9話 騎士の誓い 後編
カイルとイズミの間に一瞬の沈黙が舞い降りる。
その沈黙の中、イズミはカイルを見つめる。彼が何を思い、どういうつもりで騎士の誓いなどという破れぬ想いを自分に預けようとしているのか。
この世界に連れてこられたその時から私が本当に信用できるのは自分だけだ。2年間ずっと信じてきた自分の判断、勘に近いものではあるが、自分はずっとこの瞳でみたものでその表裏を見極めてきた。彼が本当に信用に足るのかどうかはあの夜からもうわかっている。だが、信頼できるかどうか自分にはまだわからない。
だから確かめる、この瞳でもう一度。
イズミの疑惑のこもった、何かを見極めようとしているかのような視線をカイルは動じることなく受け止めた。
—彼女の信用を得たい—
この時、カイルの気持ちはその一点に尽きた。彼女の疑いは当然だ。彼女がこの世界で聖女をすることになった経緯は召喚の儀式によって無理矢理連れてこられたことにある。そして何より痛みによってその意思に関わらず従わせようとするその横暴さ。
彼女がこの世界の人間を信じることができるわけがない。
だが、そう確信していてもカイルはその想いを簡単に諦めることができない。
だから、言葉を紡ぐ。
彼女のその瞳をまっすぐと見つめ返して青年はその想いを伝える。
「……決して、軽はずみな思いで、誓いを立てたわけではありませんよ。
僕は僕の瞳で貴方を見て、自分の意思で貴方のあり方を、貴方の道を護りたいと、そう思ったから誓ったのです。非力な僕では貴方の広く、長いその道を完全に護り切ることはできないかもしれません。何より僕は、貴方がかつて通るはずだった道を一度は塞いだ原因の一部です。
それでも、お許し頂けるのであれば僕は女神様ではなく、貴方に、イズミ様の道を護らせて欲しいのです」
騎士にとって誓いとはその生涯においての契約であり、その契約を破ることは自分自身を侮辱し行為に他ならない。何よりその誓いは魔力によって縛られる契約魔法のようなもの、騎士の誓いを破る行為はすなわちその者の死を示す。
通常の神殿騎士は騎士となるとき女神に騎士の誓いを立てたものばかりが聖殿に入ることになる。
だが聖殿に入りながら、自分は未だ誰にも誓いを立てたことはない。
女神ではなく聖女に誓いを立てることは確かに異例ではあるが、聖女は女神の寵愛による膨大な加護を賜った存在だ。
聖教国が女神を信奉する限り、表だって誓いを立てることに異議を唱えるものなど少なくともこの国にはいない。
無論、イズミ以外が異論を唱えたところでこの誓いを覆すつもりなどカイルには毛頭ない。そんなことを考えながらふと、ズレた意識をもどすとそこには非常に既視感のある光景があった。
イズミ様のこちらを見るその瞳は潤んでいてその御顔は真っ赤に染め挙げられ、口はパクパクと開閉を繰り返し金魚のようである。
その姿をカイルはよく知っている。プロポーズだと誤解された騎士の誓いを彼女に立てた時の表情だ。
「……イズミ様、今一度申し上げさせていただきますが、これは騎士の誓いであって、決してプロポ「分かってる!分かってるよ!」で、あればよろしいのですが」
その様子に改めて説明すべきかと、再度否定の言葉を言おうとするが、今回に関してはイズミ様もわかっているようで「その先は言わないで」と理解していることを示す。
カイルからすればまた同じことになっては今度こそ罷免されかねないという危機感から来る確認であった。
「うーーーー。こんな誓い立てるなんて
この世界での結婚って他に何言われるのよー」
しかしイズミの反応はある意味当然だ。
彼女からすればこのようなことを面と向かって言われるのは結婚するとか付き合い始めるとかそういう時以外はまるで思い当たる場面がないのだ。
ちなみに彼女は生まれてこの方、そのような相手ができた経験は一度もない。
そして、彼女の為に補足しておくとカイルの言い回しはこの世界でもはっきり言ってプロポーズのようなものである。騎士の誓いとしてと本人は言い張っているが、そもそもこの世界においても女性の主人にそのような言い回しで誓いを立てる騎士などいないし、もし居たとしたらそれはそういう意味も含めて誓いを立てているのだ。
つまり、彼女の反応はこの世界でも正解であって、まったくもって間違いではない。
カイルには少女の声は小さく、よく聞こえなかったようだが、何やら非難めいたこと言われていることはわかったようだ。
(まあ、教会から目をつけられることにはなるだろうが)
表立って異議はなくとも裏の目はそうはいくまい。
聖女という存在はその実質を見れば聖教国が世界を救う為の道具である。
民衆や地方の騎士ならともかくその実態を知っている近衛騎士が教義たる女神ではなく、道具にその命を捧げるなどと宣言したともなれば、異端とは行かずとも疑問の目で見られることにはなる。
