天地創造と夏の終わり
13.七枝の灯火は七日の命(Cicada)
アズールはいるか、とよく通る声が問う。返事の後、何人もの足音が固まって向かってくる音が聞こえてくる。手をあけるために持っていたものをゆっくり降ろしながら、厄介なことになったなあ、とアズールは思った。
机の上に覆いを掛けてからアズールは取り囲む面々に向き直った。しかめ面のノヴァを先頭に、ベルベナ、バルグラ、コバルトと続く。化学班の人間がいるということは、この間の浪費の件じゃないな。打算を胸に抱えつつも表面上はあくまでにこやかに対処する。
「やあ、ノヴァ。何の用? 見ての通り結構忙しいんだけど、なんかあった? 勉強会なら行かないよ、それとも遊びの誘いかな?」
ノヴァは形の良い眉をしかめさせたまま、明瞭な発音で『違う』と言った。
「別に私も好んで話しかけたわけではない。用があるんだ。率直に聞こう、ミネオラと仲良くしていたというのは本当か?」
「うん? ミネオラのことでなにか問題が起こったのかな? 交渉官がメンバーにいないって事は情報漏洩の件ではなさそうだ」
そんなことしてたのか、とコバルトが言うのを、ノヴァは手を上げて制した。今は私が話しているのだ、と。
「あなたが漏洩させて不味い情報を持っていないということは研究所の誰もが知っている。目を離している間にミネオラが行方不明になった、私たちはそれを探している」
「ああ、なるほど。それで面識のある僕のところへ来たってわけか」
それ、と言ったことに対して、アズールは小さな危機感を覚えた。彼女ではなく、『それ』。それからどうなったの、と続きを促す。
「その通りだ。どうもあまり社交的な人柄ではなかったようだな。しかしそれでも、あなたと歩いているのを見た、と何人もの人間から証言があった。まずはマリーンと合流しよう。説明はその後だ」
◆
オレンジ色の髪をもつ女、ミネオラは部屋に集められていた。『集められている』。状況の読めないまま連れてこられたアズールの前に、ミネオラとおぼしき女は五人いた。なるほど、クローン群と原本のコンタミ事故か、とアズールは思った。ノヴァが厳めしい顔をして来るのも納得だ。
「状況は把握したよ。クローンは何体作ったの? これで全部?」
「それは作成者から説明させよう。ベルベナからだ。何体作ったか順番に言っていけ」
「はい。言語調整用に私が一体」
「俺は体質の調査をするために『切除済み』のものと『調整なし』の複製を一体ずつの合計二体を」
「私は一体、遺伝子の研究用に複製を。合計四体です」
「詳細な説明をありがとう。そうしてこれ以上の作成者がいるという情報は入っていない」
報告をノヴァが締めくくる。情報が入ってないだけで『いる』可能性は否定しないんだな、とアズールは思った。
「オーケイ。複製が四体。この五つある身体の中に複製原本の『ミネオラ』が一人紛れてるって認識で間違いないね?」
アズールは念を押した。ピリッとした空気の中で、研究者たちは頷き合う。確認を怠ると後々今以上に厄介なことになるのを皆が承知している。外の人間じゃあ殺しちゃうわけにも行かないものなあ、とアズールは思った。無論口には出さない。
「間違いない。それで、本物のミネオラをあなたに見分けてほしい。私たちには結論が出なかった。何か必要なものがあれば用意しよう。何が要る?」
「まず経緯の説明を聞いても良いかな? 威圧感を与えると良くない、こっそり聞かせてくれ」
構わん聞かせてやれ、とノヴァはやや威圧的に言った。
「さて、一体目はどういった目的で?」
「彼女の独特の話し言葉が遺伝子によるものなのか、それとも通常の組み方から学習によって表出するものなのかの確認のため、作成をした。成果として、生まれたばかりの状態ではS型標準の発音だったものが、学習によってオリジナルに近づいていくという結果が得られた」
頷きながら、そのまま聞き分けができなくなったんだな、とアズールは理解する。
「ありがとう。体質調査の一対はどのように?」
「目的は同じく、彼女の特性が生来のものなのか、後天的な薬物暴露によるものなのかの比較をするためだった。他の……例えば言語まわりなどの調整は特にしていない」
「オーケイ、了解した。最後、マリーンの個体はどうだった?」
「彼と似たような経緯です。ただし、こちらは発注元が彼のものとは別の部署でした」
