第20話 システム上の万能
鉱山に到着した時間も夕方前で、部屋で少し休んでからシャワーを手早く浴びて、食堂で夕食を食べるのにちょうど良い時間だった。
カインがシャワー室の前でやる気満々で見張りをしていたのと、まだ外が明るい夕方だったこともあり、覗こうと企む不埒者は現れることなく、五日ぶりにシャワーを堪能したらしいシエルはひどく上機嫌で、騒ぎが起こることなく平穏なまま食堂に集合し、それが失策であったとヴィルフリート1人頭垂れていた。
「コレ香油ですか?貸していただいてアレですが、とてもいい香りですね。しかもお肌もつるつるでしっとりしてます」
「香油とはちょっと違うよ。シャンプーとトリートメント。体はボディソープ」
ユスティアとシエルの2人からふわりと香ってくる爽やかで甘い香りは、食堂内にいる男たちの鼻腔をくすぐる。
服装はシンプルだが、白地の前ボタンで脱ぎ着するシャツワンピースを一枚着ているだけで、どこか観光地を旅行して安全な高級宿にでも泊まっている風情だ。
シャワー室に国から供給されている石鹸はあるが、最低限汚れが落ちればいいだけで品質はあまりいいものではない。
となればこの良い香りの元もシエルが持参したものだろうが、
(何故女やもめの男しかいない鉱山の宿舎で、それを使ってわざわざ男たちを無意味に刺激する?)
とヴィルフリートは小一時間説教したくてたまらなかった。シエルの方から鉱山士たちを煽っているようにしか受け取れない。
坑道から戻ってきて食堂に集まった男たちの視線は、無警戒&無防備甚だしいシエル1点に集まり、カインまで食べようとしたスプーンが斜めに傾いて、スープが机の上に滴っていることに気付いていない。
出来ることとすれば早めに食事を終えて部屋に退散することくらいだろう。
「おい、皆早く食べて部屋に戻ってやすむぞ。明日からダンジョンなんだ」
それらしいことを言って、食事を急かせる。いつまでも食堂にいたら、いつ集まってきた鉱山士たちが理性を失うかわかったものではない。彼らは何ヶ月もの間、この山に篭って女とは無縁の生活を強いられているのだから。
不意に
『ヴィル。これ明日までに覚えておいて』
手早く食事を胃にかきこんでいたヴィルフリートに、PTチャットと共に閉じていたマップが開かれる。そのMAPが示す地図に、スプーンを持つ手がピタリと止まる。
ヴィルフリートが目を細め、そっとシエルの方を覗っても視線を合わせようとはしない。涼しい顔のままだ。ならば他に気付かれることなく話がしたいということなのだろう。
『この見取り図どうした?盗み出したのか?』
マップが示すのは『鉱山の坑道見取り図』だ。それも詳細かつ完璧な。
宿舎に入る前、シエルが坑道の見取り図に興味を持っていたのは知っている。
が、ユスティアに断られて諦めてはいなかったのかと怪訝に思っていると、シエルは何事もないように、サラリと坑道の見取り図を手に入れた方法を明かす。
『まさか。諦めるって言ったのは4人全員が知ることを諦めたっていう意味だよ。教えてもらえないなら自分で探るだけだし。マップの応用だよ。坑内全体が見えたってことはダンジョンとまだ繋がっていないのは確定だね』
(正攻法で教えてもらえれば、こうしてPTチャットで隠れて話さなくてもカインとユスティアも入れて、ダンジョン攻略の策を話すことができたんだけね)
坑道見取り図を知ること自体が、冒険者ギルドとハムストレムの間に問題を生むというのなら、こっそりするまでだ。
だからとそこで自分が坑道内部を知っていることを話せば、それはそれで面倒事にしかならい。ダンジョン入り口目の前まで来て面倒事は避けたいので、ここは黙っておくことを選択する。
大きな街では上層部と下層部に分かれている造りがたまにある。そこで上層部と下層部の武器屋や宿を探すとき、一度街のエリアに入ってしまえばマップの切り替えで街の構造が一気に見えるようになった。
その仕組みを坑道で使えないか試してみたら、狙い通り地下の坑道が見えたというわけである。
しかし、マップで表示できるのはあくまで魔物が出現しない安全エリアのみに限定された。一晩経って坑道とダンジョンがタイミング悪く繋がってしまったということにでもなれば、坑内はもうグレーアウトになり見えなくなる。
『本当にどれだけ万能なんだよ………』
ヴィルフリートが溜息をつく。
もしかしなくても、さっき宿舎に来る前に坑道入り口をじっと見ていたときに、この見取り図をもう手に入れていたのだろうと当たりを付ける。
(あの短い時間で、鉱山の坑内全ての通路を看破したってことか?)
