第95話 スナイパー
炸裂弾の爆発地点とはかなりの距離があったとはいえ、宙吊りのマンムートは、またしても揺れた。
前後左右ならばまだいいが、上下となると具合が悪い。テリーのL・J、シューティング・スターは、ようやくたどり着いた甲板の上で、這いつくばるようにして風が通りすぎるのを待つ。
その間、テリーがしたことといえば、水筒に用意した酔い覚ましの水を飲み、ブリッジから転送されてきたオルカーン内部の見取り図と、目の前の視界を堂々と埋めるオルカーン後部とを突き合わせる、このふたつであった。
『さ、て……』
揺れがおさまったのを見計らい、シューティング・スターは伏射の姿勢をとった。つまり、腹ばいから上体のみを起こし、ひじでライフルを支える射撃体勢である。
テリーは、シューティング・スターの重心が板面に落ち着き、安定状態に入ったのを確認すると、
『ロック』
低く、つぶやいた。
『スナイパーモード、スタンバイ』
コクピット内に、ウウ、と、モーター音が起こった。
動いたのは、テリーの座るリニアシート。それがレール上をスライドし、一メートルほど後方へ移動する。
次に、シート裏のホルダーから、愛銃ラッキーストライクを引き抜いたテリーは、コードのついたスコープを所定の位置へはめこみ、ななめがけした弾帯の、ちょうど、自身の心臓の位置におさまった弾丸を抜いた。
これだけは、ただの弾丸ではない。薬きょうに関しては他と同じ金色だが、弾頭が、透きとおったマリンブルーをしている。
テリーはそれにキスを落とし、薬室へと押し入れた。
これで、準備は完了である。
ライフルを構え、
『リンク』
そのひとことで、テリーのライフルと、シューティング・スターのライフルとは接続された。
いま、メインカメラからの外部映像はスコープを通して表示され、かわりに正面モニターには、観測手さながら、風向、風速、距離その他、ひどく角張ったデジタルフォントが並んでいる。
挿入された例の弾丸の内部では、常時、連動用の高精度変位センサーが射出角を割り出しており、これが、テリーの微調整を、寸分たがわずシューティング・スターへ伝えてくれるのである。
ちなみに、スナイパーモード時のみ、排きょう、装填の一連の動作はセミオートでおこなわれ、フットペダルがその役割を担っている。
すべての接続が良好であることを確認したテリーは、唇をすぼめ、細く長く、息をはいた。
いまだ謎の多いジョーブレイカーは別として、テリー・ロックウッドは仲間内で唯一、近代的な軍事訓練を受けた男である。
正々堂々をよしとする騎士道を排し、団体行動などという軍そのものの概念を排し、自分自身さえも念頭から排除するよう教育されたこの男は、ひとたびスナイパーとして戦場に立てば、別人のように心を空しくすることができた。
……いや。
あるいはこの性質こそ生来の才能で、そこを将軍ケンベルに見出されたのかもしれない。
テリーは険しい顔ひとつせず、まるで草原に舞う蝶を追うような目つきでスコープの奥をながめて、よく訓練された両腕が、目標であるオルカーン装甲板の継ぎ目に、十字を合わせてくれるのを待った。
そして、意思がこれといった命令を下す前に指が動き、着弾を確認する前に、当たった、と感じた。
弾丸は狙いあやまたず、五発、同じ場所へ命中した。
「ぬ、おお! な、なんじゃあ!」
「重光炉破損! 第一、第二光炉が半壊です!」
「原因は!」
「ま、待ってください!」
赤色灯とサイレンの中、オルカーン・ブリッジは騒然となった。
背中を突き飛ばすような大きな揺れは一度。だが、それ以降は出力が上がらず、高度はみるみる落ちていく。
右舷側砲も射撃を中止し、オルカーンは、走りまわるクルーたちの靴音と喧騒とで、すぐ隣にいる者との会話さえ困難になった。
「ええい、早く火を消さんか! 機関長はどうした!」
「も、紋章官殿! 狙撃です! 狙撃されたようです!」
「なにい? そんなわけあるか!」
と、オルカーンのメインモニターに、艦尾下方カメラの映像が映し出された。
鼻先をななめ上へ向けたマンムートと、その甲板に張りつくシューティング・スター。
「テリー・ロックウッド? なんちゅうやつじゃ!」
グレゴリオは驚嘆した。
そこへ、
「紋章官殿! 閣下より通信です!」
「つなげ!」
画面が変わった。
『とっつぁん、どんな具合だ?』
「はあ、こいつはいけません。第一、第二がやられました」
『飛べるか?』
「いま、復旧作業をさせとりますが、難しいですな。出力が半分以下に落ちとります」
『そうか……わかった。アンカーを切り離せ。トラマルに戻る』
「はあ? し、しかし……」
『構わんさ。ギュンターのこともある。だろう?』
「はあ……」
『どこか適当な場所を見つけて、上手く下ろしてやってくれ。俺からのせん別だ』
「了解です。……大将は?」
『もうひと揉みしてくる。こっちはこっちで、面白くなってきたんでな』
後部から黒煙を噴きながら、オルカーンは高度を下げていく。
切り立った山の頂をかすめ、ゆるやかな白い斜面へ、マンムートはすべるように近づいた。
「早いな……」
と、ハサンがつぶやいたのは、物理的な速度に対してか、それとも、スピードスターの決断か。
それがどちらであろうと現実はハサンにとって好ましくない方向へ進んでいるらしく、その口からは珍しく舌打ちが聞こえ、そしてこれも珍しいことに、はた目にはそれとわからないほど素早く軽く、人差し指が額と胸にふれた。
「ハッチは閉じているな」
「は、はい、でも……!」
「全員衝撃にそなえろ」
インターカムを通したその声が、いやに無情に艦内を響き渡るか渡らないかのうちに、なめらかにも見える雪面へとキャタピラが接地して、直後、激しい衝撃がマンムートを襲った。
「きゃッ!」
「くッ……!」
マンムートは轟々と引きずられながら大量の雪をかき集め、双角も見えなくなるほどに埋もれていく。
その振動は、やもすれば、この鋼鉄の巨体が粉々になってしまうのではないかと思えるほどで、すでにアンカーのロープがオルカーン側から切り離されていたことさえ、誰も気づかなかった。
……そう。
その中では、これは仕方のない事件だったのかもしれない。
衝撃を受け、甲板をバウンドしたテリーのシューティング・スターが、大きく空を舞い、氷の斜面をなすすべもなくすべり落ちていったことなど、誰も気づかないのが当然であった。
いや、わかっていたところで誰にも救うことはできなかっただろうが、オルカーンの機関部を狙うと決めた時点で、こうなる可能性がある程度存在していただろうことを考えると、ハサンによって仕組まれた人災と言えないこともなかった。
『くッ、う、う、うう!』
すでにモード解除していたテリーは、必死に操縦桿をあやつろうともがいたが、想像以上に氷が硬い上、命よりも大切なラッキーストライクをかかえたままで思うようにいかない。
どうにかシューティング・スターの手足を突っ張り、丸太のように転がることだけは阻止したが、はたと気づいたときには……、
『あ……!』
目の前に巨大なクレパスが、黒々とした大口を開けている。
『……ああ……』
これで終わりか。
テリーは操縦桿からも手を離し、奇妙な浮遊感の中、ラッキーストライクを強く抱いた。
思い出すのは師と仰いだ、あのしわの深い、温かい微笑みばかりであった。
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