僅かに空気が張り詰める。バルグラは気遣わしげにマリーンを見やった。アズールはノヴァの方を少し見てからマリーンに目を戻した。
「うん、だよね。なんとなくそうじゃないかと思っていたよ。それに関しては後で発注元の責任者を呼んで、外部交渉官を交えたミーティングをしてくれ。僕の手には負えない」
「……そうします」
「そうだ、重要なことを聞き忘れていた。バルグラ、研究成果は得られたかい? 目的は果たせたかな」
「いや、因果関係は不明なままだった。しかし、ボディの処遇は次工程に回して良い。コンタミによる汚染の恐れがあるから対照実験には不適合だ」
実験もやり直しだ、とバルグラが言うのを聞きながら、次の許可は降りないだろうな、とアズールは思った。外の人間はクローニングの際にS型のそれとは比べものにならないくらいの障壁がある。今回のことが公になれば、『ミネオラ』はもう作れないだろう。可哀想にな、とアズールは内心バルグラに同情する。
「ところでどうしてこうも一様に意識レベルが低いんだ?」
「結果を急ぐあまりテープの許容量を超えたようだ。気をつけてはいたんだが、思ったよりも閾値が低かった」
「俺は、指定薬物以外の投与をした。パスすると思ったんだが、どうもそうはならなかったようだ」
「……わからない。ジュースを与えて連れてきたと聞いたけれど、引き渡されたときには既にそんな風だった」
コバルトが困ったような表情で言うのを聞いて、ジュースねえ、とアズールは言った。テープ酔い、薬物酩酊、原因不明の意識低下。これは長引くかも知れないな、と思った。そもそも外部の人間から作ったクローンでコンタミが起こること自体が想定外だ。遺伝子提供で作られたような、研究所から縁遠いクローンなら顔でわかる。同じ研究所の仲間同士なら、クローンの知り得ないオリジナルの情報が頭に入っている。そもそも原本と全く同じに作ること自体が難しく、髪の色や爪の形である程度はわかるものだ。しかしミネオラはS型第二世代ではない外部の人間だ。親密な友人もおらず、原本とクローンに僅かな違いが出ると言っても彼女と人種の違うアズールたちでは見分けがつかない。
「なるほど、ここの端で項垂れている、ぐでぐでの茹で蛸みたいなのはどうしたの?」
「わ、私です。もともとミネオラとは少しだけ交流があったのですが、その折に『同席した人間を椅子に座らせておく方法』として、彼女の文化圏では『飲み物にエタノールを混ぜて出す』ことがあると聞いたのでそのようにしました。無論、飲用に適したグレードのものを使っています。そうしたら、こんな風に……」
ミネオラは脱力して床に沿うように伸びている。アルコールだけでこんな風になるものなのか、とアズールは少し考える。『飲み比べ(どちらかが動けなくなるまでアルコール飲料を摂取し、身体の正常性耐久試験の結果を競うこと)』をして自分の倍も体重のあるような年嵩の男に勝ったのだ、と豪語していた彼女がその程度の『混ぜ物』でここまで酔うだろうか。分解酵素がないわけではあるまい。許容量を超えた? だとしたら何故? そこでアズールはピンときた。
「……マリーン。もしかしてそのときの彼女『アルコールを半分くらい入れて出す』って言った?」
「そうです。言われたとおりグラスに半分……」
ああ、やっぱり、とアズールは言った。
「急性アルコール中毒だ。外で言う『アルコール』は20%から50%の混合液だから、100%エタノールを使うなら量は十分の一で良いんだよ。しかもジュース用のグラスに入れたんだろ? 控えめに見ても入れすぎだ。そりゃあこんな風になるよ」
「えっ、そうなんですか……どうしよう……」
「……死なないように手は尽くすよ」
まかり間違って死んだら嫌だな、と思いながら、アズールは五体の『ミネオラ』を見渡す。後ろに立ったノヴァの表情には僅かな不安が滲んでいた。扱いがセンシティブな間柄の人間の事で、知らない間に問題を起こされていたんじゃ気が気じゃないだろうなあ、とどこか他人事のようにアズールは思う。
「……アズール、どうにかなりそうか?」
「安心してとは言えないけど、まあ、やってみるよ。交渉官を呼ぶような事態にならなきゃそれでいい。だろ?」
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