第04章 『前園幸助はデートに興じる』 - 01
「まずは原点に立ち返ってみましょう!」
後ろ髪を引かれる思いで大学から飛び出し、目的もなく帰路に着こうとしていると、れいかがそんなことを言った。
「……は? 原点?」
「はい! 原点ですよ、前園さん!」
「……悪い。全く意味がわからない」
「はぁ……。前園さんは案外にぶちんですねぇ」
にぶちん……。
「いいですか? 前園さんは今、小説のラストシーンが書けなくなって困っているんですよね?」
「……困っているというか……まぁ……そうだな……」
「でも、書けなくなる前は問題なく書けていたということでしょう?」
「それは、そうだけど……」
「であれば今こそ、問題なく小説を書けていた頃を思い出すため、原点へと立ち返り、失ってしまった情熱を取り戻しましょう!」
酷い言われようだ……。まぁ、事実だけど……。
「原点と言われても困るな……。特にこれと言って思いつかない……」
「う~ん……。例えば……そうですね……小説関連での初めての成功体験などはありますか?」
「初めての成功体験か……。それだったらやっぱり、中学の頃に初めて、地元の新聞社が開催してる短編小説の賞で最優秀賞を獲った時かな」
「それってもしかして、前園さんの家の床に散らばってたやつですか? たしか、短編の賞を三つほど獲っていましたよね?」
「……あぁ。よく覚えてるな。中学の頃はプロになりたいとか思ってなかったから、とりあえず手頃な賞に応募してたんだよ。で、運よく三年連続で受賞したんだ」
「運よく、ですか……」
れいかは一瞬、目を伏せて口ごもった。その表情は驚いているというよりかは、どこか悲しんでいるようにも見えた。
「れいか?」
声をかけると、れいかはそれまでの雰囲気を払しょくするように明るく答えた。
「それはすごい成功体験ですね! ではその方面から、前園さんが失ってしまった情熱を取り戻していきましょうか!」
またその言い方……。
「……ん? それで結局、何をするんだ?」
「ふふん! まぁ私に任せてくださいよ!」
自信満々なれいかの表情とは裏腹に、俺の胸中には不安だけが幅を広げていった。
◇ ◇ ◇
ガタゴトと揺れる電車の座席に、俺とれいかは横並びで座っていた。
大学であれだけ熟睡していたれいかだったが、まだ寝足りなかったのか、俺の肩を枕代わりにしてここでもスヤスヤと寝息を立てている。
その寝顔をじっと見つめていると、時折幸せそうに口元をむにゃむにゃと動かしていて、とてもあと五日で死んでしまう女子高生には見えなかった。
「にしても……今更公民館なんて行っても何も変わらないと思うけどな……」
俺たちは今、俺の地元の公民館に向かっている最中だった。というのも、俺が中学の頃に受賞した短編小説の授賞式が行われたのが、その公民館だったからだ。
たしかに、俺が三年連続で受賞したその賞では、毎年同じ公民館で授賞式が行われ、三度目ともなれば多少は見知った場所にはなっていた。
だが、そんなところにノコノコ行ったからといって、俺が再び小説のラストシーンを書けるようになるとは少しも思わなかった。
そのことをれいかにも散々言ったのだが、「行ってみないで何がわかると言うんですか!」だの、「このままでは成仏できません! 一度でいいから行ってみましょう!」だのと押し切られ、結局公民館へ行く手はずとなった。
もう一度横で寝息を立てているれいかの顔に視線を向けると、れいかは相変わらず眠ったままだった。
そのままれいかを見つめていると、様々な疑問が頭の中を浮かんでは消えた。
れいかが俺に、『約束の矛先』の続きを書かせようとする理由は? 単に読みたいから? まさか。ありえない。あと五日で死んでしまうんだぞ? そんなことに残された時間を使う価値なんてない。
そしてもう一つ、れいかは俺に明らかに嘘をついている。
れいかが俺の家にやってきた時の
……けど、今の時点ではそれがどういう意図を孕んでいるのかまではわからない。今はそのことを追及したりはせず、静観しておく方がいいだろう。
何を考えているにしろ、彼女が残り短い寿命を費やしているということは、紛れもない事実なのだから。
◇ ◇ ◇
「んー! よく寝たー!」
駅のホーム。れいかはそんなことを言いながら、うんと両手を伸ばしているが、電車に乗っていた時間はせいぜい三十分ほどだ。まぁ、大学で寝ていた分も考慮すれば、寝すぎたと言ってもいいくらいだが……。
ちらほらといる人の流れに従いながら、周囲に視線を向ける。
この駅は公民館の最寄り駅であり、俺の実家の最寄り駅でもあった。
「この辺りは全然変わってないな」
「全然変わってないって……。ここ、前園さんのアパートからそんなに離れてないじゃないですか……。普段は実家に帰ったりしないんですか?」
「そんなに離れてないからこそ、実家が懐かしいと思うこともあまりないからな。大学に入ってあのアパートに越してからは一度も帰ってない」
「えー……。だめですよ、きちんと帰らないと。たまには親孝行しないと、そのうちできなくなっちゃいますよ。私みたいに」
たまにれいかはこういうブラックジョークを飛ばしてくるが、どう扱えばいいのかわからないのでほんとに勘弁してほしい。
「……また私、すべっちゃいました?」
ウケると思って言ってるのか……。死期が近づくと笑いのセンスが変わったりするんだろうか、それとも元々か……?
