第251話 夢
ここへ至るまでの道のりが、どれほど遠く、険しいものであったか。
奴隷と帝国が戦った先の戦、あるいは、北方アルデン聖王国の陥落。それらがまず物語の種となって大地へと落ち、長い年月ののち、N・Sオオカミ、N・Sカラスという形で、大きな大きな芽を出した。
そこからはじまった逃走。
出会い。
懊悩。
決起。
死闘。
真相。
コルベルカウダ。
アレサンドロは駆け続けてきた。
つまずきながらも、強く、進み続けてきた。
『オオカミ!』
獅子王は、ジャンプ一番。
大地を揺らして、セロ・クラウディウスこと、魔人オオカミの目の前に着地した。
『オオカミ……』
「よく来てくれた、アレサンドロ・バッジョ」
言葉をかわしたふたりの間に、激しい敵愾の火花が散る。
いま互いの目の前にいるのは、魔人を愛してやまない男でも、その好意を受けるべき魔人でもない。道を行こうとする者と、はばもうとする者。
敵と、敵だ。
『……』
アレサンドロは、ちらり、クラウディウスの背後に立つ、人形のような鉄仮面へも目を向けた。
「……」
アレサンドロの胸に、今度は深い罪悪感と、憐憫の情がわいてきた。
……カラス。
仮面の下の表情を想像するだけで、心臓を絞られる思いがする。
ハサンの言うことが確かならば、カラスはある意味アレサンドロのために、こうして心をつぶされるような目にあわされたのだ。
ただジャッカルを誘い出すために。
魔人城コルベルカウダを呼び出させるために。
と……。
どのような想いが通じたものか。鉄仮面の腕が重たげに持ち上がり、その仮面を無造作に脱ぎ捨てた。
長い、腰まであるような濡羽色の髪が、女の首振りに合わせて波打った。
……おお。
なつかしげにうめいたのはコウモリだ。獅子王の背後でL・J群を牽制しながら、その目はしっかりと女を映している。
これに見ほれてしまったのはアレサンドロも同じで、あの黒髪のひとふさにでもふれることができるなら、額を地べたにこすりつけてもいいとさえ感じてしまった。もう一度会えればそれで……などと思っていた自分がおろかしかった。
それだけではもう満足できないところまで来ていることに、いまさらながら気がついた。
欲しい……!
耳の奥に響いた内なる声が、アレサンドロを一歩、前進させた。
「おっと、待ちたまえ」
『ああ?』
立ちはだかったクラウディウスを、アレサンドロはにらみつけた。
しかし、もちろんクラウディウスは、いつものどうということはないという顔をして、
「忘れたかね。確かに私は、君にこの女をやると言ったが、協力の礼だとも言ったはずだ」
『……』
「コルベルカウダを置いて去りたまえ。その、N・Sもだ」
『……』
「それで幸せが手に入るなら安いものだと思うがね」
『おい、オオカミ』
「ん?」
『なめたことを抜かしてんじゃねえぞ』
クラウディウスは眉間にしわを寄せたが、それは楽しがってそうなったらしかった。
『てめえから許しを得なきゃならねえことなんてな、ひとつとしてねえんだ』
「では?」
『失せるのは、てめえだ。そこを……どきゃあがれぇッ!』
気合一声。
獅子王は、ぐんと地を蹴り、腕を伸ばした。
全身のばねを目一杯に使い、
『来い、カラス!』
うつろな目を泳がせている女が、自ら手を差し伸ばしてくれることを願いながら。
『カラス!』
と……次の瞬間である。
なにかが光った、と、思う間もなく、
『!』
アレサンドロはあご下に強烈な一発を受けて、宙をきりきりと舞っていた。
『アレサンドロ!』
落ちた獅子王のもとへ、N・Sコウモリが駆けつける。
アレサンドロは幸い無事であった。
『い、つつ……なんだ、なにが起きやがった』
『オオカミだ』
『オオカミ?』
半身を起こして、アレサンドロは、はっとなった。
拳を鳴らすような格好をしてそこに立っていたのは、まさに、N・Sオオカミ。戦がはじまるにあたって指輪ごと叩き返してやった、あのN・Sオオカミである。
いや、しかしそれにしても……オオカミとはこのようなN・Sだっただろうか。
獅子王をはじめて見たときに感じた神々しいばかりの圧倒的威圧感。それに近いものが白銀の機体からあふれ出している。
