第61話 もうひとつの逃亡
そのころ。
デローシスの南、キンバリー研究所でも異変が起こっていた。
青の軍旗をかかげたマリア・レオーネ・リドラー率いる聖鉄機兵団の一軍が、逮捕令状を持ち、乗りこんで来たのである。
「それで?」
「……相変わらずだな。貴公のそういう、人を小馬鹿にした物言いは」
紅一点の将軍、マリア・レオーネは、貴族然とした勝気な眉をひそめ、シニョンに結い上げた襟足を不快感もあらわになでつけた。
美しい、淡空色の髪である。
対するセレン・ノーノはドラフターの前に座ったまま、長いプラチナブロンドを物憂げにかき上げ、
「別に、そんなつもりはないよ」
と、令状を、設計図の散らばる床へ、ぽいと投げ捨てた。
「貴様……!」
マリア・レオーネのこめかみに、青すじが立った。
「皇帝陛下直々のご捺印がされた書状だぞ。不敬罪もはなはだしい!」
語気も荒く、腰から抜き払われた細剣があご下に押し当てられたが、それでもなお、セレンは、
「ふうん」
面倒くさげに言ったきりだった。
いま、この研究室には、セレンとマリア・レオーネ。そのうしろ、ドアの近くには、長身の紋章官ササ・メスが立ちふさがるように立っている。
三十五歳という噂のササ・メスだが、黄色い肌に頬のこけた、四十過ぎにも見える老け顔で、喉がつぶれているのかと噂されるほどに言葉が少ない。将軍や紋章官仲間はともかく、どうも部下などからは気味悪がられている男である。
そして普段は、セレンのそばにもうひとり、技師で助手のメアリー・ミラーがいるはずなのだが、今日は見えない。
そのことに、もちろんマリア・レオーネも気づいている様子であったが、関係ないとばかりに打ち捨てられていた。
令状を拾い、懐へ戻したマリア・レオーネは、剣の腹でセレンの頬をひたひたと叩き、
「陛下のご命令だ、ともに来てもらおう。ララ・シュトラウス逃亡ほう助の罪で、貴公を拘束する」
と、居丈高に告げた。
「……私だけ?」
「他の研究員には追って沙汰がある。全員に事情を聞くことになるだろう」
「ふうん」
「……さっさと立て!」
と、そこで、
「む? な、なんだ?」
扉の上部にそなえつけられた赤色灯が、前ぶれもなく回転をはじめたのに、マリア・レオーネは驚いた。
サイレンが鳴るわけでもない。
ただ光を放ち、回転している。
「これはなんだ。なんの合図だ!」
「準備完了の合図」
「なに……?」
眉をしかめるマリア・レオーネを無視し、セレンは、作業机のマイクを取った。
「メイ?」
『は、はい! こちら、メアリー・ミラー!』
スピーカーから返ってきた、メアリー……愛称メイの声は、緊張でうわずっている。
「行けるかい?」
『い、いつでも!』
「待て。なんの話をしている!」
マリア・レオーネが刃を返し、セレンへ詰め寄ると、
「じゃあ、行こう」
『はい!』
「あっ!」
突如、ドラフター周囲の床が抜け、セレンは腰かけていた椅子ごと、その穴の中へ消えてしまった。
バランスを崩したマリア・レオーネも引きずりこまれかけたが、そこはササ・メスの腕が、しっかりと捉える。
穴は音もなくふさがって、あとには白い床だけが残った。
「え、ええい……!」
歯噛みしたマリア・レオーネだが、すぐさま窓へ飛びつき、
「機兵総長! 下へ逃げたぞ! ……ついてこい、ササ・メス!」
ドアを蹴破る勢いで、廊下へ走り出た。
長いシューターをくだり、セレンがはき出された場所は、地下格納庫である。
「やれやれ、たまには掃除させないと駄目だね」
白衣の埃を払ったセレンは視線を上げ、目の前に横たわる全長百メートルの重戦車へ、うっとりと視線を走らせた。
枯れ草迷彩の複層重金属装甲板。
前、中、後方、計六門の百二十ミリ機関砲に、左右両舷を向いた八連装ミサイルランチャー。
前方に反り出した巨大な双角は、攻撃その他、様々な使いかたができるが、実はアンテナとレーダーの集合体だ。
無骨に出動を待つキャタピラも、セレンにとっては我が子の手足も同様、いとおしい。
『セレン様、早く! もうここ、気づかれちゃったみたいです!』
「せっかちは嫌いだ」
『そ、そんな……もう言いません! もう言いませんから……!』
スピーカーから響くメイの泣き声を聞きながら、セレンは、ゆったりとした足取りでL・J用ハッチをくぐり、格納庫からメインブリッジへと向かった。
ハンドルロックの重厚な手動ドアは、開いたままになっている。
シートは、メインモニター前にふたつ。左右サイドモニター前にふたつずつ。そして中央キャプテンシートがひとつの、計七席。
そのうち、操舵席にうなだれて座っているのが、メアリー・ミラーである。
こげ茶の髪を、さっぱりとショートカットにしたメイは、つなぎの作業服を愛用する、どちらかといえばアウトドア、活発、少年的、そんな印象だ。
しかしいまのメイは目に涙をため、
「セレン様……」
少女の顔で、うつむいていた。
「シャッターを開けて」
「……はい」
メイの操作で、地上へ続く通路が開放されていく。
「お、怒ってますか……?」
「なぜ?」
「せ、せっかち、言っちゃったから……」
するとセレンは、メイの髪に指を通し、
「別に。サンセットの格納も、上手くできてた」
メイの顔に、さっと喜びの色が差した。
「あ、ありがとうございます! セレン様!」
そこで、シャッターわきのランプがグリーンへと変わった。
「さて、と」
と、サブシートへ移ったセレンは、腰を沈め、
「ララを追おうか」
「はい!」
アイドリングしていた光炉が回転数を増し、ブリッジの計器類へ灯が入る。
「この国も、また面白くなってきたね」
「そうですか? なんだかおかしいです。N・Sが出てきてから、なんだかおかしいです」
「……とっくにオールグリーン」
「あ、す、すみません! へビィカーゴ・マンムート! 出ます!」
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