第254話 迷子

 それより少し前、閑散としたコルベルカウダの港には、ユウとモチと、N・Sカラスがいた。

 それぞれが、それぞれに頭を悩ませていた。

 モチの悩みというのは、まだわかりやすい。

 それはもちろん、ユウのことだ。

 かつてモチは、ハサンと話し合った。

 男は女を守ろうとする。ララが危機におちいれば、ユウは翼を求めるだろう。そして上手くいけば、自分を取り戻してくれる、いや、自分を見つけ出してくれるかもしれない。

 しかし、現実はどうだ。

 青空やコルベルカウダの金環を観察させてくれた窓にはいま下界の様子が映し出されているのだが、それをながめて苦悶の表情を浮かべながら、なお状況打開の一手であるN・Sには目もくれないとは……。

 ムウ。

 モチは硬い床の上で足踏みをした。

 咳払いのようなことをして、わざとユウの視線を誘導してみたが、これもまったくの無駄骨であった。

 ムムム。

 これが意識的な無視ならば説教をする気にもなるのだが、そうでないのだから困る。

「ユウ、助けに行きましょう。ララです。ララを助けにです」

「ああ、行こう! ……でも、どうやって」

「N・Sが」

「N・S?」

「これです。見えますか、これです」

「これは……」

「行きましょう」

「……違う。これは違う、これは」

「ユウ」

「考えよう。きっとなにか手はあるはずなんだ。ララを助ける手が」

「ユウ……」

 考えてみれば、これはまったくおかしなことなのである。

 アレサンドロと話せば、仇討ちとメッツァー・ランゴバルトについてなにか聞かれるかもしれない。避けよう。

 ハサンと話せば、なにかうがった分析をされるかもしれない。避けよう。

 家族連れや神殿は、なにかを思い出すトリガーになるかもしれない。避けよう。

 N・Sカラスは、もちろん避けよう。

 過去と真実につながりそうな道は、すべて避けよう。

 自身を魔人だと認めたくないあまりにそのような逃避をくり返し、人間関係も、なにもかもをこじらせてしまったと思われているのがいまのユウだ。その忌避行動の対象外となっているのが、ララとモチである。

 ……はて。

 モチはこれに気づいたとき、首をかしげたものだ。

 その法則にのっとって考えるならば、真っ先に避けられるべきは自分ではないのか。

 半鳥半人。N・Sカラスの翼。

 ユウが避けたがっている要素が、自分の中にはこれでもかというほど詰められているのではないのか。

 ……一心同体。絆。友情。

 モチはそんな言葉を信じたかった。

 だからいま、巣から落ちたカラスの子どものようにおろおろと混乱し、ただうろたえるユウの姿を見ても、やはり、それを愚かだとさげすむ気持ちにはなれないのだった。

 そのユウを、痛ましい、いとおしいと思うのだった。

「わかりました。一緒に考えましょう、ユウ」

 モチが近づくと、ユウは手を差し伸べて、その身体をすくい上げた。

 羽毛に顔をうずめ不安げなユウを、モチは心の腕で抱きしめた。

「モチ」

「はい」

「モチ……」

「なんです」

「……行かないと」

「ええ」

「ララ……アレサンドロ……」

「え?」

 ユウが、ララ以外の心配を?

