幕間 牛耳さんの事情。


 ケインとは物心ついた時からずっと一緒だった。


 大人になるに連れて他の男の子達とは違う彼に惹かれていって、いつの間にか隣に居るのが普通になっていた。冒険者として活躍する彼を支えて、彼の子供を産み家族で過ごす自分の未来を信じて疑っていなかった。


 だけどそんな儚い夢は、彼自身の手で断ち切られた。


□■>>牛耳さんの事情。_


 森に冬が訪れて、新しい避難者の受け入れも済んで落ち着いて暫くした頃。珍しく雪の降らない日が続いていた。


 今日の分の洗濯物を干し終えた私は、白い息を吐きながら溶け始めた雪を踏みしめて室内へと戻る。気温緩和の結界のおかげか、家の周囲は一面が銀世界であるのに対して随分と冷え込みは弱い。


 流石に薄着でいられるほどではないけれど、しっかりと服を着ていれば凍える心配はないほどだ。元々凄い人だとは思っていても、こういう現象を直に目にすると改めて旦那様は凄いと思う。


 そう、旦那様。私が奴隷だった頃の飼い主で、今の雇い主。ドン底の私を救ってくれたふたりのうちのひとり。


 信じていた幼馴染に売り飛ばされて、絶望のドン底にいた私の元をお嬢様が訪れた時、正直に言えば殴りたい程に憎らしかった。


 今にして思えば。ただの被害妄想だった事はわかるけれど、当時はそんな余裕なんて全然なくて。


 身なりの綺麗な主人に飼われた小さな女の子。肌艶も良くて、良い物を食べさせられて、良い服を着せてもらって、大切にされてる事が見て解るような奴隷。


 そうとしか見る事が出来なかった私には、お嬢様が想い人に捨てられた私を馬鹿にするためにわざわざ来たとしか思えずにいた。


 だけど彼女は私を救ってくれた。主に莫大な借金をしてまで私を買い上げるように頼んでくれたと知った時は、一体何が目的なのかと内心で勘繰っても居た。


 その後の告白を聞いて、呆然としてしまったのは今では笑い話だ……といっても、あの時の言葉が真実なのか私の中で判断はついていない。お嬢様の性格的に嘘はついていないとも思っているけれど。


 旦那様とお嬢様との生活は、幸せだった。ふたりは家事をする私にきちんとお礼を言ってくれる。毎日部屋を綺麗するために頑張っていることを認めてくれた、私の作る料理が美味しいと笑ってくれた。


 あまり豊かとは言えない村で育った私にとって、一方的に奉仕する立場というのは当たり前。ケインにしたって私にお礼なんて言ってくれたことはない。


 この人達の側にいたことで、私ははじめてケインが私のことなんて、なんとも思っていなかったことを思い知ったのだ。悲しかったし悔しかった、だからこそ旦那様に頼み込んで鍛えてもらって、少しでもあいつを見返してやろうと思っていた。


 日々を送る中で、私はいつの間にか旦那様のことを好きになっていった。だけど旦那様はお嬢様にベタ惚れで、お嬢様の方も旦那様と仲が良い。


 お嬢様には恩があるし、恋愛としてではなくてもあの無邪気な笑顔が大好きで、ふたりの仲を裂くような真似は出来ないと思っていた。


 ……といっても諦めることも出来なくて、何度もルルに相談して……後押しをされて旦那様と関係を持つに至った。幸せだったし満たされたけど、同時にお嬢様とも同衾したことで、旦那様が絶対に自分だけのものにならないことを理解してしまった。


 優しく慈しんでくれる、求めることをなんとなく察知しているのか、的確に満たしてくれる。確かな愛情を感じて嬉しくなっていたけれど、お嬢様に対する態度を見てそれは二番目、あるいは三番目だからこそ取っていた態度だと解った。


