第三講習
三つ目の部屋は、一つ目と変わり映えのしない作りになっており、いたって普通の教室、という印象だった。初めの散策で見てはいたが、もう記憶は薄まっていた。
代わりわりに、四つ目の特徴的な部屋の印象が強くあった為、三つ目に関しては存在すらほとんど忘れていた。
肩透かしを食ったような気持のまま三つ目の講習が始まったが、教壇に立った職員が黒板に、再び「ヒガムカセ」と描き、その内のカ(可愛いらしい見た目)とセ(清潔感)に○をしたことで、気持は高ぶった。
「皆さんは既に見た目の問題は解決しており、残りは、ヒ、」
「人当たりの良さ!」皆一斉に言った。
「ガ、」
「ガツガツしない!」
「ム、」
「無邪気さ!」
「そうです」
「そうです!」
部屋に笑いが響く。
「ここからは内面の問題になって来ます。一つ目の講習で申し上げたマスコットの意識が必要になって来ます。見た目の問題と違い内面は特に意識を向け続けなくてはいけません。自分の一挙手一投足にまで気を使ってください。体の枝葉末節にまで神経を働かせ、演技をしてください。今回の講習ではその為の練習をしていただきます」
起立の号令があったので俺たちは立った。そして目を瞑るという指示があったのでそのようにした。
「皆さんはマスコットです。そのイメージは各々に知っているもので構いませんが、共通していただきたいのは、『丸っこくて』『ふわふわ』なキャラクターです。それを強く意識し、イメージしてください」
俺は、明確ではなかったが、「丸っこくて」「ふわふわ」としたキャラクターを想像した。自然と手が動き、自分の周りを包む、そのキャラクターの輪郭を触った。丸い輪郭、ふわふわとした輪郭、丸い輪郭、ふわふわとした輪郭、と繰り返し唱えてゆくと、やがてその脳内で繰り返していた言葉の補助を必要としなくなり、イメージは鮮明になっていった。
俺の表面に生えた毛は黄色をしていた。どうやら自分は熊のようだった。粒らな黒い目をしており、鼻も黒、そしてその鼻の下から緩やかな「W」の線が伸びており、「W」の中央の山の下から、少しだけ舌が垂れている。
服はほとんど着ていなかったが、唯一おしめをしていた。端がもこもことした素材のおしめを履いた、熊の赤ちゃんのキャラクター、気が付くと、おしゃぶりもくわえ、ガラガラと鳴る棒状のおもちゃを持っていた。
「皆さんは、マスコットです。これから私が、『目を開けてください』と言います。皆さんはマスコットなので、当然その後もマスコットのまま振る舞います。よろしいですね?それでは皆さん、目を開けてください」
目を開けた。すると不思議な感覚に襲われた。感覚器官によって自分本来の輪郭は自然と算出されてしまう。しかしイメージの残像によって、自分の周りにもう一つの輪郭があるのである。そして内側からその輪郭越しに世界を見ているのである。
職員は前から順番に参加者たちの前に立って行った。それに噴き出す参加者はおらず、寧ろこの心地よい緊張感を崩してはならないという奇妙な連帯感が生まれていた。皆各々のキャラクターとして振る舞っていた。
「それでは今から、皆さんに一人ずつ前に出て来てもらって、そのキャラクターのまま私と話していただきます」
そして端から順番に参加者は教壇に立っていった。職員との会話は日常的な他愛もないものだった。イメージトレーニングの効果が出ているようで、参加者たちは皆同年代の自分の目にも可愛らしく映った。
俺の番が来た。教壇に立って多くの視線を受けると、職員一人の時と違って緊張が強くなった。しかしその緊張が演技を害することはなく、寧ろ多くの人に見られることによって私は自分が手に入れた外殻はより強固になってゆくのを感じた。
「皆さんが今持っているマスコットの意識は、今日初めてやっていただいているものなので特別な集中力を必要とします。しかし人間とは習慣の生き物です。日常的に演じていればその内に自然と演じれるようになり、やがては体に染みついて演じているという自覚すらなくなってゆきます。これからもなるべく長い時間、その意識を持つようにしてください」
という言葉で三つ目の授業は締めくくられた。終わった後、参加者同士は今の不思議な体感を口々に話し共有することはなかった。私を含め、皆心地よい体験の余韻を楽しみ、そしてそれを維持しようと努めた。
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