れいかは照れ隠しをするようにぺろっと舌を出している。
その愛嬌のある仕草はどこにでもいる女子高生と変わらなくて、なんとなく気恥ずかしさに似た感情を覚えてそっと目を逸らした。
「公民館は駅のすぐそばだ。今は『世界の変わったキノコ展』をやってるみたいで、入場料を払えば入れるらしい」
「おぉ! いつの間に調べたんですか! 意外と手際がいいですね!」
「意外ってなんだよ……。お前がぐぅぐぅいびきかいてる最中に調べたんだよ」
「い、いびきなんてかいてませんよ!」
「いいや、かいてた。対面の座席に座ってる人がドン引きするくらい大きないびきだった」
「嘘です、嘘です! そんなはずありません! 私の寝顔は天使のようだって、小さい頃に親戚のおばさんが言ってましたもん!」
「よく聞け。親戚のおばさんの言うことは真に受けるな。古今東西、親戚のおばさんは褒め言葉以外を知らないんだ」
「そんなバカな!」
そうこうして駅の改札を出ると、不意にどこかから声が飛んできた。
「お兄ちゃん!?」
足を止め、声の方向に視線を向けると、ここ数年会っていなかった妹が、おさげ髪を左右に振りながらこちらに近づいてきている最中だった。
となりにいるれいかが、「え……」と何故か驚いたような顔をしている。
妹は目の前まで来ると、前かがみになってぜいぜいと息を整えながら、
「お、お兄ちゃん……帰ってくる時くらい連絡してよ……」
「久しぶりだな、美咲(みさき)。こんな時間に私服で出歩いてるなんて、非行にでも走ったのか?」
「今日は創立記念日で休みなの! それに久しぶりー、じゃないよ! 全然帰ってこないから、お父さんとお母さんも心配……は、そんなにしてないか……」
「してないのかよ」
「だって、まぁ、お兄ちゃんのアパートそんなに遠くないし……。なんなら会いに行こうと思えばすぐ会えるし……」
俺が実家に帰りたいと思わないのは親からの遺伝だな。間違いない。
「でも、帰ってくる時くらい連絡してよ! びっくりするじゃない!」
「悪い悪い。でも、今日は帰省しに来たわけじゃないんだ」
「え? じゃあ、どうして……。あれ?」
美咲は、どうしてだか途中から俺の背中に隠れていたれいかの姿を見ると、はてと小首を傾げた。
「……もしかして、夢月さん?」
夢月って、たしかれいかの苗字だったよな……。どうして美咲が知ってるんだ?
名前を呼ばれたれいかは、しぶしぶといった様子で俺の背中から顔を覗かせた。
「……えっと……久しぶり。この前はありがとう」
美咲が心配そうに、
「夢月さん、この前早退してたけど、もう体は大丈夫なの?」
早退? もしかして、美咲とれいかは同じ高校に通ってるのか? そういえば昔、美咲から高校の制服を着た写真が送られてきたことがあったけど、あれってれいかがこの前着てた制服と同じだったような……。
れいかは俺といる時とは違って、どこか遠慮がちに言った。
「う、うん……。えっと、美咲さん? の苗字って、前園だっけ?」
「そ、そうだけど……。もしかして覚えてないの? 二年生の時も同じクラスだったのに……」
「えっ!? あ、いや……。もちろん覚えてる。覚えてるよ、あはは」
これは覚えてなかったな。
美咲は改めて俺とれいかを見比べると、
「ところで、どうして二人が一緒にいるの?」
「いや、それが――」
と、話そうとしたところで、後ろにいたれいかが俺の脇腹を小突いた。何事かとそちらを振り返ると、れいかがぶんぶんと首を横に振っていた。
言うな、ってことか? もしかして、れいかは自分が死ぬことを学校の連中に伝えてないのか?
……そうだとすれば、俺がそのことを美咲に教えるのは間違ってるよな。
「まぁ、いろいろあるんだよ。いろいろ」
「なにそれ! なんか卑猥だよお兄ちゃん!」
「なんでだよ……」
「大丈夫、れいかちゃん!? お兄ちゃんに変なこととかされてない!?」
「うん……。今のところは」
「今のところは!?」
話をややこしくするな!
その後ぎゃあぎゃあと喚き散らす美咲をなだめ、強引に話を終わらせた。
「じゃあ、俺たちは用事があるからもう行くぞ。父さんと母さんによろしくな」
「う、うん……。ほんとに何もしてないんだよね?」
「してねぇって」
俺とれいかの関係を疑っているのか、美咲は最後まで不安そうだった。
美咲はれいかの手を取ると、
「何かあったらいつでも相談してね!」
「……う、うん。ありがとう」
そうやってなんとか美咲から離れたところで、どこか元気をなくしたれいかにたずねた。
「自分が死ぬこと、学校の友達とかには教えてないのか?」
れいかはしばらくの間考えるように黙った後、ぼそりとこぼした。
「……友達なんていませんよ。どうせ死ぬんですから。それに……これ以上誰かから同情されるなんて、死んでもイヤ」
そう吐き捨てたれいかの胸中は、俺には想像することもできなかった。
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