二十八章 不戦の誓い(1)
素羽鷹の御家来衆が正気に返ったのは、お殿様の剣が鬼将軍の影を貫いた瞬間でした。気づけば見慣れない暗い沼地に勢揃いしているので、みんなビックリしました。
「あれっ? ここはどこだ?」
「気持ちの悪い所だなあ。素羽鷹にこんな場所があったのかよ」
「お前、なんだ、その気合いの入った戦支度は?」
「お前こそ」
「やや! ほんとうだ」
「やかましい! 静まれ!」
ただ一人事情を知っている家老が
「ここは、うしとら沼だ。我らは殿の命令で竜宮島を探しに来たのだ」
みんな(そうだっけ?)と思いましたが、なにしろ恐い御家老様の言うことですから、だれも文句はいいませんでした。
「わしら、なんでまた戦支度なんですかなあ」
蔵六がおそるおそる尋ねました。
「たまには風を通さないと虫がつくからじゃ」
家老はすました顔で答えました。
そこへ汗みどろになった物見役のさむらいが駆けてきました。
「一大事、一大事! おのおの方、殿はどこだ!」
「そういえば殿が見えぬ」
「あの人、ときどき消えるんだよな」
「おーい。お殿さまあ」
「お殿さまあ、でてこーい」
そう言っているところに、お殿さまが若様と虎千代をおんぶして「りゅうぐうじまのおきゃくさん。ホイ!」と歌いながら、カメの浮き橋を踏んで戻ってきました。お殿様の後ろからは花野子ちゃんをおんぶした和真先生が続きます。
「殿! 若様と遊んでいる場合ではございませぬぞ!」
家老のいつものカミナリが落ちたので、若様は嬉しくてうれしくて顔をくしゃくしゃにして笑いました。そしてお殿様の背中から飛び降りて、転びそうになりながら家老のところまで駆けてゆきました。家老は若様の無事な姿を見ると、片膝をつくなり怪我をしていない方の腕で若様を抱きとめました。
「家老。僕、素羽鷹の龍に三宝を返したよ」
若様は家老の耳にささやきました。
「よくやりましたな。若様」
家老は涙でそれ以上ものが言えませんでした。
「皆の者、龍宮島より、いま戻った。俺の乱心につき合わせて、まことに持って済まなかった。この通りだ」
お殿様は御家来衆の皆に頭を下げました。何のことやらわからず、皆が目を白黒させていると、待ち構えていた物見役がお殿様の前に進みでました。
「殿、一大事にございます! 北の蛞公方が二千の兵を引き連れて武石に攻めてまいります!」
「なんだと!」
お殿様は顔色を変えました。
「者ども、急げ! 武石は我らが
素羽鷹の御家来衆は「おお!」と雄叫びを上げるや、なぜか都合良く連れて来ていた馬にまたがり、見慣れぬ黒い岩の道を取って返してゆきました。
「して殿、この道はどこへ続くのででござるか」
お殿様に馬を並べて家老が問いかけました。
「素羽鷹の御初代様の墓所だ。首無塚ともいうがな」
「なんですと」
家老が真っ白な眉を上げました。
「鬼将軍はうちの御初代様だったのだ。それより家老、その腕の怪我のことだ。誠に申し訳なかった」
「そんなことはどうでもよろしい。鬼将軍はどうなりました」
「安心しろ。もういない。俺が
お殿様はいつものようにニカニカと笑いかけ、慌てて笑顔を引っ込めました。
「すまぬ。ほんとうに申し訳なかった。この通りだ」
お殿様は馬の上で頭を下げました。
「お気になさるな。これしき、かすり傷じゃ」
家老は鼻で笑うと、大きくしわぶきして馬に鞭をあてました。
若様と虎千代と和真先生と花野子ちゃんは素羽鷹の郎党が砂煙をあげて遠ざかるのを見送っていました。若様の両肩には狭霧丸と不動丸が留まっていました。
「父上たち、間に合うかな」
若様が心配そうにいいました。
「素羽鷹の馬とはいえ、武石まで行くには時間がかかりますからな」
和真先生が難しい顔で言いました。
「僕らも行こうよ」
「無理だろ。馬もなしに遠すぎるよ。もう龍の鏡も無いし」
花野子ちゃんがため息をつきました。濡れてしまった着物は不思議なことにもうサッパリと乾いていましたが、もう立っていられないほど疲れていました。
「わかさま、あのお」
虎千代が若様の袖をくわえてひっぱりました。
「なんだい、虎ちゃん」
「イノシシのお母さんに頼んではいかがでしょう?」
「そうか! さすが虎ちゃん、良い考えだ!」
先生と花野子ちゃんに「ついてきて!」と呼びかけると、若様と虎千代は黒岩の道を駆けてゆきました。そこにあったはずの黒い塚山はどこへともなく姿を消し、つむじ風が枯葉を巻きあげています。若様は枯れ野原に向かって三度叫びました。
「草薙姫! 草薙姫! 草薙姫!」
若様の声はおりからの木枯らしにのって遠くまで運ばれてゆきました。
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