第43話 うらみごと
「これは買いかぶりというものだぞ、お嬢さん」
ハサンは長い足を優雅に組みなおし、せせら笑った。
「この朴念仁に女など買えるものか。抱くどころか、気のきいた挨拶ひとつできん無粋者だ。大方、神殿で頭でもたれていたのだろう」
「え? で、でも……!」
ララはアレサンドロを見た。
「まあ、そういうことだな」
「な、なにそれ、ひどい!」
「悪かったよ」
ばつの悪い表情で、頭をかいたアレサンドロだったが、その実、そんなことよりも、当のユウと大泥棒との関わりに気を引かれていた。
知り合いらしいふたりの間には、接点もないではない。が、どうにも人間的に不似合いな組み合わせだ。
説明を求めようと口を開くと、それより早く、ユウが動いた。
横たわる長机に両手をつき、
「ハサン」
ため息をはくように、言った。
「髪を切ったな。みすぼらしくなったものだ」
「他に言うことはないのか」
「ほぅ、なにを言えと?」
この、人を食ったような態度は、ユウの知っているハサンそのものだ。
だからこそ、なおさら腹が立った。
「俺はあんたが、死んだと思ってた」
「死んだ? フン、馬鹿馬鹿しい」
「……なにがおかしい」
「おかしいのはおまえの頭だ。考えてもみろ。一介の盗人風情が、死罪になるか?」
「それは……」
そのとおりである。
「そう、盗人にふさわしい罰は、この程度だ」
言うとハサンは、ソファの背もたれに隠した右腕を、ユウに突きつけた。
だらりとたれたそのそでの中には、ひじ先五センチから先がない。
「断手刑……!」
息を呑んだユウを尻目に、ふ、と、自嘲気味に笑ったハサンは、ワイングラスを口へ運んだ。
「でも……それならそれで、どうして、知らせてくれなかったんだ……」
「おまえは私の『遺言』に忠実だった。すぐに姿を消しただろう?」
「あんたなら、見つけることだって簡単だったはずだ!」
「それで、私が頭を下げるのか? もう一度、戻ってきてくださいと。うぬぼれるな。おまえに、そこまでの執着はない」
厳しい言葉に、ユウはただ眉をひそめ、悲しげにうなだれた。
アレサンドロも、ララも、モチも、はじめて見るユウの顔だった。
「そこの賞金稼ぎ」
「お、おう?」
突然呼ばれたアレサンドロが、飛び上がった。
「十日もつきまとわれては迷惑だ。こちらからつなぎをつけてやる。今日は帰れ」
「いや、そう、言われてもな……」
複雑な立場である。
「どうした。まだなにかあるのか」
「ハサン、いいんだ。アレサンドロは俺の相棒だ。すべて聞く権利がある」
「相棒? なるほど、賢い選択だな。おまえもいまでは賞金稼ぎというわけだ」
「賞金……? なんのことだ?」
ユウは、噛み合わない話に首をかしげた。
この面倒な状況を作ったアレサンドロは、ははは、と、空笑いした。
その後。
アレサンドロは、すべてを白状した。
なぜ、ララが色街へ行ったか。なぜ、自分がテリーといたか。
ユウと自分は盗掘で生計を立てているのであって、賞金稼ぎとは関係ないこともハサンに説明した。無論、N・S云々のことはふせて、だ。
「アレサンドロ、最っ低」
真っ先にララが言ったが、ユウが潔白とわかり、声にも顔にも怒りはない。
先ほどまで少々機嫌が悪い様子だったハサンも、いまでは、にやりにやりとしながら、パイプをくゆらせている。
長年愛用のブライア。ベントタイプだ。
「そう言ってくれるな。まさかこんな、ややこしいことになるとは思わなくてよ」
と、アレサンドロとユウは、L型ソファのもう片端に腰かけ、モチは木製のコートかけの上で、黙って耳を澄ませていた。
「さて」
アレサンドロがひざを叩いた。
「次はそっちが話す番だぜ」
「我々の関係か? フフ、大方は感づいているのだろう?」
「まあ、だいたいは、な」
「ならば、それを聞かせてくれ。今日はもう話し疲れた」
よく言う、と、ユウは思った。
「じゃあ、そうだな……」
アレサンドロは、あごをかきながら話しはじめた。
「あんたとユウは、昔からの顔見知りだ。そしてユウには、盗人の手癖、みたいなもんがついてる」
錠前はずし、足さばき、鑑定眼……。
