幕間・シャンディガフ


 魔獣を倒したマグダレーネは王都内を散策していた。服や装飾品を売っている店に出入りしては、店員に王都での流行を尋ねたり、オープンテラスのあるカフェでお茶を飲んだりして過ごす。


 やがて、陽が傾き空を紅く染める頃、マグダレーネは自身の寝泊まりする宿へと戻っていく。


 そこは先程までいた安宿とは打って変わって、豪華な装いの宿だった。食堂と受付を同じカウンターで済ませるようなものではなく、受付とロビーで分かれていて、食事をする場所も外からは見えないような奥にある。従業員の身なりもキチンと整えられており、受け答えも丁寧なものだった。


 その受付にいる女性の従業員に、マグダレーネは銀色の札を渡す。従業員はそれを確認すると立ち去ろうとしたマグダレーネを呼び止めた。


「あの、マグダレーネ様で合っていますでしょうか?」

「ああ、そうだが……?」


 マグダレーネは、訝しそうな表情を彼女に向ける。


「失礼いたしました。グローサー家のディートヘルム様より言付かっております。『友人と会うので食事は先に済ませてくれて構わない』とのことです。また、ディートヘルム様がお出かけになられてからですが、王宮よりグローサー家の方へと手紙を預かっております。今ここでお渡しすればよろしいでしょうか? ディートヘルム様がお戻りになるまで、こちらでお預かりいたしましょうか?」

「ふむ、手紙は今もらおうか」


 受け取った手紙の封を破って、中を確認するとマグダレーネは眉をしかめた。


「あの……?」

「フッ、モテる女はツラいね、って話さ。綺麗な容貌のアンタにも身に覚えがあるんじゃないのかい?」

「まぁ!」


 マグダレーネの言葉に従業員は口元を押さえ、クスクスと笑う。


「また、すぐに出かけるが、うちの腹ペコどもに十分な食事を用意してやっておくれ」

「はい、かしこまりました」


 そうして、マグダレーネはグローサー家が借りている四階へと足を運ぶ。


 こういった王都にある高級な宿の殆どが、階層毎の貸し出しになっている。利用客が地方の貴族になる為だ。必ず護衛を複数人ともなっているので、どうしても広い空間が必要になってくる。なので洗礼式のある春先が繁忙期になり、今の時期はそれほど忙しくない。


 貴族によっては百人、二百人と護衛を連れてくる場合もあるが、そういう時は信用のおける者だけを高級な宿に連れていき、その他は安宿で済ませたりする。


 王都に邸を持つ貴族もいるが、そういった貴族は王宮や役所などで何らかの役職に就いていて、自身の領地を持たない場合が多い。何の役職も持たない新人貴族は、実家や寮で寝泊まりしている。


 因みに今回のグローサー家の王都来訪は異様に護衛が少ない。エリザベートの洗礼式について来た護衛は二十人で使用人は五人。これも他の貴族に比べれば少ない方だが、今回は護衛八人、使用人が二人。護衛の内、三名は女性である。


 広間に入ったマグダレーネに、五人の女性達が振り向く。手にしていたカードをテーブルに置くと、マグダレーネの元へ集まってくる。どうやらカードゲームで暇潰しをしていたようだ。


「お帰りなさいませ、マグダレーネ様」

「おや? 男どもはディートヘルムに付いていったのかい?」

「ええ、全く嘆かわしいことです。あんなに美しいフロレンティア様がいらっしゃるというのに……」

「きっと、いかがわしい店にでも行くんだわ。いやらしい……」

「ディートヘルムにそんな度胸があるとは思えないがねぇ……それでアンタたちはお留守番ってわけかい? 給金はたんまり貰っているんだろう? 遊んでくりゃあ良かったのに」

「ええ、ですから明日は私たちが出掛けます。連絡の取れない状況にする訳にはいきませんから。それより王宮からの依頼はどうなりました? なんでも魔獣化する恐れありとのことでしたが……マグダレーネ様のお帰りが遅いところを見ると相当、厄介だったのではないかと……」