『当然だろう』
N・Sオオカミの中のオオカミが、アレサンドロの心など見透かしたように言った。
『これが、本物というものだ。いいかね……』
N・Sには、魔人が人化する際に失った、本来の野性の力が組みこまれている。
つまり、N・Sオオカミは魔人オオカミによって完成し、魔人オオカミはN・Sオオカミによって完成するのだ。
ただ乗ることができたというだけのアレサンドロと自分。比べようとすること自体馬鹿馬鹿しいと、オオカミは笑った。
『そして!』
と、諸手を広げた姿などは、為政者の演説を思わせた。
『私が君をおそれない理由もそこにある。君は所詮、獅子王ではないのだ』
『……!』
『獅子の皮をかぶった人間だよ。ハ、ハ、ハ!』
このときのアレサンドロの気持ちがどのようなものであったか。胸の八割を占めたのはくやしさで、残りの二割は悲しさだった。
……人間。
ジャッカルやクジャクの使うこの言葉は、決して蔑称などではない。
しかしいま、オオカミの使ったこの言葉は……。
『だから、どうした!』
アレサンドロは叫んだ。
叫べ、と、背中を押されたようでもあった。
『人間だからどうした!』
獅子王もまた咆哮した。
いったい、人間のなにが悪い!
……あ。
気づけばアレサンドロは、上下左右のない金色の海の中をたゆたっていた。
獅子王に乗りはじめたころにはよくこの感覚、大いなるものから切り離されてしまったような感覚を味わっていたものだったが……おぼれるのではなく、不思議とおだやかに浮いていられるのが、そのときと違っていた。
おいおい、勘弁してくれよ、獅子王。
アレサンドロは苦笑した。
俺にはまだ、やらなきゃならねえことがあるんだ。
ここで降りろなんて言ってくれるなよ。
なあ?
このとき海が、ぐうんとうねった。
『待て、人間のなにが悪い』
……?
『俺は知っているぞ。人間の強さを、美しさを』
誰の声だ?
『異種であることが駄目だと言うのなら、どうして我々は人間の姿に生まれ変わったのだ。ジャッカル』
これは……!
『は……!』
アレサンドロは覚醒した。それは一瞬の夢であった。
オオカミはまだ嘲笑をおさめたところで、N・Sコウモリの手はトリップする前と同様に、獅子王の肩にかかっていた。
いまのは……。
熱くなるはずのない胸の重光炉が、じん、と、熱を持ちしびれている。
アレサンドロは、拳を握ったり開いたりしてみた。
自身の手と獅子王の手。先ほどまでは、ひとまわりもふたまわりも大きさが違うような気がしていたが、いまはその差をほとんど感じなくなっていた。
『さて……』
オオカミが手を打った。
『君にその気がないというのならば仕方がない。そろそろ、この話も終わりにしようか』
この言葉を合図に、カラスだった女が背を向けて歩きはじめる。
行き先は……将軍機、旋風のメグレズ!
『カラス……!』
アレサンドロの呼びかけはコクピットハッチにさえぎられ、ビッグファンを両肩に装備した、万事肉厚な機体が立ち上がった。
『どちらとどう戦うかは君たちが決めるといい』
と、オオカミはやはり、なにがどうなろうと、どうということはないらしい。
かと思うと、
『仇敵を倒すか、女を救うか。答えは、決まっているだろうがね。フ、フフ……』
などと、意味深長なことまで言う。
オオカミの頭の中など、アレサンドロにはわからない。
わからないが、しかし、どのような状況になろうとも、意外だったと驚くような男ではない。無策だったとなげくような男ではない。
とどのつまり、好きに選べと用意された道のどれを選んでもイバラならば、
『俺はカラスだ』
アレサンドロの決断は早かった。
『あんたはオオカミを頼む』
ハサンは、まったく従順にうなずいた。
『あんたには、最後まで迷惑をかけちまうな』
『フフン、なにを言う。迷惑でもなければ最後でもない』
『ハサン……』
『本来ならばこれは、ユウの役目だった』
『おい、あんたはまた、そう言ってやるなよ』
『いや、あえて言おう。私はまだ、あきらめてはおらんのだ』
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