シエルの力はつくづく常識を覆す。
『ダンジョンがあるのは鉱山のどちら側?』
『恐らく入り口から右側。何もない山の方へ荷車が何回も通った後と足跡があった』
鉱山から掘り出した鉱石を保管しているのは、入り口から左の倉庫。ならば何も建物がない右側の山に人が大勢出入りする理由は、ダンジョンだ。
『右側か。地下階5階に右の方へ伸びている道がある。ダンジョンと繋がるとしたらそこだね』
地下10階まである鉱山。ハムストレムの国庫を潤す重要な資源と見なされるだけのことはある大規模な鉱山だ。
縦横無尽に坑道が伸びているように見えるが、下の階を潰してしまわないように綿密な計算の元に掘られているはずだ。しかし5階の坑道は変に1本だけ右に大きく伸びているのが気になった。
『試道だろうな』
『試道?』
『鉱石を探る試しの道だ。魔石が半年前から採れなくなって、右側に鉱脈がないか探ってみたんだろう』
『そういうことね』
『右側のこの坑道、埋めようなんて考えてはいないだろうな?』
『鉱脈が見つからなかったんだったら埋めたほうが今後のためにベストとは思うけど、坑道の一部分だけを埋められるほど万能ではないよ。出来るとしたら、ダンジョンの道が鉱山の方角に伸びていたから、もし右側に伸びている坑道があれば埋めておけってアドバイスするくらいかな』
先ほどヴィルフリートの呟きに意趣返しをする。
(もし本当に自分が万能であるなら、意識を囚われているプレイヤーとNPCの区別が出来るようになればいいのに。そうすれば捕囚プレイヤーを助けることが出来るわ)
ただしこの世界では彼らを殺すことに他ならないとしても。
シエルが出来るのはゲームシステムが許す範疇に留まり、制限が伴う。システムの概念がなく、また知らないヴィルフリートには万能の能力として目に映っているに過ぎない。
けれど、それらは自分にとってはリアルで眠り続ける捕囚プレイヤーを助けることだとしても、何も知らないヴィルフリートたちの目にはどう映るだろうか。
『……ねぇ、もし自分が罪もない人を殺したら、ヴィルはどうする?』
突拍子もない質問に、ヴィルフリートは食事をやめ、押し黙り返事はかえってこない。
目の前にいるのが捕囚プレイヤーと分かってて、もしこの世界で苦しんでいるのだとしたら、この悪夢から解放させるためにもPK(プレイヤーキル)した方がその人のためではないかと思う。
この世界では死ぬかもしれないが、本来いるべき現実で目を覚ますのだから。
現実にはゲーム世界に捕らわれたひとが目ざめるのを待っている、家族や友人、恋人がたくさんいる。
ややあって返事が帰って来た。
『お前は神の代行者だ。お前のすることは全て神の名において肯定される。たとえ、生まれたばかりの赤子を踏み殺したとても』
『酷いこと言うんだね』
『それを言わせたのはお前だ』
『違いない。だから、ヴィルにはこの世界と神様に足掻らってほしいな』
『どういう意味だ?』
言ったシエル自身、意味を考えずに言ったのだから問われても答えることはできない。それでも、本当に目の前にプレイヤーと分かっている泥まみれの赤子がいて、何のためらいもなく殺せる自分にはなりたくない。
そして気付かないうちにそんな自分になりかけていたとしたなら、神の代行者であっても止めてくれる人が傍にいて欲しいと思ったのだ。
けれど、ヴィルフリートの言うように急いで残りの食事を食べようとして、呂律の怪しい声が聞こえて顔をあげると、
「あの……あの、シエルさん……、俺、俺……」
瞬きもせず、熱に浮かされたように顔を赤らめ、シエルだけを見つめながらブツブツ唱えているカインに気づく。
明らかに様子がおかしい。
かろうじて手に引っかかっていたスプーンが、独特の金属音を立てて床に落ちた。
「どうしたの?大丈夫?」
不信に思って声をかけたけれど、様子はますます怪しくなって、カインの手が小刻みにぷるぷる震えているのを視界にとらえる。
(まさかこの食事!もしかして毒でも盛られた!?)
