グローサー子爵領都
街道に沿って大きな川が流れている。川の幅は百メートル以上あるだろうか。街道には河川敷に降りられる石の階段があり、対岸の河川敷では子供達が何人もいて、何やら遊んでいた。
川の上には街道から繋がる立派な石造りの橋が架かっていて、その先に大きな壁に囲まれて、赤い屋根の建物が幾つも並んでいるのが見えた。
「レオ様、これから、オイとかお前、レオと呼び捨てにする場面があると思いますが、お許しください」
「ああ、いいよバレない様にだね。じゃあ俺はユッテ様って言えばいい?」
「おやめください、普通にユッテで構いません」
石造りの立派な橋は幅も広く、馬車用と歩行者用で区分けがされていた。
橋を渡り、門まで来ると武装した門番が数人いたが、特に質疑応答がある訳でもなくそのまま通れた。門をくぐるとその正面に大きな建物があり、馬車は一度そこに寄ってから街の中へと向かう様だ。
俺達は、その建物を避けるように左手へ折れ、少し坂になっている石畳の道を進む。
やがて、人通りが多くなり、馬車も行き交うような大きな通りへと出る。基本的に建物の壁は白く、大体が三階か四階建てで窓が幾つも並んでいた。多少、大きさの違いはあるが、どれも似たようなデザインだ。
「おー、結構人がいるね」
「日中ですから、少ない方ですけどね。何処か行きたい所はございますか?」
「ん~特には思いつかないや。今日は何処に何があるかの案内だけでいいよ?」
「分かりました」
そうして、広い道を進んで街の中心へと向かう。
途中、建築中の建物を魔術を使って建てている場面に出くわした。
木材の枠組みに、側に置いてある石材を用いて壁を造っているのだ。大小、大きさの異なる石が、魔術によって整えられ、綺麗に嵌まっていく。魔術のある世界ならではの建築風景に感心する。
「あんな風に建物を建てるんだね」
「ええ、土の魔術は庶民の間では人気ですからね。他にも、道路や街道の整備、農作業なんかで役立ちます。土魔術さえ覚えられれば暮らしに困るようなことは無くなるそうです。まぁそれでも、それなりの魔力量が無いと話になりませんが」
「へぇ」
そんな話をしながら町の中心部へと辿り着く。四つの大通りが交差するその広場には、中央に噴水があり、周りにはベンチや花壇がある。今は、昼間なのであまり人はいないそうだが、俺からすればそれなりに人が居るように思えた。
俺達が通ってきた大通りの対面にあたる、噴水の向こう側の大通りの奥に、小高い丘の上に建てられた四角い灰色の大きな建物が見えた。
「ここが中央広場とか噴水広場と呼ばれる場所で、よく待ち合わせなんかに使われます。もうそろそろ露店なんかも出て来る筈ですがまだのようですね。もしアタシとはぐれてしまっても、ここにいて下されば必ず迎えに上がりますので、この場所だけは覚えておいてください」
「分かった、あの四角い建物は何?」
「あちらは、子爵領庁舎ですね。あそこで領主様を始め様々な方がお勤めになられてます」
そんな風に説明を受けていると、声を掛けられた。
「すまない、少しいいだろうか?」
振り返ると、ユッテよりも背の高い栗色の髪をした鎧姿の女性と、俺と同じ年くらいの黒いしっとりとした髪の女の子がいた。
女性の鎧は少し青く光沢があって綺麗に見え、複雑な模様が刻まれている。塗装に依るものなのか、そういう金属なのかは不明だが、卸したてなのかなと思わせた。女性なのに凛々しさを感じさせる彼女は、恐らく隣にいる女の子の護衛だろう。
女の子の方は白を基調としたピンクのフリルが沢山付いた衣装で、無駄な装飾が多いという印象だ。何か良い事でもあったのかニコニコと微笑んでいる。二人とも高貴な出の者なのだろう。
今、この街にいる高貴な者と言えば、王太子一行か神殿の関係者だろう。面倒な人達に絡まれたなぁと思っていると、ユッテが応じてくれた。
「どのような御用でしょう?」
「この街に“ミルフィーユ”というものを食せる店があると伺ったのだが、どの辺りに在るのか知らないだろうか? 我等はこの街に不慣れでな……」
「ミルフィーユ……いくつか候補の店がありますが、店名は分かりますか?」
「確か、黄金の林檎亭だったかな?」
「ああ、金の林檎亭ですね。ふむ……」
