(4)

 鉄格子と鉄格子の間で入り口を探していると、人間の姿へと徐々に近づく巨大芋虫――既に巨大芋虫とは形容し難い――人の形を取った木偶人形がアインに襲い掛かる。


 鉄格子を潜るたびに人間の形に近づくそれらはどんどん速さが増して行き、殺意が増して行っているようだった。

 猟銃を構えても、なかなか捕らえることが出来なかった。無駄弾が増える。アインも相手に捕まるようになり、無傷で済ませることが出来なくなっていた。

 相手は見た目からしても成人男性の力を持っているようだった。ならばと、アインはハンターたちとの組み手を思い出して対応する。


 相手は速い。力もある。小柄なアインは逃げ回る。隙を見て銃を放ち、銃身も使って防御する。スカートが破かれる。容赦なく殴られる。

 痛みが怒りを引き寄せる。戦闘の感覚が研ぎ澄まされて行く。フェイントを織り交ぜて、相手の死角を突く。


 アインは傷つきながらも鍵を手に入れて行った。

 その度に、様々なハイネスの記憶を――そうとしか思えない映像をアインは見た。

 皆から頼られ、自分がしっかりしなければと、随分苦労をしたようだった。

 それでも、仲間に労われ感謝をされると報われた気持ちになり、皆がのびのびと仕事が出来るのなら、辛いことは何でも引き受けようとするお人好しな性格なのだとアインは知った。


 そんな中でささやかな問題が数多く起きたようだった。

 初めはハイネスに頼りっきりだった仲間たちが、徐々にハイネスから離れて行く。

 ハイネスの苦悩や疑問が流れ込み、アインは苛立ちを覚えた。


 同じようにハイネスも苛立ちを覚えるようになっていった。一人で抱え込み、ある時を境に仲間たちとの間に決定的な溝を作った。

 決定的な拒絶。仲間の想い。利用されていたことに対する怒り。信頼関係が消失した日。


 ただ、アインからしてみれば、さっさと縁を切って追い出してしまうか、さっさと別なギルドへ移っていれば良かったのではないかと思うほどに、本当にささやかなことがきっかけとなっていた。

 だが、他人にとっては『ささやかなこと』だとしても、当人たちにとっては譲れない切っ掛けとなりうることもあるのだろう。


 たとえ自分に理解出来なくとも、溝は出来る。たった一言で、容易に関係が絶たれる。

 心を傾けた分だけ、修復の難しいものとなる。

 信じていた分だけ、取り返しのつかないことになることもある。

 それなのに――


 鍵を使って通路を越える度に現れたのは、とうとうハイネスの仲間たちだった。

 問題が起きる前の仲間たちなのか、問題が起きてからの仲間たちなのか、はたまた、ハイネスが望んだ理想の仲間たちなのか、そんなことはアインも分からない。

 だが、何もなかったはずの空間には、ぽっかりとアトリエが再現され、その中でハイネスの仲間たちは楽しそうに笑いあいながら、冗談を口にしながら、作品作りを行っていた。


 そして、呼び掛けるのだ。何重にも隔てる鉄格子の奥のハイネスに向かって。早く来いよと。これを見てくれと。このお菓子好きでしょ? と。ランディがこんなこと言うから叱ってくれと、親しみを込めて当たり前のようにハイネスを呼んでいた。


 ハイネスは、鉄格子に縋りついて俯いて泣いていた。

 アインは、ボロボロになったスカートを剥ぎ取って、ズボン姿になって見下ろしていた。

 お気に入りの赤いポンチョもいたる所が切り裂かれている状態だった。

 完全に人間の形を取り、短い髪を生やし、薄っすらと目鼻立ちを浮き立たせた最後の鍵は灰色で、額に赤いガラス玉を嵌めていたが、アインにはそれが何となくハイネスに見えていた。