ユウが持っているそれらの高い技術は、盗掘だけではそうそう身につかないものだ。
「あんたの下についてた、と考えるのが普通だ」
「フフン、それで?」
「何年か前に、あんたが捕まったって話は聞いてる。たぶん、そのときに別れた。で、ユウは俺と組むことになり、あんたはひとりで盗みを続けてる。……だが」
アレサンドロは、かすかに視線を泳がせた。
「あんたとユウは、いまでも、よりを戻してえと思ってる」
「俺は……!」
「ユーウー」
ハサンに人差し指を立てられ、ユウは、口をつぐんだ。
「なぜ、そう思う?」
「ユウは言うまでもねえ。『どうして知らせてくれなかった』、要するに、知らせをくれりゃあ、あんたのもとに飛んで戻ったってことだ。いまでも思ってなけりゃ、そんな台詞は出てこねえ」
「では、私は?」
「『すぐに姿を消しただろう』、あんたは言ったな。ユウを探したって証拠だ」
ユウは、はっと息を呑み、ハサンを見た。
相変わらずの笑みの中には、毛すじほどの動揺も浮いていない。
「それに、さっきのあんた、見るからに強がってたぜ」
「フフン」
「つまり、あんたとユウは、単純な親分子分じゃねえ。切っても切れねえ間柄、ってことだ。本当の親子……みてえな、な」
「フ……」
「正解か?」
肩をすくめたハサンは左手で腿を叩き、拍手のかわりとした。
「悪くない。親子というのは、少々行きすぎの感はあるがな」
「じゃあ、なに?」
ララが聞く。
「さて。私はただ、十年面倒をみてやっただけだ」
「親子を名乗るには十分な時間だぜ」
そう、アレサンドロと、ジャッカルのように。
しかしハサンは、
「人情話が好みならば、劇場へ行け」
と、ばっさり切り捨てた。
「認めよう。確かに愛着はある。我ながらよく育てた。だが、それとこれとは別だ」
と、パイプをくわえ、とがらせた唇から煙を吹き出す。
煙は天井近くまでのぼって散った。
「ユウ、おまえはどうだ? 私を父と思うか?」
「いや」
「ンッフフフ、少しは悩め」
「悩むなと教えたのは、あんただ」
「これは、言うようになった」
ハサンは愉快そうに肩を震わせ、灰を落としたパイプを立てかけた。
もちろんユウは、ハサンを大切に思っていないわけではない。
父親ではなくとも、かけがえのない父親がわり。師匠であり、最初の相棒だ。
離れてしまったいまも、その気持ちに変わりはない。
だが、そう付け加えるのも、どこか照れくさく、黙っていた。
「アレサンドロといったか、もうひとつ訂正しておこうか」
「ん?」
「これは私のもとへ戻る気などさらさらない。そうだろう?」
ユウは、深くうなずいた。
「以前ならばいざ知らず、いまは互いの生活がある。ただ、神官あたりに言わせれば、それで縁が切れるわけでもない」
ハサンは、神官という言葉を、ことさら強調した。
「『なぜ知らせてくれなかった』。この言葉の真意は、師弟の義理を欠かした私への、単なる、うらみごとだ」
すると、ララが、
「だったら、うぬぼれるな、とか言わないで、素直に謝ればよかったのに」
意地悪に、ハサンのわきを、ひじでつついた。
「私にも意地があるのでな」
と、ハサンは、ララの頬をつついた。
「さて、そこでだ!」
突如、声を張り上げたハサンが、指を鳴らし、アレサンドロに突きつけた。
「いまの話で、私が否定しなかった部分がある。どこかわかるかな?」
アレサンドロは少し考え、
「……どこだ?」
「私が、ユウと、よりを戻したがっている」
「!」
寝耳に水である。
モチも含め、場にいる全員の目線が、ハサンに集まった。
ハサンは、いたずらに成功した悪ガキのように笑った。
「と言っても、一度きりの助ばたらきだ。今回は少々、事が特殊でな」
「な、なんだ、びっくりしたぁ」
「……俺だけか?」
「無論だ」
ユウは、アレサンドロを見た。
「好きにしろよ」
そのひとことで、心は決まった。
「決行は三日後、報酬は十万」
「獲物は?」
ハサンは、にやりと笑い、
「N・S」
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