そう呟くと、ユッテは二人をジッと見つめる。何に納得したのか分からないが、軽く頷くと身振り手振りで説明しだした。
「その店ならこちらの大通りを進んで行って……」
「あの、もしよろしければ、ご一緒してくださいませんか?」
「……かしこまりました」
女の子の要望で店まで一緒に行く事になってしまった。相手は見るからに貴族。対して俺達は平民風の格好をしているので、逆らえそうにない。
前世では身分差、というものは無かった。
金持ちと貧乏人、社長と平社員、有名人と無名の一般人。格差社会ではあったが、格下の者が格上の者の誘いを断っても罰せられたりはしない。まぁ出世に響いたり、SNSで叩かれたりはあるようだが。それでも罰を受けるのは、明確な犯罪行為だけであった。
それがこの世界では、俺が子爵家の生まれだというだけで、多くの大人達が
そんな風に気を引き締めて、ユッテの後についていくと女の子が話しかけてくる。
「ねぇ、君はミルフィーユを食べたことはありますか?」
「うん、じゃない、はい、ありますよ」
「やはり……それでは他にどのようなお菓子があるのかご存知?」
「他に……クリームブリュレとか?……でしょうか」
「まぁ、クリームブリュレですって。どんなお菓子なのかしら? リーナ、この領はとても素敵だと思わない? 平民の方でも美味しいお菓子を知っているのですもの。ああ、わたくしもこの領に生まれたかったわ」
「でん……お嬢様、そんな風に仰っては御両親が悲しみますよ……」
女の子はまだ見ぬお菓子にうっとりしているようだ。
姉も、午後のお菓子の時間は楽しみにしているようなので、女の子とはそういうものなのだろう。
前世でも美味しいスイーツのお店なんかが、テレビや雑誌、ネットで紹介されたり流行があったみたいだし。その上“美味しく食べて美しく痩せる”といった嘘かホントか分からない広告に踊らされて、様々なダイエットをするのだ。古代ローマ人は吐いてまで味覚を楽しんだと言うのよりマシなのだろうが、俺にはよく分からない感覚だ。
それよりも少し気になる事がある。深夜の森で培った感覚だけど、背後から複数の視線を感じるのだ。これが、どういった人物からの視線なのかが分からない。あからさまに振り向いて確認すると、女の子はともかく、彼女の護衛であろう女性に不審がられそうなのでやめておく。
噴水広場からついて来ているので、この女の子達に関係するのだろう。それが唯の好奇心、或いは隠れての護衛目的ならいいのだが、何か危害を加えると言った犯罪目的だと厄介な事になりそうだ。
そうなった場合、女の子には悪いが、ユッテの安全を優先させてもらう。
道中、女の子に他にどんなお菓子があるのか尋ねられたが、ユッテの方が詳しいので、途中からユッテに任せてしまった。お菓子の種類は幾つでも挙げられるが、味の感想を求められると、ふわふわして甘くて美味しい、と全て同じになってしまうのだ。
やがて、やけに人が集まっている一角に辿り着く。辺りの様子からしてここらは高級な店が多いようだ。
行き交う人や店員の服装が小奇麗になっているし、店先も何に使うのか分からない、綺麗でオシャレな物が並べられたり、飾られたりしている。先程ユッテが頷いたのも、高級な店に相応しいかどうかの確認だったのだろう。
「ここからでは見えにくいですが、林檎に矢が刺さっている看板があるのが分かりますか? あちらが件のお店、金の林檎亭になります。それでは私たちはこれで……」
「ああ、わざわざすまなかったな」
「あの、良ければわたくし達と……」
女の子が何か言いかけた時、ワァッと集まっている人達から歓声が上がる。背が低いのと人垣のおかげで何が起こっているのか分からない。
どうも、金の林檎亭と呼ばれた店から誰かが出てきて、その動きに合わせ人垣が割れているようだ。その流れが馬車道に停めてある二頭立ての馬車に向かっている。青い服を来た人達が周囲の野次馬を抑えだす。
顔は見えなかったが、赤いマントを纏った人物が馬車に乗り込むと、それに続く、父と母の姿があった。一瞬、母と目が合った様な気がしたが、気のせいだったらいいな……
最後に灰色のローブを頭まで被った人物が乗り込むと、馬車がこちらに向かって動き出した。先日、湖に炎の球を投げ込んでいた人物かも知れない。間もなく“春の半ば”の季節になるのに暑くないのだろうか?
