13.茫然。教室に戻ったら私の隣に小さな椅子と机があるんだけど

 お昼休みが終わる頃にはとりあえず私の気持ちもいくらか落ち着いてきた。

 さすがにいつまでも保健室にいるのも気が引けたから、香織と鈴音と一緒に教室に戻った。戻ったはいいんだけど、完全に想定外の事態になっていたんだよね……。


「えっと……アレって何なのかな? いったい、どういう状況?」

 いつの間にか、私の机の隣には小学生が使うような小さな椅子と机が置かれていた。さらにその机の上には色鉛筆と真っ白な画用紙が置かれている。

 正直言って意味がわかんないんだけど。

 いや、それが横にいる鈴音のために置かれているってことはわかるんだけど、お昼休み前にはそこには何もなかったはずなんだよね。


 私の呟きに、香織が私の方に顔を向けて、なにか不思議なものを見るような目で口を開いた。


「何って、琴音の隣りにあるのは、琴音の妹の鈴音ちゃんが座る席だよ。朝からそこにあって、横にずっと座っていたはずだよ?」

「えっ……そ、そだっけ……?」

「そうだよ、どうしたの琴音。鈴音ちゃんすっごくいい子で、授業中は静かに絵を書いていたじゃない。

 ねえ、琴音疲れてるんじゃないの、もう少し休んでいたほうが良くない?」

 教室に入ったのが始業ギリギリだったみたいで、教壇には既に先生がいて私たちが座るのを待ってくれている。当然だけど私達以外はみんな席に座っていた。

 香織は通路側の前から二番目の席で、私が見ている先にあるのは窓側三列目にある私の席。えっと……私の席?


 私は思わず首を傾げたよ。たぶん眉間には思いっきりしわが寄っていたと思う。

 そもそもだよ、私の席は窓際じゃなかったはずなんだよ。教室のそれこそ真ん中あたりの席が私の席なの。それが保健室で休んで戻ってきたら、窓際に変わっていた。

 いったい、何がどうなっているのかな。


「おい、大丈夫か葛城。本調子じゃないだろうし、無理しなくてもいいんだぞ? 事情は百浦先生から聞いている。夜中に近所で火事があって大変だったらしいじゃないか、あまり寝れてないんだってな」

「えっ? えっえっ?」

「今は一帯が立入禁止になって家に帰れないみたいだから、さすがに帰れと言えないところが辛いが。今日くらいは保健室にいたって誰も文句言わんぞ?」

「なんの……こと……?」

 突然の新しい情報に、何だか思考が追いつかない。鈴音に顔を向けても、首を傾げてから「知らない」って言ってる。まあそりゃ知らないよね、私が鈴音と出会ったのって、ついさっきのことだし。

 教室を見回しても、みんな私の方を見て心配そうな顔をしている。それが誰もが知っている情報なのか、みんなの表情からして疑問に思っている人はいないように見える。


 そもそもだよ、夜中の火事なんて知らないし、朝も家の近所はいつもどおりだったはずなんだよね。朝だって普通に目が覚めたし、とくに周りが騒がしいとかなかった。……まあ、朝から時間が止まっていたのはいつもどおりとは言えないけど。

 でも、何だか言われてみれば火事があったような気がしてくるから不思議。


「えっと……大丈夫です。あと二時限だけなので、授業を受けます」

「そうか、わかった。それでも調子が悪くなったらちゃんと言うんだぞ?」

「はい、ありがとうございます」

 香織が自分の席に向かったので、私も鈴音の手を引いて自分の席に向かった。

 うん私の席、やっぱり窓際じゃなかったと思う。真ん中の辺りだったと思うんだけど、今となってはどこに座っていたのか全然思い出せない。

 何かが改変された感じがするんだけど、結局私の意思は無視されるんだよね……。


 鈴音と二人で席に向かう途中で、視界の隅にとっても驚いた顔をした孝太朗が見えた気がした。




 午後からの二時限の授業は特に何も問題なく進んで、あっという間に放課後になった。


 あ、ちょっといい方が違ったかも。

 少しだけ問題はあったかな。


 午後からも相変わらず私の時間は勝手に止まって、またしばらくしてから思い出したかのように動き始めてたよ。でも今度は鈴音が、止まった世界の中でも一緒に動いてくれていたから、お喋りの相手がいてそんなに寂しくなかったかな。

 むしろ、止まった時間の中で鈴音が動いているってことは、その時点で私の異能が勝手に発動しているってことだから、見方を変えれば笑っちゃうような状況なんだけどね。


 でも心なしか、お昼休みのあとから時間が止まっている長さが短くなったような気がした。最初に止まるまでの時間も長くなったかな……気のせいだよね。鈴音がいたから気が紛れただけだよね。


「葛城さん、ちょっと放課後の時間大丈夫かな?」

 私が色々と回想していると、なんだか難しい顔をした孝太朗が近づいてきた。

 放課後になったからか、部活に行く人達はさっさと教室から出ていっている。いつもはしばらく教室で喋っている同級生とかも、昨日の『床に描かれ始めた魔法陣事件』のせいか、いつもより少ない。

 いや待って、知らないうちにもう私たち三人だけになってるよ。


「うん、えっと……」

 放課後、時間大丈夫かって聞かれると、正直なところ微妙なんだよね。

 鈴音が保育園を休んで一緒に学校に来ているのなら、早めに家に帰らなきゃだと思う。でもその辺がまだ自分の中で曖昧で、どこまでが現実なのかはっきりと分かっていない。

 事情を説明(?)しようとして、口を開きかけたところで突然、鞄の中に入れてある私の携帯電話が鳴り始めた。


「あ……」

「先に電話に出てほしいかな。僕の要件は『確認』したいだけだから、その後でもいいから」

「う、うん……わかった」

 鞄を取ろうとして横を向いたら、鈴音はまだ画用紙に向かって一生懸命に絵を書いていた。待って、すごい精緻な絵を書いているんだけど……これって、保育園児のレベルじゃないよ?

