コミックイベント・オブ・ザ・デッド   

 作:古血

 作者・注(メールの差出人欄に書いてあった名前である。某映画監督の適当な当て字だと思われる)

                この物語はフィクションです。



 俺が即売会の会場に入れたのは、午前十時を少し過ぎたあたりだった。

 場所は駅から遠く、辺鄙な海沿いであった。辺りには強い潮の匂いが漂い、ほんの2~30メートル横は海で、巨大な排水溝がぽっかりと口を開けている。

 正面入り口の上に『××運輸』と巨大に書いてあるこの会場、どうやら元は倉庫だったようである。

 やけにだだっ広く、天井が高い。大体90メートル四方の方形で、窓の類は塩害を防ぐためか鉄板で塞がれている。

 『まるで、値段が高いだけの洋菓子屋の箱詰めみてぇだな』とは、会場入りした時に後ろにいたオッサンが呟いた一言。鋭いのか、ずれてるのかよく判らないが、なんとなく雰囲気は伝わった。

 そんなビッグな会場はスカスカだったかと言えば、あらず。

 出典サークルは数が多く、どぎつい絵の描かれたのぼりをバックに、見てってくださーい! と売り子の皆さんが声を張り上げている!

 それに応えたか、単にいつものアレなのか、開場するや否や、参加者はスタッフの制止を振り切ってバッファローダッシュをかました! 勿論、下がコンクリなのに揺れる錯覚を覚えるのはどういう事なのか、とぼやく俺も走っていた。


 さて、そんな『エロ民族大移動』『欲望大陸パンゲア』などと呼ばれる現象が何故起きたのか、いや、そもそも地方の小さなイベントが何故大盛況なのかといえば、そこら中のサークル、そして今俺が並んでいるサークルが発行した同人誌の題材の所為であろうと推察される。


 この即売会、『618』メインの同人誌即売会なのである。


 まず入り口側半分は『イケゾン』、つまり『イケメンゾンビ』本である。(『イケゾン』の大元はSNS上で提唱された美男子ゾンビコンテストである。そのコンテスト自体は非難が殺到して中止になったが、完全創作という形で草の根で継続、日本の同人界隈で一台ジャンルとして成長し、今に至るらしい)

 そして残りの半分――それが今日の目的である。

 俺の斜め前で値段の書いた看板を掲げる売り子さん。彼女は赤をメインにしたアイドルのステージ衣装を着ている。短いスカートから覗く太腿には、赤黒い傷の稚拙な絵が描かれていた。横には小さく「噛んじゃダメ」「Don't Bite!」という文字。


『HIYODORIゾンビ』。略して『HYD』のコスプレだ。(『HYD』は『618』の時、ゾンビになってしまったアイドルグループ『HIYODORI』のメンバー三人の事を指す。ネットでは彼女達のイラストが爆発的に流行り、成人向けの同人誌も盛んに作られているらしい)


『HYD』同人は人権無視だと騒いでいる人も少なくはない。だが、肝心の所属事務所がゾンビ化した彼女達をしばらく監禁していたっていうクソみたいな疑惑が持ち上がってからこっち、論点が定まらずに今に至るも続いている。

 とはいえ、物が物だから大手の同人通販サイトは取り扱っておらず、実際に現地で買うか、転売ヤーの出品物をオークションで落とすしかない。しかも親族が訴訟の準備をしているという噂もあって、誰もが何となく来年は、『HYD関連』は消滅しているんじゃないかと考えているわけだ。

 つまり、その希少性が、今この熱気を作っているのである。

(実際にHIYODORIゾンビの同人誌などは製作されているのだが、そういった物はイベントでも出品禁止となっている。……表向きは)