 ハイネスは初めからアインがやって来ることを拒んでいた。現実の世界へ連れ帰ろうとするおせっかいなアインのことが邪魔で仕方がないようだった。

 だからハイネスは鉄格子を作ったのだとアインは思った。

 だからハイネスはアインを諦めさせるためにあいつらを生み出したのだと思った。それも、自分の記憶を使って。

 だから鍵が消えたその後は、ハイネスの記憶に基づいたものとなったのだと。


 アインはウサギの鞄から最後の回復薬を取り出して、コルク栓を外して赤い液体を一気に飲み込んだ。

 体が熱を持ち、ハイネスの姿を象った相手が腕を鞭に変えて来た攻撃で傷ついた痣も、刃と化した足で蹴り付けて来たときに斬った傷も、問答無用で殴られた顎の傷も、折れていたと思われる肋骨も脱臼した肩も、全てが治って行くのを感じた。


 猟銃は全弾撃ち尽くしてしまって使い物にならなくなっていた。代わりに途中から使っていたのは大振りのナイフ。

 そのナイフを逆手に持ちながら、アインはハイネスの縋るすぐ横の入り口に鍵を差し込んでいた。


「――どうして?」


 と、聞かれたのはそのときだった。


「何が?」


 と、アインは素っ気なく返した。


「どうして、そんなに傷付いてまで、痛い思いをしてまで、ここまで来たんだ」


 声が震えていた。


「どうして、そっとしておいてくれないんだ? 君は赤の他人だろ? どうしてこっちの都合に首を突っ込んで来るんだ?」

「仕事だから」


 と、アインは事務的な声で答えた。

 それ以上でも、それ以下でもなかった。


「仕事……って、君はまだ子供じゃないか」


 空恐ろしいものでも見るような顔を向けて詰って来る。

 アインは、少しだけ不貞腐れた顔をして答えた。


「確かに私は子供よ。でも、あなたが思っているほど子供じゃない」

「え?」


 間の抜けた声が腹立たしかった。


「それに! 子供だろうと何だろうと、ハンターとして仕事を受けた以上は、これくらいのこと覚悟の上よ。だから初めに言ったでしょ? あなたの答えなんて聞いてないの。私の目的はあなたを連れて帰ること」

「嫌だ……」


 どちらが子供かと問いたくなるほど弱弱しい声だった。

 いい歳をした男が情けないとばかりに睨み付ければ、ハイネスは更に情けない顔を晒していた。

 あの映像の中の頼もしさは欠片も見当たらなかった。それほどまでに帰りたくないのかと思いながらも、アインは鍵を回す。


「やめろ!」


 とハイネスが叫ぶも、


「知ったことじゃないわ」


 冷淡なアインの声をきっかけに、ハイネスの縋っていた鉄格子が幻の如く消え失せる。

 サラサラと音を立てているかのように天へ昇る鉄格子を構成していたものたちを見て、アインは人形の墓場のことを思い出していた。


「何故だ? どうして?」


 泣き出さんばかりの顔で力なく問い掛けて来るハイネス。

 そうしている間にも、何重にも立っていた鉄格子はみるみる分解されて消えて行く。

 残っているのは、あのアトリエと仲間たち。

 加えて、もう一人の『ハイネス』自身。


 視界を遮るもののなくなった広い空間はいきなり狭くなったようだった。

 遠くにあったはずのアトリエが目の前にあり、仲間たちと楽しく笑いあっている『ハイネス』の姿があった。


「どうして、俺がいるんだ?」


 絶望の滲む声だった。

 床に座り込んで両手をついているハイネスの傍に立ち、アインは答えた。


「あなたが望んでいたものだからでしょ」

「違う!」


 否定は早かった。


「俺が望んでいたのはあいつらから離れることだ! それなのにどうして、俺はあそこにいるんだ?」


 知らないわよ――と切り捨てようとして、ふとアインはシュヴァルのことを思い出していた。

 本当に分からないのかと、苛立ったような責めるような口調で向けられた言葉のことを。


「……孤独を抱えた人間を救えるのは同じ人間でしかない……」

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