第30話 戦鬼
『すまない。遅くなった』
『……ユウか……馬鹿野郎が、戻ってきやがって。……ハ、助かったぜ』
途切れ途切れに絞り出されるアレサンドロの声は、痛ましいほどにかすれている。
それもそのはず。カラスの胸に抱かれたオオカミは、ひどい有様だった。
頭部は言うまでもなく、喉を中心に下あごから胸、肩までが、無残に焼けただれている。
炎にかこまれたこの状況ではN・Sを降りることもできず、アレサンドロはいま、どれほどの苦痛を味わっているものか。
『あとはまかせてくれ』
『ユウ……! やっつけようなんて、思うな』
立ち上がるカラスにすがり、オオカミはつらそうに、ごくりと喉を鳴らした。
『背中についてる、タンク』
『あの筒か?』
うなずいたオオカミのあごから、溶けて皮膜のめくれ上がった装甲板がはがれ落ちた。
『燃料だ。カラスの剣なら……斬れるかも、しれねえ』
『わかった』
ユウはオオカミを横たえて、ゆっくりと腰を上げた。
『話は終わったか?』
言うミザールは、両手の鞭をもてあそんでいる。
『どうだ? とっときの秘策でももらえたか?』
と、その口調はいかにも馬鹿にした様子だが、ユウはそれに答えず、ただ、ゆったりとした動作で太刀を抜き払った。
『チェッ、やっぱり、辛気くせぇ野郎だぜ』
と、吐き捨てるミザールの腰も低く落とされ……。
『行くぞ!』
ふたりは、同時に叫んだ。
オオカミとカラスでは、跳躍力、加速力、最高速度、すべてオオカミが勝る。
純粋な意味での力も、そうである。
その中でカラスが誇るのは運動性。そして特別ごしらえの太刀だ。
『そらそらそらぁッ!』
雨と降りそそぐミザールの鞭をかいくぐり、カラスは徐々に間合いを詰めていく。
振り払われるその隙を突き、身体を反転させると、
『ッ!』
ユウは、ミザールの胸もとをすくい上げた。
やったか、と思われたが、そうやすやすと斬られるギュンターではない。ミザールは右足を引いてそれをかわし、照準を合わせる間もなく、火を放っている。
ユウは前転で回避して、起き上がりざまにもうひと太刀、横なぎに振るった。
『ハッハァ!』
駄目だった。刃は、空を切ったのみである。
火炎放射の反動で、ミザールはすでに体ひとつ分、カラスと距離をとっていたのだ。
さすが。
見守るアレサンドロさえ舌を巻く手並みである。
そうするうちにもミザールは、動きを止めることなく再び転進。カラスへと突貫した。
『ぐっ!』
真正面から体当たりを受け、カラスの身体が地を転がった。
『つ、ぅ……』
追撃は、なかった。
『おいおい、これでしまいか?』
ギュンターは操縦桿からも手を離す余裕ぶりである。
指を鳴らし、
『まだ、あの犬コロのが……』
と、言いかけて、
『……なに?』
まさか、誤作動だ。ギュンターは思った。
突如電子音が鳴り響き、メインモニターに警告文が映し出されたのである。
『破損? なにが!』
まったく覚えがない。
コントロールパネルを操作し、光点の示す場所を目視で確認すると、
『な、あっ……!』
バックパックの左右側面から、下へ突き出ている二本の燃料タンク。
左側のそれが、ものの見事に切断されている。
こぼれた液体燃料によって、ミザールの左わきから足先まではすでにぬれつくし、ゆらゆらと、炎の色を照り返していた。
『ンな……馬鹿な!』
むき出しのタンクはミザールの急所。しかしそれゆえに様々な合金を何枚と重ね合わせた、絶対的な強度が与えられた場所でもある。
それを、音もなく、
『斬りやがっただと……!』
ギュンターの衝撃は大きい。
そして、次の瞬間。
左の足もとに投げ入れられたものを見て、ギュンターは、さらに大きく目をむいた。
火が残ったままの、枝。
投げたのは、いましも立ち上がったユウである。
ギュンターの顔が醜くゆがみ……、
『テ、メ、ェ』
うめいた、直後。
液体燃料を浴びたミザールの左足が火を噴いた。
『因果応報だ! ギュンター・ヴァイゲル!』
『う、うおおおぉぉぉッ!』
叫びは炎の渦に巻かれ、かき消えた。
『狙って……やったのか?』
ひじを立てて半身を起こしたN・Sオオカミが言った。
『ああ……たぶん』
『たいしたやつだぜ、おまえは』
『あんたとカラスのおかげだ。立てるか?』
『いちち、もっと、優しくやってくれ』
アレサンドロの呼吸は荒いが、さしあたってのことはなさそうだ。
ユウはひとまず胸をなでおろして、
『起こすぞ』
オオカミの腕を肩にまわして引き起こした。
ぱちん、と、背後で火がはぜた。
『ク、ククッ……そりゃそうだ……』
『!』
ユウとアレサンドロは、心臓を握られる思いがした。
振り向くと炎の中、だらりと腕を下げて棒立ちになったミザールが、ふたりに顔を向けている。
その両目は、炎の色よりなお、紅い。
『火炎のミザールが、火でやられるわきゃねぇわな』
左タンクが、バックパックのジョイント部分から切り離されて落ちた。
同時に踏み出したミザールの、その一歩ごとにまとう炎の勢いは弱まっていったが、鬼気せまるその姿は、ふたりの背すじを凍りつかせた。
『おい、そんな死にぞこない放っとけ。まだ続けんだろ?』
ユウは、オオカミをかかえたまま、あとずさった。
『続けねぇ、なんて言わねぇよなぁ……言わせねぇぞ、クソがぁッ!』
黒くすすけたミザールの右腕が前へと突き出され、手のひらと右肩、ふたつの砲口の奥に陽炎が揺らめいた。
駄目だ。
この体勢では、とてもかわしきれない。
『ユウ、いい、置いてけ……ッ!』
『馬鹿言うな!』
『ゴチャゴチャ言ってる暇ぁ、ねぇぞ!』
ギュンターは操縦桿を握りしめ、トリガーを押しこもうと、指に力をこめた。
が……。
『ぐっ!』
それより早く、ミザールの眼前で弾けた連続的な火花。
ギュンターは握りをはずし、とっさに目を覆ってしまう。
『ちっくしょう! さっきの!』
閃光弾。
『モチか!』
間に割って入ったのは、まさしく白フクロウである。
「ユウ! 力を貸します! 撤退を!」
『させるかぁぁッ!』
ミザールの火砲がいまこそ火を噴いた。
『モチ!』
モチの背後へ、炎がせまる。
ユウは手を伸ばし、その手のひらに、小さな身体を包みこんだ。
『ぅ、あっ!』
ユウの目に耳に、突如、ノイズが走った。
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