29 朝から眠そうなんだが
朝を知らせるスマートフォンのアラームが鳴り響く中、俺はふと目を覚ます。
寝起きだからかまだ視界がボヤけているがスマートフォンの位置は見なくても分かる。
そう思って手を伸ばしたその直後、何か柔らかくて温かいものが俺の腕に当たった。
「んぅ……」
「……!?」
それから聞こえる謎の声。
俺は既にこの声、この感触を知っていた。
というかここにあるはずのない感触だった。
眠い目を擦って無理やり視界を良好にする。
俺の真横には案の定、無防備にパジャマを着崩した椎名えりがいた。
俺は一先ず起き上がり、自分の顔をバシッと叩く。
それから枕を口に当てて一言。
「何でここにいるんだ!」
枕で声量を抑えたものの、それでも俺の声は部屋中に響いた。
俺がそう声を上げるのも当然、彼女──椎名えりが俺のベッドで寝ているため。
俺からしたら何故という疑問しか浮かんで来ない。
確か昨日は夕夏梨の部屋に布団を敷いて寝てもらったはずだ。
寝ぼけてここに来てしまったのだろうか。
「それくらいしか考えられん」
とにかくここにいてはまずい。
もし椎名えりが起きて大きな声を上げてしまい、夕夏梨がここに来てしまったら大惨事である。
ここはゆっくり、慎重に、起こさないように行動しよう。
そう思い俺はベッドの足側の方へと向かう。
シングルベッドなので狭いがそこからなら起こさずにベッドを脱出することが出来る。
「あともう少し……」
あと少しのゴールに気を抜いたその瞬間。
予想だにしないことが起きた。
「んぅ……」
「……!?」
真横に寝ていた椎名えりが寝返りを打ってこちらに体を向けたのだ。
それだけではない、彼女は寝返りと同時に俺の腰辺りに足を回してきた。
そう、俺の体は彼女の足によってガッチリと固定されてしまった。
今の俺は完全に彼女の抱き枕だ。
それに新たな問題が発生していた。
単純にそれは顔の近さ。
彼女の顔と俺の顔の距離はおよそ十センチメートル程しかなく、まさに目と鼻の先にいる彼女からは耳を澄まさなくても可愛らしい寝息が聞こると同時にシャンプーの良い匂いも香ってきていた。
もがこうとすればするほどさらにガッチリと、今度は頭にも腕を回してくる。
男が美少女にここまでされて何も思わないわけがなかった。
「これはヤバイな」
沸騰寸前の頭の中をなけなしの理性で冷まし続け、耐えること数十分。
彼女はようやく目を覚ました。
既にこのときには彼女に大声を上げられるかもしれないという心配はどうでも良くなっていた。
あるのはこの耐久レースに耐えきった達成感と満足感、それだけだ。
「……」
「……」
俺が達成感に浸っている一方でまだ寝ぼけているらしい彼女は初めむにゃむにゃと唸るだけだったが俺と目が合った瞬間カッと目を見開いた。
それから瞬時に辺りの状況を見渡す。
彼女がこの状況を理解するのにそれほど時間はかからなかった。
パッと俺の体を解放したかと思うとすぐさま起き上がり顔を赤くして言葉を紡ぐ。
「これは違うのよ。これは……そう、寝ぼけてここに入ってしまったのよ」
それはそうだろう。
寝ぼける以外で俺の部屋に入ってくる目的が分からない。
「ああ、分かってる。とりあえず下に行くか」
「……」
俺の言葉に彼女は再び顔を俯かせ静かにコクりと頷く。
俯かせた彼女の顔は何故かニヤケていたが気味が悪いため俺は見なかったことにして先に一人自分の部屋を後にした。
◆◆◆
一階に下りてリビングに行くと、そこでは既に制服姿の夕夏梨が朝食の準備をしていた。
「あ、お姉さん。遅かったですね、ちゃんと起こしてきましたか?」
夕夏梨は朝の定番、目玉焼きをフライパンでふっとひっくり返しながら椎名えりに問いかける。
「ええ、まぁ……」
さっきと言ってることが違うじゃないかと椎名えりの方を見ると彼女は少し動揺していた。
どうやら彼女にとっても身に覚えがないことらしい。
もしかしたら、いやもしかしなくても彼女は朝に弱いのかもしれない。
夕夏梨の言葉を覚えていない辺り、頼まれた時も寝ぼけていて、そのまま俺の部屋のベッドに潜り込んでいたとかそういうことなのだろう。
椎名えりの意外な弱点を知れたことで少し得をした気分になっていると夕夏梨が料理の乗った皿を次々とテーブルに運んでくる。
「今日は三人だから少し多めに作りました! どうぞ、お姉さん!」
夕夏梨が持ってきた料理の中にはいつもより彩り鮮やかなサラダがふんだんに乗っているボウルがあった。
結構な量のサラダに驚きつつも俺は取り皿をテーブルに並べる。
それに続いて夕夏梨が目玉焼きを乗せた食パンをさらに人数分運んできた。
「すごいわね。朝からこんなになんて」
椎名えりは驚きを隠せない様子でそんな言葉を発する。
彼女の言う通り、確かに今日の朝食は豪華だ。
普段の倍はないにしろ、それに近いほどの量がある。
きっと張り切ったのだろう。
「夕夏梨は料理上手だからな」
「そうね、私も夕夏梨ちゃんみたいな料理上手な妹が欲しかったわ」
俺と椎名えりがこれでもかというほど褒めるからか夕夏梨はまるで熟れたトマトのように顔を真っ赤にさせていた。
「な、何言ってるの、今そんなこと関係ないでしょ! 早く食べないと冷めちゃうよ!」
そう言って俺達を注意するが、注意する際に指をさしたのはサラダ、温かいもなにもない。
それに気づいた夕夏梨はさらに顔を赤くさせ、しまいには俯いたまま食事を始めた。
「もう先に食べるから。いただきます」
「「いただきます」」
夕夏梨の言葉を皮切りに俺達も食事を取り始める。
初めはかなりの量があったが、三人だとあっという間で二十分もしないうちにほとんどの食べ物が皿から姿を消していた。
「本当に美味しいわ。いくらでも食べられるわね」
「お姉さん、まだ少し残ってるのでどうぞ!」
「ありがとう夕夏梨ちゃん、あとほっぺたに黄身がついてるわよ」
「あ、ありがとうございます」
とにかくこんな賑やかな食事は数年ぶりだった。
たまにはこういう朝食も悪くはないのかもしれない。
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