「違う。俺は、違う……!」

「いいえ、違いません、あなたは……!」

「やあ、見ないと思ったらこんなところにいた」

 あ、と、小さな悲鳴を上げて、ユウはモチを取り落とした。

 こつ。

 こつ。

 こつ……と。

 いまは運行を止めてしまったエレベーターのかげから、時を刻むように響いてきた靴音は。にじみ出てきた白い影は。

「エディン……!」

「エディン・ナイデル!」

 それは、魔人オオカミの狂信者。大量虐殺の大罪人。

 左腕と顔面を失いながら、いけしゃあしゃあ、何食わぬ顔をしてよみがえった男。

 超小型光炉を心臓がわりに埋めこまれた、ジョーブレイカー、シュナイデに次ぐ第三の超人。

「うふ、ふ、ふ」

 モチはユウをかばって一歩進み出た。

「おや、どうしたの、カウフマン。頭なんてかかえて、風邪でも引いてしまったの」

「そんなことはどうでもよろしい。それよりも、あなたはどうしてここに」

「どうして?」

 例の鎧姿のエディンは、柳のように身をくねらせて笑い出した。

「どうして、ね。……それは、どのようにしての意味? それとも、どうするつもりでという意味? 前者なら話は簡単だ。オオカミ様はなんでもご存知。後者なら、これも簡単だ。オオカミ様のお城に巣食う、ダニを掃除するために」

「……ダニ」

「ねぇ、デローシス五一二号君、あのエレベーターはどうやって動かすの」

「オオカミ様にでも聞けばいいでしょう」

「うふ、ふふ……」

 モチは答えながらあとずさった。ユウのすねのあたりを背中で押しつつ、N・Sカラスのところまで。

 いざとなれば自分だけでもN・Sに乗り、ユウを逃がす覚悟であった。

「ねぇ、カウフマン、本当にどうしてしまったの」

 ユウは恐怖に身を震わせた。

「カーウフマン?」

「止まりなさい、エディン・ナイデル!」

「あは」

 そのときユウは、N・Sカラスの裏側へ駆けこんだが、それと同時にエディンの姿も、モチの前から、ふいと消えた。

 そして、

「あ……!」

 カラスの装甲に、どんと突き当てられた手によって、ユウの進路ははばまれていた。

 とっさに戻ろうとすれば腕を取られ、ユウは激痛に悲鳴を上げた。

「カウフマン、どうして逃げるの」

「エ、エディン……」

「おかしいな。まるで、別人だ」

「離せ……!」

「どうして。君は自分がダニではないとでも?」

「あ、ああ……!」

「ユウ!」

 モチが頭の上でばさばさとやったが、エディンは動じるどころか払いのける気配さえ見せない。ユウの喉輪に指を食いこませ、ぎ、ぎ、と、命をもてあそぶ。

「ああ、それとも」

 と、狂人は思いついたように赤い唇を耳に寄せ、

「私の、『着替え』になってみる?」

「……あ」

「着替え。君を着て百人も神官を殺したら、あの聖乙女はどんな顔をするだろう。それか彼女の寝所に忍びこんでみたら。うふ、ふふ、それもいい。ねぇ、聞いているかい、カウフマン。それとも、もう死んでしまったかい」

「……エ」

「針一本で君は私だ。もちろん知っているだろう、ねぇ?」

「……」

「カウフマン、ねぇ、ヒュー・カウフマン。無力な君。無様な君。無能な君。無知な君。ああ、なんて、かわいそうなんだろう」

 ユウは必死にもがいたが、両手を使ってエディンの親指にさえ勝てないのだからどうしようもない。

 そのうち腕が重くなり、あとはもうわけがわからなくなった。

 自分はまだ両足で立てているのか、それとも……。

「やっぱりいらないか」

 ユウは顔を差しつけて密着する男の身体から、むせ返るような血臭をかぎ取った。

 その額には鳥のかぎ爪が、目を覆いたくなるほど深々と食いこんでいた。

 ……ああ。

 エディンの顔に重なって浮かび上がってきたのは、逆立った縮れ髪に、薄い眉、左目からだらだらと血を流した……、

「メ……」


 アアァァー……!


「……おや」

 エディンの指が手応えを失った。

 目をむいたまま絶息しかけていたユウの身体が、弱々しく輝いて消えたのだ。

「ふぅん」

 N・Sに乗ったのか。

 この場合、そう考えるのは当然だ。

 しかし。

「ホ?」

 モチは首をかしげた。

 N・Sカラスは、いつまでたっても動かなかった。

 そのときユウは、自分の身体が弾けて溶けてしまうような……水の中の角砂糖になってしまったような、そんな夢を見ていた。

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