彼らからすれば道具が手足を得たかもしれない危険要素の一つなのだから。
「失礼します。 イズミ様。近衛騎士長の……カイル様、私が申し上げたご忠言は受け入れられなかったということでよろしいでしょうか?」
そうして思いの丈を語っているうちに予定の時間が経っていたようで次の予定を告げに僕を案内した侍女が扉を開けて部屋に入ってきた。
この世界の女性には珍しく髪を肩よりも上で切りそろえ、その瞳を若干隠すような長い前髪に普段は女性の身なりなど気にもしないカイルもその姿を印象深く覚えていた。
そして入ってきた侍女がイズミ様の顔見れば瞳が潤み、そのお顔は真っ赤染まっている、ともなれば侍女の勘違いも無理はない。
聖女の様子を確認するなり、人を殺せそうな眼差しを騎士たる自身に向けてくる侍女に思わず溜息が出そうになる。
(なぜそうなる、解せんぞ)
毎度のことながら間が悪いことこの上ない。
何より当のイズミ様は未だに顔を真っ赤にさせた上で瞳を潤ませて、独り言を延々と言い続けており、侍女が入ってきたことにすら気づいた様子がない。
「待ってくれ、これはイズミ様に騎士の誓いを説明した結果であって、決して其方の忠言に逆らったわけではないことをどうか理解してほしい。……そうですよね。イズミ様?」
ここで否定しなければ、肯定していることになる。
とはいえ、どう説明したところで侍女の様子を見る限りこの場を独力で切り抜けるのは非常に困難である。その判断は正しい、実際どう言い訳したところでカイルだけが否定しても目の前の侍女は信用などしない。
侍女を納得させるためにはイズミの言葉は必須だ。
そう思い、増援を期待してカイルはイズミに声をかけたのだ。
「ていうか、そもそも一緒の道ってつまり人生を共に歩むみたいな感じだよね?やっぱり、プロポーズみたいなもんなんじゃ」
が、増援など不可能であった。
ここに至ってもなお彼女は侍女の存在に気がついてすらいない。
それどころか余計な言葉を敵に与えている。
「一緒の道?プロポーズ?……今のイズミ様を御覧になって、さらに今のご発言を伺ったうえで、はいそうですか、などというとお思いなら、甚だおかしいものですね。カイル様、他にはどのような面白い言い訳を聞かせていただけるのでしょうか?」
どうやら増援を期待した相手は敵軍に通じていたようだ。
しかし、自分の位置ですらはっきりと聞き取れないほどの小言を自分よりもさらに遠い位置で聞き取るとは、どれほど耳が良いのか。
強大な敵を前に味方は戦闘不能でその上自身の退路は完全にたたれている、予想もしていなかった危機的状況に四苦八苦していると
「イリーナ、扉の前でどうした?聖女様と面会のお時間はとれ……また貴様か、カイル。今度は何をした?」
都合の良い的、もとい救世主が現れた。部屋の中で絶対零度の嵐が吹き荒れるなか、部屋の外で待っていた次の面会相手である騎士長が、あまりにも遅い対応に待ちきれず部屋の中に入ってきたのだ。
「騎士長、まるで僕が問題を起こす常習犯のように言わないで頂きたい」
部屋の中に吹き荒れる嵐を見て既視感を覚えた騎士長は前回と全く同じ状況の青年を見て犯人を特定するが、カイルにはもちろんそんな自覚はない。
「まるで、ではなく間違いなくそうであろうが。……自覚がないとはなんとも恐ろしい」
失敬な、仮にも神殿騎士の優等生として最年少で近衛に入った自分が問題子と評されるなど、騎士長の勘違いに決まっている。そうとも何しろ騎士長はあの年で未だに未婚、あの勘違い属性がそれを決定的なものとしているに違いない。
「……ほぉ、前回といい今回といいどうやら貴様は胸の内に言葉を秘めておくということが全くできぬようだな。というより、勘違いと未婚であることは全く関係なかろうが!」
心情の全てを口にしてしまっていたカイルはおっとと口を閉ざすがなんともわざとらしい限りである。無論、カイルのこの反応は言うまでもなく本来の上位者に対する対応ではない。カイルも他の上位者が相手であればこのような反応は当然しない。他人対して必要以上の警戒をするカイルからすれば、これはある意味でそれだけの信頼を騎士長に寄せているということに他ならないのだが、この場面においてそのような意図は全く通じない。
「いいえ、全くの無関係とも言い難いです。女性の機敏を察せない、あるいは別方向に捉えることは男性としてはいかがなものかと思います」
未婚であることはアルティメス騎士長にとっても非常に気にしていることであるため、勢いよく否定するがその反応にここきてカイルと敵対していたはずの侍女がまさかの援護を加え、騎士長を口撃する。
「……イリーナ、なぜカイルを援護するのだ?いや、もう良い。早く何事か報告しなさい」
思わぬところからの口撃に騎士長もその蛮族のような顔付きから苦虫を噛み潰したようの表情となって頬をひくつかせる。が、聖女との面会時間はあまり長くはない。