モンスター溢れる外やダンジョンでもない建物の中で、味方(に分類されるはず)から毒を盛られたのだろうかと、先ほどまで自分が食べていた食事を見下ろす。半分は食べていない。それにこの『シエル』なら攻撃だけでなく毒やしびれなどの状態異常デバフの耐性も高いはずだ。
チートキャラの自分は普通の毒では、そう簡単に毒が効くことはないだろう。けれど、他はそうじゃない。
ガタンと座っていた椅子を倒し、尋常ではないカインが立ち上がりシエルの方へ、一歩、また一歩と近づいてきた。
(襲われても負ける気はしないけど、怖いっ!!)
生理的な恐怖で一歩後ずさった瞬間、隣に座っていたヴィルフリートに腕をつかまれ引き寄せられた。
「シエルッ!」
「お、俺……、シエ、ルさんの!ことっ……!?」
――バコンッ!!
「がっ!?」
カインの頭を、ユスティアが食事トレーで容赦なく力一杯殴り、一撃で気絶させてしまう。バタンと倒れたカインにシエルたちだけでなく集まっていた鉱山士たちの視線も集まった。シエルに視線が集まっていたときとは別の意味で、食堂内が静まり返っている。
(今の音……、絶対痛い奴だ……。ユスティアさんだけは怒らせないようにしよう……。味方なのに容赦ゼロだ……)
咄嗟にかばってくれたヴィルフリートの背中から見えた光景に、殴られていないこちらまで痛い気がしてきて、ついヴィルフリーの背中に張り付く。
「もう大丈夫です。シエルさん」
ふぅ、と息を吐きながら微笑まれても、その手に持ったままのトレーと、足元に倒れて意識を失っているカインがいては、とても安心はできなかった。
「魅了のデバフにかかっているようです。でも部屋に転がしておけば、明日の朝はケロッとしてますよ」
「魅了?こんな場所でか?」
鉱山の建物の中で誰がカインに魅了のデバフをかけたのかと訝しむヴィルフリートに、苦笑したユスティアがチラリと視線を向けたのはシエルだ。
その視線の意図に、あっ、と声を漏らしヴィルフリートも背中のシエルに振り向く。
「……、まさか!?」
「私は普段から状態異常に対しレジスト装飾具を付けてます。ここに着くまでずっとフードを被っていたからこそ、問題なかったのかもしれません。ここに着いてから装飾具がずっとレジスト反応をしているのでもしかすると……」
「えっ!?2人とも何話してるの!?教えてよ!」
苦笑するユスティアと、眉間を抑え苦悩しはじめたヴィルフリートの話についていけず、2人を交互にみやる。
「原因は理解できた…。ともかくカインを部屋に運ぼう。シエルは俺から離れるなよ。説明はそのあとだ」
呆れ口調だけれど、有無を言わせないヴィルフリートに、シエルは頷き従う。
一体何が起こったのかさっぱりわからない。けれどいつまた魅了にかかった者に襲われるのか怖くて、ヴィルフリートの服端をつまんでぴったり後をついていく。
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