38 カラオケだったんだが

 終業式後の部室、終業式がある日は部活動などないのだがなんとなく来てみれば、そこには半ば当然のように椎名えりの姿があった。今日は部活がないのに何故いるのかと聞かないのは俺も人のことが言えないからである。

 まぁこれはこれで丁度いい、早速椎名えりに打ち上げのことを伝えるとしよう。


「なぁ椎名……」


 しかし声をかけても彼女は全く反応しない。

 確実に聞こえているはず、それにも関わらず反応がないとなると何か彼女の機嫌を損ねるようなことをしてしまったとしか考えられない。

 何がいけなかったんだと暫し思索しさくしていると彼女がチラッと俺の方を見た。そして一言。


「名前……」


 その一言で彼女の言いたいことは大体理解出来た。

 何故その一言で理解できたのかはまったく謎だが要するに下の名前で呼べということらしい。

 きっと彼女が俺を下の名前で呼び始めたあのときから彼女の中で俺は、彼女を『えり』と下の名前で呼ばなければいけないということになっているのだろう。

 なんとも意味不明な理屈だが彼女をそう呼ばないといけないのなら俺はただそれに従うだけだ。


「えり……」


 少しの恥ずかしさと共に彼女の名前を口にすれば彼女はようやく俺に反応を示す。


「で、なんの用かしら? 拓也君」


 何でこんなに恥ずかしい思いをしてまで俺が彼女を打ち上げに参加させ、なおかつ望まれていない俺までその打ち上げに参加しなければいけないんだと今更あのイケメン野郎に憤りを感じるも、そんなことを思ったところでどうにもならない。

 例えどんなに断りづらい空気であっても頼みを受けたのは間違いなく俺であって他の誰でもないのだ。

 だとしたら今はただ彼女を打ち上げに誘うことだけ考えていればいい。


「えりも打ち上げに参加してくれないか?」

「拓也君も参加するの?」

「まぁ一応な」

「そういうことなら参加させてもらうわ。時間になったら一緒に行きましょうか」


 彼女は少し嬉しそうな無表情で俺にそう告げた。

 やはりクラスの打ち上げには参加したかったのだろう。

 そんな彼女を見て少しだけ良いことをした気分になりながら俺は制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出し、それから彼女の言葉に相槌を打った。


◆◆◆


 指定の夕方五時まで残り三十分、学校の最寄り駅までの道のりを俺は椎名えりと二人並んで歩いていた。

 夏真っ盛りということもありまだまだ日は沈みそうになく、辺りには昼間とほとんど変わらない風景が広がっていた。


「やっぱりまだ明るいわね」

「夏だからな」


 そんなどうでもいい会話をしつつも着々と駅の方向へと歩を進める。

 隣には無表情で歩くクラスの美少女、普通なら心踊るシチュエーションであるがもう数ヶ月も彼女を見てきている俺にとってはありふれた日常であって特に何も思うことはない。まぁ流石に顔を近づけられたりすればそれなりの反応はしてしまうが、これは男なら当たり前であろう。


「そういえば一番最初俺の教科書舐めてたよな? あれは何がしたかったんだ?」

「そんなことあったかしら?」


 ふと頭の中に浮かんだ疑問を口に出せば、彼女は無表情から一転、過去の自分を呪うような表情で顔を背けた。

 彼女の様子を見るにあまり思い出したくない過去なのだろうが、だからといって無かったことには出来ない。


「惚けたって無駄だからな。俺はしっかり覚えてる」

「ぐっ……」


 何かを諦めた様子の彼女は背けた顔を元に戻すとそれから聞き取れないくらいの小さな声で言い訳じみた言葉を呟いた。


「仕方ないのよ、あのときはそうすることしか思い付かなかったんだから……」


 何が仕方ないのか全く理解は出来ないが、言いたいことは分かる。つまりは出来心だったのだろう。

 まぁその出来心のせいで俺はこんな訳の分からない部活に半強制的に加入させられ、色々面倒事に巻き込まれるようになったわけで多少の不満はあるのだが出来心ならこれ以上責めようがない。

 まだ悪意がなかっただけマシである。


「そんなことよりもほら、駅までもう少しよ」


 話題をすり替えるためか彼女はその言葉と共に現在進行形で俺達が歩いている道の先を指差す。

 彼女が指差した方向の百メートルほど先を見れば、そこには俺が小さい頃から姿形が何一つ変わらない駅舎があった。

 駅舎の前がロータリーになっているだけの何の変哲もない駅。

 普段ならそこまで込み合うことがない駅には現在多くの学生が集まっていた。

 数にしてざっと三十人。

 きっとあれが今回の打ち上げに参加する人達なのだろう。


「想像してたよりも多いな」

「同感ね」


 想像以上の人数に歩くのを忘れて、その光景をぼうっと眺めているとその集団の中から一際目立つ男が出てきた。


「あ、来てくれたんだね、二人とも」


 周りに胡散臭い笑顔を振り撒くその男は俺達に駆け寄ると嬉しそうな表情で俺達の手を握る。

 彼のなんとも気持ち悪い行動に思わず隣を見れば椎名えりもまた嫌そうな表情を顔に浮かべていた。

 そんな俺達に気づいていないのか、はたまた気づいた上で敢えてなのか彼は一向に俺達の手を離そうとしない。


「そろそろ手を離してくれないか? 暑いから」

「あ、そうだね。悪かったよ。椎名さんも悪かったね」


 耐えきれず直接言葉で伝えれば彼はすんなりと俺達の手を解放した。

 嫌がらせではなく、どうやらただのスキンシップだったようだ。イケメンという人種は皆こうなのだろうか。


 俺がそこでため息を吐くと、それと同じタイミングで早見優人が俺達に手を合わせた。


「この駅の近くにカラオケ店があるのは知っているだろ? 今日の打ち上げ会場はそこだから二人は先に行っててくれるかい? 俺は皆を連れていくから一緒には行けないけど大丈夫だよね?」

「ああ、大丈夫だ」

「そうか、助かるよ」


 つまりは予約した部屋の手続きを先に済ませて来いという雑用の依頼なのだがこの際丁度良い。

 他の者達とぞろぞろ行くよりは幾分かマシであるのだから。


「じゃあ行くか」

「そうね」


 俺達はそれからこの駅のすぐ近くにある唯一のカラオケ店へと向かった。

 ここから歩いて十分、多少時間はかかるが特別遠くもない。話していればすぐに着く距離であった。

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