これ以上時間を無駄にはできないとアルティメスも思い直して、侍女に報告を求める。イリーナと名前で呼んでいることから、この侍女は騎士長からの信頼が
なかなかに高いようだ。事実部下である僕ではなく侍女に状況説明を求めている。
カイルはアルティメスが侍女へ状況説明を求めた理由が自身より侍女への信頼が高いつまり個人的に仲が良いからだと推測したがここにいるのが全く知らない侍女であったとしてもアルティメスは間違いなくカイルに状況説明を求めたりはしなかっただろう。
だが、カイルの推測も全てが間違いではない。
事実、騎士長のイリーナへの信頼は聖殿内においては1、2を争うほどとても高い。
「はい。カイル様がイズミ様にまた、妙な言い回しで迫ったようでイズミ様の御心がご旅行中です」
「非常に不愉快な誤解ですね。
僕はただ、イズミ様に騎士の誓いをご説明差し上げていただけに過ぎません。
イズミ様の御心が世界旅行に出ている原因については不明です」
状況説明を求めれたイリーナは非常に簡潔にどのような状況かを説明するが
勿論それはイリーナの主観である。
イリーナの説明にカイルは間髪入れずに誤解であることを説明する。彼女が部屋に入ってきて見たのはイズミがその心を旅立たせた後であったし、誤解の原因もイズミの無意識に出た言葉を聴いたからであって決してその経過を見たからではない。
2人の意見で一致するのはイズミの心がここでないどこか遠くに旅立っているということだけだ。そして、その様子は騎士長から見ても明らかである。
「……イリーナの勘違いであることはわかったが、全くの誤解ともいい難いな。
カイル、貴様にも問題はあるぞ。少なくとも女性の主人に対して選んだ言葉としては勘違いされても仕方あるまい。いくら誓いとはいえ、そのような発言を女性に対してするべきではない。配慮が足りんな」
2人の話を聴いたアルティメスは侍女の勘違いであると判断するも聖女の心を旅立たせた原因は間違いなくカイルにあると認める。カイルとしても自身の何がいけなかったのか判断しかねるところだったのでこの助言は非常にありがたい。
「なるほど、常に女性に対して配慮してもし足りない騎士長のお言葉なら実感がこもっていて納得できます。以後、気をつけます」
「貴様、それ以上言えば物理的に首を落とすぞ。
まずは、私への対応を改めることから進めなさい」
カイルの言葉遣いは間違いなく上位者へのものだが内容は騎士長の心を完全に串刺しである。怒りに剣をも抜きそうなところを頬を引きつかせながら抑え、女性への配慮よりも先に自身への対応を改めさせようと忠告するが
「アルティメス騎士長、短気は損気です。婚期を逃しますよ。あら、申し訳ありません、手遅れですね」
珍しくいいように言われている騎士長の様子にイリーナも面白がって追撃する。こと騎士長に関して、カイルとイリーナのコンビは実に生き生きとした様子で鋭利な言葉を発する。
「……お前達、実に良いコンビのようだ。
それほど仲が良いならば今度の旅では聖女様の専属として実に良い仕事ができそうだな」
この2人の相手をしていてはいつまで経っても話が進まない。
形勢の不利と時間を考慮してアルティメスは話を進めてしまうことにした。それもカイルとイリーナが無視できないような言葉を使って。
「今度のということは次の任務地が決まったということですか?」
「……そういうことだが何故、一番に注目するのがそこなのだ。
聖女様の専属という部分について何故言及せん?」
予想とは違うカイルの反応にアルティメスは聞き逃したのかと、思わず聞き返すが彼の反応はある意味で当然であった。
「僕はすでにイズミ様の専属のつもりでしたので」
なんと彼の中で専属の護衛となることはすでに決定事項だったようだ。
カイルの返答に思わず頭を抱えたくなるような心境でアルティメスは一杯だ。
「……専属かどうかを決めるのはこちらで個人で決めれることではないのだが、…おい、何を驚いた顔をしている、当たり前であろうが。まあ、良い。話を先に進めるぞ」
自身の言葉にそんな馬鹿なと言わんばかりの表情をしたカイルを放置してアルティメスは話を進めようとするがそこに待ったがかかる。
「お待ちください、アルティメス騎士長。そのお話はイズミ様の御心をお戻しになった後になさった方がよろしいかと思います」
そこでようやくこの話をもっとも聴かせておかなければならない相手が会話に参加していないことを思い出す。
アルティメスは改めて聖女の様子を見て、呟く。
「……どうすれば戻っていらっしゃるのだ?」
彼のその呟きにようやく部屋は静寂を取り戻したのだった。
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