 ともかく推しである『とっこ本』を買いまくらなくてはならない。その為に7万も持ってきたのだ。まあ、帰りの独りでグルメ分も含まれているのだけれど。

「こちら、A10。とっこ本まだ買えません。そちらはどうでしょうか、オクレ」

 俺の前にいた完全武装系の男が無線に向かって喋っている。一昔前のオタクはみんなこうだったと聞いたことがあるが、『618』以降は無線を使う人が増えたらしい。

『こちら――A36。まぐね屋行列動かないです。新刊、ヒヨドリ一冊ずつ出てま――なんか、サークルの人が騒いでますね。』

「はー、またトラブルか。まぐねさんとこは相変わらず売り子つっかえねえなあ」

『……ちょっと切りまーす』


 バタンと遠くから音がした。


 見ると、無線で聞いたA36の辺りだろうか、長机の向こう側で人が右往左往している。本が入ったダンボールでも崩れたのだろうか。

 俺は、パネルを確認し、お釣りが無いように財布を開いて小銭を出そうとした。

 だが、指の透間から、百円硬貨が滑り落ちてしまった。

 あっと思うも、百円はすーっと隣のサークルの机の下に綺麗に転がっていく。

「あ! ちょ、ちょっと待っててくださいね!」

 売り子の女の子は足で踏んで百円を止めようとしたが失敗し、俺に笑いかけるとパネルを脇に抱えて、隣のサークルの机に向かう。椅子に座っていた太った男性が、転がってくる百円硬貨を、手を伸ばしてキャッチしてくれた。

「すいません! ありがとうございます!」

 売り子の大きな声に、俺もへらへら笑いながら頭を下げた。

 実の所、エロ同人誌を買う最中なわけだから、こういうのはちょっと恥ずかしかったりする。しかも売り子の女性ににっこり微笑まれて百円を差し出されてしまっては……これがご褒美に感じられるようになるには、まだまだ練度が足りなすぎるのだ。

 だから、俺は何度も頭を下げ、へらへらと笑った。

 そんなシャイボーイの俺の目に妙な物が飛び込んできた。太った男性の後ろ、施錠されているはずの非常用の扉がゆっくりと開いていくのだ。

 ぎぃっと大きな音がして、売り子の女性、太った男性、行列に並んだ皆もそちらを見る。

 半開きになったドアの透間から、ずるりと痩せた男性が入ってきた。


 凄いメイクだ、と最初は思った。

 落ちくぼんだ目に、皺が無数に浮かんだ皮膚。首の右側には大きくえぐれた傷痕。

 痩せた男性が全身を中に入れると、扉はガチャリと締まり、バチンと鍵のかかる音がした。

 一瞬、辺りが静寂に包まれた。

 痩せた男はどろりとした目で辺りを見回し、口を開く。その端から涎がつーっと垂れ、照明がギラリと反射する。

 椅子を蹴倒して、そこらにいたサークルの人達が距離をとった。

 痩せた男は、太った男性の方に一歩踏み出し、呻き声を上げた。


 太った男性は即座に立ち上がると、机の間に立てかけてあったバットを構えた。(大規模なコミックイベントにおいて、618以前はこういった30㎝以上の長物、武器を模したものは持ち込み禁止だった。現在は防犯の名目で事前に申請したものを持ちこめるようになっている)

 行列に並んでいた数人がゆっくりとスマホを構え、カシャカシャと写真を撮った。

「……あれ、本物じゃね?」

 写真を拡大したのか、漂ってきた臭いで判断したのか、それとも本能がそう感じたのか。ともかく、誰かが発したその言葉が拡散するのに時間はかからなかった。

「本物のゾンビかよ。ひっさしぶりに見たなあ……」

「相変わらずクセエなあ」

 俺は振り返った。

 さっきのA36のあたりにも人だかりができている。完全武装の男が無線機を口元に持っていった。

「こっちゾンビ出たわ。本物。臭いわ。そっちは? オクレ」

『こっちも出た。サークル後ろの非常扉からコンニチハってやつ。販売は中止だと。オクレ』

 バットを構えた太った男性と、俺達が並んでいたサークルの主催者の男性も、両手でバツを作った。


 全員が盛大に溜息をついた。

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