「ああ、その件に関しては終わったよ。改めてアンタたちの優秀さを知ったところさ」


 マグダレーネの発言に彼女達は首を傾げる。


「ま、詳しくは暇な帰りの道中にでもしてやるさ。これからまた出かけるが、後は頼んだよ。王宮からの呼び出しだ。ディートヘルムが戻ってきたら、そう伝えてくれるかい?」

「まぁ! マグダレーネ様が王宮との折衝はディートヘルム様に任せると仰っていましたから、ドレスを一着も持ってきておりませんよ? ですからあれ程、ドレスをお持ちしましょうか、とお伺いしたではないですか!」

「まぁまぁ、アタシに登城する気が無いってのは、ディートヘルムから伝わっているようだよ? その証拠に向こうが指定してきたのは庶民の店さ」


 そういってマグダレーネは、憤慨している使用人の一人に王宮からの手紙を渡す。


「そういうことでしたら……しかし、マグダレーネ様もスカートくらいはお召しになられたら如何です? きっと街行く男たちが振り返りますわ」

「バカねぇ、そんな恰好じゃいざという時、戦えないじゃないの」

「貴方はそんなだから婚期を逃すのよ」

「フン、結婚なんてまだまだ早いわ! もっとやるべきことがあるんだもの!」

「やれやれ……」


 おなご三人寄ればかしましい、というのは今も昔も変わらないな、と思いながら、マグダレーネは宿を後にする。


 マグダレーネが指定された店に辿り着いた頃、既に日は暮れていた。昼間にあった魔獣出現の事件を知ってか知らずか、盛り場ではいつものように大勢の人で賑わっている。


 そんな盛り場から少し離れてその店はあった。店に入ると客の入りは稼ぎ時にもかかわらず、七割ほどしか埋まっていない。


「いらっしゃいませ。御一人様でしょうか?」

「いや、待ち合わせだよ。ヒットルフの名で席を取ってあると聞いたんだが……」

「はい、ではご案内いたします。こちらです」


 店員に案内された先は、二階にある一番奥の個室だった。壁は板張りで、テーブルを挟んで奥と手前にそれぞれ三人掛けのソファが置いてある。それほど広くないシンプルな部屋で、飾りは天井から吊るされたものと、四隅に置かれたランプだけだった。


 奥側の席に二人の男性が座っている。一人は白髪交じりの黒髪で五十代後半くらいの男性。その口髭や顎髭にも白髪が交じっていた。

 もう一人はスキンヘッドのおかげで見分けがつきにくいが、四十代くらいだろうか。


「おお、よく来てくれた、久しいな、マグダレーネ。さ、そちらに着くといい」

「お久しぶりです、マグダレーネ様」

「ああ、久しぶりだね、白い物が増えて随分と男が上がったじゃないか? で、そっちは何処かで会ったかい? 気を悪くさせてすまないんだが……」


 マグダレーネが勧められた席に着きながら、スキンヘッドの男に問う。彼はプイっとマグダレーネから視線を逸らすと恥ずかしそうに告げた。


「二十数年前に、貴方にコテンパンにやられた、ライナー・ヒットルフと申します。あの頃は自分も若かった……」

「ククク……マグダレーネが覚えていないのも無理はなかろう。印象に残るような強さでは無かったのだろうし、たとえ覚えていても、それだけ禿げあがってしまえば、別人にしか見えぬであろうよ」

「なんだ、ハゲちまったのかい? アタシはまた、覚悟の表れかと思っていたよ……そうか、この男に付いてアンタも苦労しているんだねぇ……」

「ええ、それはもう……」

「おいおい、お前のそれは体質だろうに。後もう一人呼んであるのだが、マグダレーネが来てくれたことだし始めようか。おい、準備を頼む」

「はい、それぞれお飲み物は何になさいますか?」

「ワシにはウィスキーで、此奴には果実水で頼む。マグダレーネはどうする?」

「そうだねぇ……シャンディガフはあるかい?」

「シャンディガフ……ですか? どういったお飲み物でしょうか? 申し訳ありません勉強不足で……」

「ああ、こっちじゃまだ知れ渡っていないのか……良く冷やしたジョッキにビールとジンジャエールを同じ分量で軽くかき混ぜてくれればそれでいいよ」

「ほう、面白そうな飲み物だな、ワシにもそれを追加で一つ頼む」

「はい、かしこまりました」


 頭を下げ店員が退室していく。


「それでどうであった? 報告では魔獣化したと聞いておるが?」

「どうもこうも……ディートヘルムから報告が上がっていただろう? 何故、魔獣討伐に特化した部隊を用意しなかったんだい? うちの警備隊ですら随分と手こずったんだよ? まぁあの時は少数で三体同時に相手したのもあるが……あの中隊じゃ力不足もいいところさ。しかもアタシに付いていた騎士も、影の護衛たちも誰一人として、応援を呼びに行くそぶりを見せやしない。どうなっているのか訊きたいのはこっちだよ」