 使っているのはクレヨンなんだけど、色使いに思わず視線が釘付けになった。

 森の中の一場面なんだと思う。その森の真ん中に大きな炎が燃え上がっていて、その炎の中から青い鳥が飛び立とうとしている絵だった。青い鳥は、物凄くリアルで今にも動き出しそうに見える。

 ものすごい才能だよ。ある意味で芸術作品なんだけど。


「あの、葛城さん電話は?」

「あ、あああっ、そそ、そうだった――」

 そういえば電話が鳴っていたんだったよっ。

 慌てて机の横にかけてあった鞄の中から携帯電話を取り出した。画面を見ると着信先はお父さんだった。この時間はまだ仕事してるはずなんだけど、どうしたんだろう。

 何となく首を傾げながら、応答をタップした。


「もしもしお父さん」

『ああ、琴音か。今大丈夫か?』

「うん、大丈夫だよ。ちょっと前に今日の授業が終わったところだよ」

 いつものお父さんの声……なんだけどなんだろう、なんだかちょっと違和感を感じる。

 そもそも工場勤務だから、この時間はまだ仕事中だったはず。だけど、まるで仕事が終わって家に帰ってきたときのような、そんな声色。


『そうか、それならちょうど電話のタイミングがよかったんだな。これからそっちに迎えに行こうかと思っていたんだ。今日は鈴音をありがとうな、大変だっただろう』

「ううん。静かに絵を書いていてくれたから、みんなにも褒められていたよ。それよりお父さん、今日は仕事が早く終わったの?」

『ちょっと会社が大変な状態になってな、今日は全員三時で早退だ』

「そうなの?」

『ああ。数日前から、うちの社長が行方不明だっていう話は、確か一昨日の夕飯の時あたりにしたよな』

「えっ……う、うん? え?」

 そ、その話は初耳なんだけど。

 そもそもだよ。一昨日もその前の日も残業で遅くなるからって、お母さんと二人で夕飯を食べたはず。そのはずなんだけど、なんだか自信がない。


『その社長が、昨日火事になった四軒隣の篠崎さんの家に放火した疑いがかかっていてな、それで実は朝から大変だったんだが――』

 お父さんの話で、近所の篠崎さんと、私のお父さんが勤めている『自動車修理会社』の社長は兄弟なんだって。初めて知った。


 この時点で、お父さん工場勤務だったって記憶が『間違っている』って、私の中に違和感なく落ちた。何でだろう、昨夜だって火事なんてなかったはずなのに、今は確かに火事で夜中に大騒ぎしていたような気がしてくる。


 篠崎さんの家の火事の原因は、弟の放火らしい。

 先代社長である父親が亡くなり、もともと兄弟でやっていた自動車修理会社から、兄である篠崎さんが手を引いた。残った弟が社長になったんだけど、それからすぐに経営状態が悪くなっていったんだって。

 経営が悪化したのは兄のせいだって、逆恨みした弟が兄の家に放火。

 家は火柱が立ち上がるほど激しく燃え上がって、消火のあとの現場検証で篠崎さんは夫婦ともに遺体が見つからないらしい。さらに、現場付近を狂ったように叫びながら逃げていった弟社長は、未だに行方不明だとか。


 待って、どうなってるの?

 そもそも四軒隣って、篠崎さんだったっけ?


『それで、今日はあの区画が立入禁止になっていて、子供だけだと家に帰れないんだ。だから夕方までには迎えに行くから、学校で待っているように』

「えっと……うん、わかった」

『それじゃあ、もうしばらく鈴音のこと頼むな』

 そう言って、お父さんは電話を切った。

 違和感が頭の中でぐるぐる回っている。でも、たぶん今考えても無駄だって、何となく思ったから大きく深呼吸だけして、そういうことにした。


 横に顔を向けると、絵を書き終えた鈴音が私の方を見上げていた。その表情が愛らしくて、思わず手を伸ばして頭をなでていた。なんだかわからないけど、鈴音は私の妹。それでいいよ。

 もう自分の中でも、午前中に襲われかけたことはどうでも良くなっている。


 嬉しそうに目を細めていた鈴音が、立ち上がって私に抱きついてきた。

 やばい、かわいい。


「えっと……そろそろ、いいかな……?」

「あっ、ごめん結城くん。今、電話終わった」

「知ってる。僕も横で聞いていたから」

「そそ、そうだよね。あ、あははは……」

 そういえば、孝太朗が私に聞きたいことがあるんだっけ。

 たぶん、増えた異能のことだよね……。


「部室に行ってって思っていたけど、ちょうど教室に誰もいなくなったし、ここでもいいかな。時間もあまりない感じだし」

「う、うん。そんな感じ……かな。お父さんこっちに向かっているみたいだし」

「だから率直に聞くよ――」

 そう言ってから、孝太朗は一旦言葉を止めて、目を閉じて大きく深呼吸をした。その後ですっごく真剣な目で私を見つめてきた。

 なんだろう、そんなに深刻なことなのかな。


「結城さんって、僕が知っている結城さん?」

「……えっ?」

 質問された言葉が想定の遥か彼方に飛んでいて、全く言っている意味がわからなくて、思わず首を横にかしげちゃった。


 あの……どゆこと?

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