第11話 楽園へ
天井が抜け落ちているとはいえ、谷底には日差しが少ない。
アレサンドロはユウに光石灯を持たせ、オオカミの傷口に向かい合った。
「見ろよ」
小型ナイフを開き、むき出しの筋肉を軽く突くと、桃色の繊維はその柔軟な弾力で刃先を押し返す。
「すごいな。これが、人工なのか」
「ああ。帝国のは完全に機械だが、こいつは違う。魔人が作った、もうひとつの身体だ」
アレサンドロは湖で回収した包みから、五センチほどもある針と、太い糸を取り出した。
「光炉は心臓。乗り手は脳みそ。こうして筋肉もありゃあ、骨も腱もある。自力で傷を治す力だってな。人間と同じだ」
すでに背骨は破片が集められ、もとの形に固定してある。
そこに、革を巻いた指の腹を使い、アレサンドロが針を突き通した。
ひと針、ひと針。それこそ全身を使っての縫合が進む。
「上手いな」
ユウは感心しきりに言った。
「医者みたいだ」
器具や傷口の大きさに差はあれ、糸の断ちかた、結びかたはまさにそれだ。
手ぎわもいい。
「そう言ってもらえんのはうれしいがな……」
アレサンドロは苦笑し、首を振った。
「こいつの整備を一年もやってりゃ、誰だってこのぐらいはできるようになる。こっちに関しちゃ、俺は……まだまだだ」
最後の糸を結び切り、アレサンドロはオオカミの装甲板を、もとどおり覆いかぶせた。
「さ、次に行こうぜ」
あとはN・Sの自然治癒力まかせなのだという。
そして実際、二体の傷口は三日でふさがった。
人間にすれば尋常ではない、驚異的な回復能力である。
「光炉が無事だったのは大きかったな」
アレサンドロは糸を抜く手も軽やかに、言った。
「供養するつもりで治してやるってのも、ちょいと複雑だがよ、もう少し、頑張ってもらわなけりゃならねえからな」
ふたりはこの三日間、二体のN・Sをどこへ葬るかを話し合った。
帝国に侵されず、文明からも切り離された場所。
極力人目につかずに、たどり着くことができる場所。
選ばれたのは、西海の秘境アルケイディア群島だった。
ただし、その群島、実は地図にも名前が載っていない。
七つの海を渡り歩いたと自称する魔人マンタが、砦の子どもたちに語り聞かせた夢物語。
そこに登場した楽園である。
極彩色の花々。ずっしりと果汁を含んだ果実。輝く珊瑚礁。青い海。透きとおる空。
子どもたちのみならず、山育ちの魔人たちも皆、美しいアルケイディアに思いをはせ、いつかきっとと語り合ったという。
無論それだけでは眉つばものだが、アレサンドロが言うには海を渡ることのできた魔人たちの間では、それと知られた場所であったらしい。
そしてもし仮に、そこが夢幻の桃源郷だったとしても、西海には『竜の喉』と異名をとる、パーシバル大海溝が走っている。
いざとなれば帝国の手のおよばぬ深海に、N・Sを眠らせてやることもできるだろう。
ユウにも、これ以上の場所はないように思えた。
「どのくらいかかるかわからねえが、どんなまわり道をしても、必ず連れていく。必ずな。……でもよ、いいか、ユウ」
「?」
「もし……」
ロロロロロ……。
「!」
その明らかに異質な駆動音に、ふたりは身体をこわばらせた。
「しっ……」
アレサンドロは指を立て、口を開きかけたユウを制する。
音は上空を旋回しているようだ。
「間違いねえ、鉄機兵団の、L・J(リヒト・イエーガー)だ……」
N・Sをもとに開発された対兵器L・Jは、コクピット式の操縦方法を採用し、近ごろでは傭兵や土木作業員、格闘賭博用などにも広く普及している。
しかし、空を飛ぶほどの性能ともなると、そうした民間機ではありえないのだ。
「通りすぎてくれるといいな」
「ああ。それにしても……」
アレサンドロは鋭く舌打ちした。
「嫌なタイミングだな」
いまここで戦闘になれば、当然、ふたりは出ていかざるを得なくなる。
日中だけは避けたかった。
「とはいえ、黙って見てるってわけにもいかねえ、か……。とりあえず、いつでも動けるようにしておこうぜ」
ふたりは手早く身支度を整え、ユウはカラスに、アレサンドロはオオカミに隠れ、息をひそめた。
そのうちに、
『おい、ここじゃないか?』
『む、間違いない』
『よし、降下する。アルノー隊、続け』
声が聞こえ、アレサンドロが歯噛みする。
「クソッ、目当てはここか」
「アレサンドロ」
「わかってる」
小声でやりとりしたふたりの身体が光球となり、N・Sに吸いこまれた。
同時に、天井の穴より姿を現したのは、帝国三〇三式L・J。
虫羽に見える飛行翼(フラップブレード)を装備した、下位騎士用機である。
『見ろ! N・Sだ!』
嬉々とした声が響いたが、ユウとアレサンドロは微動だにしなかった。
『機兵長に報告! 発見せり!』
『了解!』
枯葉色のL・J三機は、二体の背後に着水した。
『これがN・S……はじめて見るな』
『おお、俺もだ……』
ひざまずいたカラスの肩に、手がかかる。
まさにそのとき。
ユウの身体が動いた。
『あっ!』
振り向きざまに刃を抜き払い、L・J一体の腰を音もなく切り裂く。
すべるように胴が落ち、小さな爆発とともに水蒸気が吹き上がった。
『こいつ、動くぞ!』
思わぬ奇襲に、帝国騎士は完全に浮き足立った。
『本隊に連絡を……うわぁっ!』
『ああ……ッ!』
勝負は、一瞬で決まった。
『やるな』
華麗な動作で剣を鞘におさめ、オオカミをあやつるアレサンドロが言った。
ユウは驚きを隠せない。
短剣程度しかあつかったことのない自分が、これほどの長剣を、それも体勢を一切崩されることなく振るうことができる。反応速度も上がっている。
まるで、強靭な筋肉と鋭敏な神経を、全身に移植されたかのように。
これがN・S。
ユウは胸の内で、うなった。
『時間がねえ。いいか、ここからは別行動だ。互いが、やつらを引きつけながら逃げる。デローシスの中央図書館、歴史書のコーナー。先に着いたほうがそこで待つ』
『わかった』
『待て、あとひとつ』
『ん?』
『ヤバイと思ったら、迷わずN・Sを捨てて逃げろ』
『ッ! ……どうして!』
『奪われたら奪い返してやりゃあいい。だが俺たちは、捕まりゃおしまいだ』
ユウの腕を握るオオカミの手に、力がこもった。
『いいか、ユウ。信じるも信じねえもねえ。おまえにカラスを預ける。だが、そのためにおまえを死なせるのもごめんだ』
『アレサンドロ……』
『頼むから、無茶はしてくれるな。いいな?』
『……わかった。あんたも』
『ああ、生きてまた、会おうぜ!』
オオカミの拳が、ドーム外壁を打ち抜いた。
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