「うむ……第四騎士団は、警邏隊では取り押さえられぬ犯罪者に対しての部隊だからな。魔獣に対して特化している訳ではない、と知ってはいるのだが……他の騎士団を廻そうにも、互いに強い反発があってな、団同士の横の繋がりに隔たりがあるのが問題よ」

「とはいえ、今回の件も含め王都で起きた五件の事件で、第四はしばらく動けないでしょう。負傷者は多数に及び、死者も少なくない数になります。グローサー子爵領での王女誘拐から始まった今回の件、被疑者が全員死亡という何一つ進展のない物になってしまいました。解っているのは一つだけ。魔獣化したのは王都に所縁ゆかりのある者たちだけという事実です。王都の安全を考えるならば第二、第三を起用するか、各領地に派遣しているいずれかの騎士団を呼び戻すしかないでしょう」

「そうだな……また元老院のボンクラ共と遣り合うのか。今から頭が痛いわい」

「アタシが手を出さずとも、あのまま遣り合っていれば魔獣は倒せたろうね、被害はもっと増えただろうが……第四の団長はどうしたんだい? 団長クラスがいればもっとマシになったと思うが?」

「それが、悪縁というか巡り合わせが悪いとでもいうのか、アヤツは今、病に臥せっておってな……医師の話ではもう長くないそうだ。それもあって、後釜に収まろうと功を焦り、他の騎士団を拒むのだ。騎士団では家格は関係なく、その実力で地位を得るという仕組みは悪くないとは思うのだが、今回はそれが良くない方に働いてしまったのだ……」

「騎士団の面子や、のし上がりたいという気持ちは分からなくもないが、それじゃあ、下の者が憐れだよ」

「そうだな……」


 そこへ料理や飲み物を手にした店員達が戻ってくる。それぞれ注文した飲み物を手に、軽く持ち上げた。


「おや? アンタ、毒見はいいのかい?」

「フン、自分の店だぞ? 信頼できる者しかおいとらんわい。そんな中で毒殺されるようなら、王宮で何度も死んでおるよ」


 そういって彼はシャンディガフを口にする。


「あきれた……の店だったのかい。それにしちゃあ、随分と質素な造りだが……」

「王宮に居れば逆にこういうものが新鮮に見えるのだよ。ふうむ、こいつは中々美味いではないか。若いおなごが好みそうな味だな。ただ酒精が随分と弱くなるか……」

「まぁね。こいつはうちの次期領主、フロレンティアのビールは苦手だってのを聞いたその娘、エリザベートのおかげで生まれたようなものさ」

「ほう? 破格の魔力量の持ち主だとは聞いていたが、この様な新しい物を造る才能もあるのだな?」

「いや、生み出したのは領民さ。去年の収穫祭で『誰が一番美味いビールを造るか』なんていう催し物から生まれたんだよ。企画したのがエリザベートで、悪ノリしたのが庁舎の者たちさ。で、フロレンティアに一番美味いとされたのがこのシャンディガフさ。名付け親はエリザベートだがね」

「成る程……今年はどの様な催し物をするのだ?」

「さぁてね? アタシは聞いちゃいないが、フロレンティアはもう二度とやらないと言っていたよ。ゲテモノもいくつか混じっていたそうだ。エリザベートも今頃は訓練でヘトヘトになっているだろうしさ」

「そうか、魔術を扱う年齢になったから洗礼式に来たのであったな。ワシの店でも真似をするか、造り方も簡単だし。明日にでもディートヘルムの奴に情報提供料として、エリザベート宛への幾ばくかの金を渡しておこう。さすればエリザベートも気を悪くしないであろう?」

「別にこの程度の情報で金をせびる様な娘じゃないがね。まだ、顔も見ていないんだろう? きっと驚くだろうよ、トルデリーゼの生き写しさ。性格は全く違うがね……そういや、未だにトルデリーゼの件でフュルヒデゴットと仲違いしているのかい?」