 旦那様はお嬢様に対してだけありのままの感情をぶつけている。


 時折私達に見せる余裕すらないほどに強く、激しく、狂おしく。あれで入り込む余地があるなんて思えるほど、私は愚かでも鈍くもなかった。


 幸いふたりともも、私達が妾としてそばにいることは許してくれている。旦那様もお嬢様の次になら子供を作ってもいいと言ってくれている。ルルの気持ちはわからないけど、私としては複雑極まりない。ただそれでも好きという気持ちだけは変えられない。


 これでいいと言い聞かせている内容が、いつか自分の本心になってくれる事を祈りながら、私は今日も手のかかる子供たちの世話を焼く。それはそれで、私にとっては満たされた時間だった。



「お嬢様、またコタツにこもって……」


 作業を終えて少し休もうとリビングへ行くと、お嬢様が大人数用の大きなコタツの中に潜り込んで籠城の構えを取っていた。溜息を吐きながら声をかけても、反応は芳しくない。


「……働きたくないでござるですー」


 冬が来てからというもの、お嬢様のだらけ癖がひどくなっていった。


 今までは何だかんだで私よりも早く起きて朝食の準備をしたり、洗濯や掃除なんかをしていたのに最近では日がな一日ベッドや、旦那様が新しく作った"恐ろしい冬の魔物"を再現したというコタツという魔道具でだらけている。


 一応最低限の仕事はしているようだけど、明らかに量が減っている。


「働かなくていいですから、そこで寝てると風邪引きますよ」

「うー」


 たしなめられたお嬢様が不服という文字を貼り付けたような表情で睨んでくる。小さな子がむくれているようにしか見えなくて、迫力は皆無だった。


 取りあえずは旦那様も言っていた「コタツで寝るのは身体に良くない」という言葉を思い出して注意を続ける。


「お嬢……様……?」

「出たくないのですよー、寒いの嫌なのですぅー」


 視界の先で気配を消しながら近づいてきた旦那様が、静かにと指先を口元に当てるジェスチャーをしながら、大きなテーブルの反対側に潜っていくのが見えた。


 お嬢様はそれに気づく様子もなく、上半身だけをコタツの中から出したまま力の抜けるような声で反論を続けている。


「冬は冬眠するべきなのです、ボクはここで」

「そうやってばかりいると、コタツの魔物に食べられてしまいますよ?」


 旦那様が冗談めかしていったコタツの話を思い出しながら見下ろす。確かコタツという魔物は寒い冬の日に旅人を口の中へ誘って、温まって油断した所をそのまま引きずり込んで食べてしまうらしい。


「ふっ、あんな話を真に受けるとか、案外ユリアもこどもおぉっ!?」


 小馬鹿にした表情のお嬢様が、突然妙な声を上げて一気に首元までコタツの方に引きずりこまれた。お嬢様はといえば明らかに動揺した様子でカーペットを掴み、もがいている。


「何ですか一体!?」

「あぁ、手遅れだったみたいですね」

「ちょ、まっ!? やめもぐもがごごご!?」


 抵抗など意に介さないようにコタツの魔物は容赦なくお嬢様を中へと引きずり込もうとしていく、お嬢様の方も必死で抵抗しているけど、所詮は子供並の力。ついにかけられている毛布から見えるのは手だけになってしまった。


 少ししてくぐもった悲鳴に合わせて咀嚼するようにコタツの天板がガタガタと揺れ始めて、もがくようにシーツを掴んでいた手がばたばたと暴れだした。


 どうやら怠け者の女の子は、コタツに食べられてしまったらしい。


「……程々にしてくださいね」 


 これは時間がかかるなと昼食用の食材をとりに貯蔵庫の方へと向かう、部屋を出る直前にちらりと見た時には、力なく投げ出された腕がコタツの中へと引きずり込まれてしまうところだった。


 本当に仲が良くて羨ましいし……妬ましい。


 そして……あれほどご主人さまに愛されているのに、そっけない態度をとっているお嬢様の事が少しだけ憎らしくて、たまらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る