先程聞いた庁舎へ行くのか、宿に戻るのか、或いはまた別の店へ向かうのか。行き先は分からないが、母に見つかりたくないのでユッテの背に隠れる。
馬車の動きに合わせて人の群れもぞろぞろと移動しだす。群衆に飲み込まれると人々の話声が耳に入ってきた。王太子が手を振ってくれたとか、目が合ったとか。どうやら王太子が近くの店に来ていたみたいだ。
中には相変わらず母は美人だとか言うものまであった。途中、うぐっと小さな呻き声が聞こえた気がしたが、話声や雑踏の音にかき消されてしまった。
漸く人の群れが通り過ぎると、視界の端にしゃがんでる人がいるのに気付いた。膝をつき左の脇腹を押さえているのは、女の子の護衛についていた女性だった。
慌てて駆け寄ると、ユッテも気付いたのか駆けてくる。女性の脇には丁度鎧が覆っていない部分に刃物が刺さっていた。彼女が刃物を抜こうと柄を握ったので声を掛ける。
「そのままにしておいた方が、出血は抑えられますが……」
「い、いや……毒が塗られている可能性がある……ぐっ!」
そんな可能性もあるのか。女性が短剣を引き抜くと大量の血があふれ出す。
「ユッテ、応急処置を! 俺は近くの人に救助を頼んでくる!」
「は、はい!」
女性をユッテに任せ、側にある店に飛び込む。ぎょっとした店員達に目を向けられるが、構わず大声をだす。
「今、路上で女性が刺されました! 誰か医者の手配を!」
「なんだって!?」
皆、慌てて店を飛び出し、ユッテと女性が蹲っている方へ向かって行く。
「こりゃ酷い……おい、アルミンひとっ走り先生の所へ行ってこい!」
年配の男性が青年に声を掛けると、彼は何処かへ向かって走って行った。そうか、この世界だと電話も救急車も無いんだったな……なんとか助かればいいのだが……
騒ぎを聞きつけた周囲の店からも人が集まりだした。
そして通りの遠いところから、複数人が駆け寄ってきているのが見える。なかなかの速さだ。恐らく、女の子を陰から護衛していた人達が、身体強化を使っているのだろう。
彼女を刺した人物の仲間だったら、こちらに向かって来る理由は無い。犯人の目的であろう女の子は、影も形も無いのだから。
俺は集まってきた人混みに紛れ、彼等とは逆方向へと抜け出す。周囲の注目が刺された女性に向かっているのを確認すると、そっと店と店の間の路地に忍び込んだ。
魔力を脚に込め、パルクールで店の壁を駆け上がっていく。屋根の上へと出ると、スマホを具現化した。
「さっきまで一緒にいた、黒い髪の女の子を検知」
女の子が魔力症を終えていれば反応がある筈。まだ罹っていないか、或いは既に……
「了解。……現在の検知範囲に反応は在りません」
「チッ」
思わず舌打ちが出るが、更に魔力をスマホに流し込む。
「検知範囲拡大中……反応確認。距離1974リロ。南南東方向を更に移動中」
「よし、生きてたか!」
辺りをキョロキョロと見渡す。
「ここだと東西南北が分からないから、左右での音声指示、あと地図を」
「了解」
スマホの指示に従い、屋根の上を駆けて行く。途中、黒い外套を身に纏うように具現化しフードを被る。
走っていると時々、ズルっと足元が滑るが、体勢を崩しながらも走り続ける。屋根の上を走るのはあまり賢い選択ではないようだ。出来るだけ人目に付きたくないので仕方がない。
あの短時間で、二キロ近く移動しているという事は、相手は身体強化を使っているのか、それとも何か移動手段があるのか……力いっぱい踏み出し、屋根の一部を壊しながら、通りを挟んだ向かいの建物に飛び移る。
俺が今日初めて会った女の子を、探し出さなければならない理由は無い。本来なら彼女の護衛達の仕事だろう。俺もユッテも無事だったのだ。これ以上関わらないのが
祖父や母に聞いた話だが、洗礼前の子が事故や事件に合っても加害者は罰せられない。変わった法律だが、同じ年位のあの女の子を攫った犯人も罰せられないのだろう。別に正義感からとか義憤にかられたとかじゃない。
ただ、そう思うと、なんだか胸の内にモヤモヤしたものが湧いてきて、居ても立ってもいられなくなったのだ。
「報告。対象が移動を停止。距離213リロ」
「分かった。後は地図だけで確認する」
屋根の淵から下を見下ろし、人が居ないのを確認してから路地裏へと飛び降りる。
様子を窺いながら、通りの方へ向かう。歩いている人は少ないが、多くの馬車が狭い通りを行き交っていた。
辺りの建物は少し古く、大きなスライド形式の重そうな扉は金属製で所々が錆びていた。そんな建物が幾つも並んでいて、開け放たれた大きな搬入口から馬車が出入りしている。
一棟、中の様子を窺ってみると、屈強とまではいかないまでも、ガタイの良いオジサン達が馬車から、木箱や大きな
この辺りには倉庫が集まっているようだ。
スマホの画面で確認しつつ、再び路地裏へ入っていく。複雑な順路で進んでいくと、古びた小汚い木造の建物が増えてきた。
周囲に人の気配は無く、寂れた様子に、少し前まで賑やかな通りに居たのがウソのように感じられる。同じ街の中なのに、場所によっては全く雰囲気が異なるのが意外だった。
そうして、女の子の反応がある建物に辿り着く。
さっき見た倉庫は、大きな金属の扉と石の壁でしっかりしている感じだったが、この建物は木造で、搬入口もその側にある通用口も木製でなんだか頼りない。使われなくなったので放置しているのか、何か別の使用目的でもあるのか分からないが、少なくとも犯罪目的で建てられた物ではないだろう。
スマホの画面でマップを確認すると、女の子の反応ともう一つ、恐らく犯人であろう魔力反応があった。
映画やドラマなら、頭の良い主人公が機転を利かせて犯人を出し抜き、スマートに女の子を救助するのだろう。でも、俺にそんなつもりはなかった。
ふと、姉との会話が頭をよぎる。
「おりゃ!」
魔力を込めた足で、通用口の扉を蹴飛ばす。
案外、俺も
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