「いや、トルデリーゼの葬儀の際、和解は済ませておる。そう見せているのは、いざという時の為、所謂、政治というものだな」

「そうか、相変わらず難儀な生き方をしているねぇ」


 感心しているのか、非難しているのかよくわからない呟きをマグダレーネが洩らすと、店員の案内で新たに一人の男が入室してくる。三十代くらいの彼は青い髪をオールバックにして少し太っていた。


「やや、もう始まっているではありませんか。これは酷い。いくら王の所業とはいえ、慌てて仕事を片付けてきた臣下に対する仕打ちとは……ああ、君、僕は赤ワインね。ホラ、急いで急いで」


 店員に注文をすると、すぐさまマグダレーネの隣に座り、早速、並んでいた料理の一つを口にする。


「出たよ、諸悪の根源が……」


 マグダレーネが眉間に皺を寄せ男を睨む。男は何が気に食わないのだろうと首を傾げた。


「……はて? 貴方に非難される謂れはないはずですが……?」

「惚けるんじゃないよ。アンタのせいでアタシはやりたくもない、騎士団の尻拭いなんてさせられたんだからね? ったく前のジジイの方が百倍もマシだったよ」

「師匠は秘密主義でしたからなぁ。その点、僕は陛下の忠実なる臣下という訳ですよ。王にマグダレーネ様からの重要な情報を報告するのは当然の義務です。そこから貴方が現在、王都にいると伝わるのは自然の成り行きというものですな」

「前任者のゲレオンがマグダレーネから提供された、珍しい魔獣の素材を大量に隠し持っていたのには驚かされたがな。おかげで寝ずの事後処理に追われる日々だったわい。しかしな、ヨハン、いくら報告するネタがないからと言って、魔導局で飼っている猫の報告なんぞしなくてよいのだぞ? 危うくマグダレーネの滞在を見逃すところであったわ」

「むむむ……それは聞き捨てなりませんなぁ、日々、執務に忙殺されている王に少しでも和んでいただこうと苦心して書き上げているというのに……それはそうと、マグダレーネ様。聞くところによるとグローサー領の食事は絶品だとか。半年前に行った部下たちが絶賛していましてな、王太子も執務を放棄して幾日も滞在したそうではないですか? ホントのところはどうなのです?」

「さぁ? 人の好みはそれこそ千差万別だろうよ。ただまぁ、アタシは自分の領が一番だとは思っているがね」

「王よ……」

「ならぬ」

「まだ何も……」

「抜け駆けは許さん。何よりワシがもう一度、行きたいのだからな! アルブレヒトなぞ毎日のように料理人に難癖つけておるのだ。余程、美味かったに違いない」

「もう一度って王は行かれたことがあるので?」

「ああ、あの時は食事を楽しむ余裕がなかった……代わりにマグダレーネからシャンディガフという飲み物を教わったのだ。今はそれで我慢せよ」

「ったく、こっちはアンタらの惚けた会話を聞きに来たんじゃあないんだ。それで、どうだったんだいアレは?」

「そうでしたな、マグダレーネ様が持ち込んだ死体から興味深いものが出てきました。現物は保管庫にしまってあります。盗難や破損の恐れがありますからな。絵の得意な者に描かせてきましたが、実物が見たいのであれば魔導局までお越しください」


 彼は懐から一枚の紙を取り出すと、テーブルの上に広げた。そこには宝石のようなものから小さな棘がいくつも飛び出している絵が描かれている。


「材質は魔石に似ているかと。同時に持ち込まれた薬品も少量かけてみましたが、何の反応もありません。また、魔石に似ているところと、人体にあったことから、魔力を充てて薬品をかけてみましたがこちらも同様でしたな」

「なんだい、何も分かっちゃいないじゃないか?」

「研究なんてそんなものですよ。分からないことが解明される。この間にはそれなりの時間が必要という訳ですな。飽くなき探求心が無ければ魔導局なんぞ務まりませんよ」

「また厄介ごとが増えたか……今年に入ってから色々と巻き起こるものよな……」


 王の呟きにその場にいる誰も明確な解決法を提示できなかった。そうして夜は更けていく。



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