定しているのだ?』


 あの女は確かこのすぐ後に私の指示に従わない馬鹿どもに巻き込まれて死んだのだ。


(あぁ、そういえば私にもいたのかそんな物好きな女が……彼女は今でも私と地獄にくると言ってくれるだろうか)


「枢機卿、どうか安らかに」


『司祭様。お疲れ様でした』


 男の意識はそこでぷつりと張り詰めた糸が切れたように途切れた。

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