緑のランプが点滅している。着信ありと、メールのマークがついていた。

 逢坂先生からだった。時間は数十分前。

 しばし、頭が真っ白になった。

 気を取り直し、指を動かせば、まず着信があって、メールはそのあとに送られてきたのがわかった。


「どこにいる?」


 メッセージはそれだけだった。

 どこって、いつもと変わらない「ここ」に、僕はいる。

 そう思ってすぐ、はたと顔を上げた。僕にしては珍しく、なにかの予感があって、エレベーターの昇降口を捜した。

 その前を、厚めのブルゾンを着た逢坂先生が歩いてきていた。


「やっぱりここにいたな」


 僕は棒立ちで息を呑むことしかできなかった。


「まあ、ちょっと早ぇーけど、誕生日おめでとう。そして、メリークリスマス」


 何度もまばたきしてから、「ありがとうございます」と、とりあえずは頭を下げた。


「驚いてんのか、冷静なんかわからねえリアクションだな」

「……と、というか。そうですよ。な、なんでここにいるんですか!」

「なんでって。そりゃあ、お前──」


 逢坂先生は、ちらっと左右へ目をやると、もっと近寄ってきた。僕の肩に手を回し、窓のほうへ促す。


「敦士が言ってたんだけど、俺のこと怒ってんだって?」

「僕ですか?」

「ちげーの?」

「べつに、僕は怒ってはいません。ただ、お祖父さんの初七日法要を蹴って、だれかに会いに帰ってくるって聞いたから、ちょっとがっかりしていただけです。一週間も北海道に残ってお手伝いされるなんて偉いなあと思っていたのに……」


 逢坂先生は、窓の前の手すりを掴むと背中を丸めた。「敦士ぃ」と、忌々しげに言う。


「俺は、帰るなんて、あいつに一言も言ってねえよ」

「え?」

「法要はちゃんと出るよ。それまで時間が空いたから、ちょっと戻ってきただけだ。もちろん、お前に会いに──」


 久しぶりに見るしっとりキャラメルから、黒目がちな目が覗く。

 その途端、ずっと抑えこんでいたものが溢れ出てきた。僕はたまらなくなって、目の前の腕を掴んだ。

 だれが見ていようと構わなかった。


「渡辺……」

「僕じゃないと思ったんです」

「お前ね。俺が、だれに会いに戻るかっていったら、お前しかいねえだろうが」


 咎めるように言ったあと、逢坂先生は、きょうの午後からあしたの夕方までが暇になったから、ちらっと戻ってみようと、ゆうべ思い立ったと話した。


「お前に言って出ようと思ったんだけど、ちょっとしたイタズラ心が……」

「もしかしてサプライズってやつですか?」

「まあ、そーね。敦士には、お前が学校へ来るかどうかの確認しただけなんだけどさ。ほら、空振りに終わったら、それこそ目も当てらんねえ」

「勘づかれたんですね」


 くすくす笑っているうちに、周りが賑やかになってきた。

 それに気づいた逢坂先生が僕の背を押し、人の少ないところへ促す。

 真っ黒い海ばかりが広がるひっそりとした景色。海岸線や川との合流地点、街の夜景が見えるところと比べたら、不人気なスポットだった。

 僕らにはあつらえ向きだ。柱にくっつくようにして寄り添い、手すりを掴む。


「やっぱり慣れないことなんてするもんじゃねえな」

「でも、びっくりはしましたよ」

「びっくりの度合いからいったら大成功かもしんねえけど、俺の計画としては失敗だ。あの時間ならまだ職員室にいるだろうと思って、ほんとは職員室で驚かしてやろうとしてたんだよ」

「職員室で……。あっ」


 やたら愉しそうにコーヒーを飲んでた根津先生の姿を思い出した。


「確認とるだけじゃあバレねえと思ったんだがな。あいつを甘く見てた。長いつき合いなのに」

「してやられましたね」

「まあ、元はといえば俺がわりーんだけどさ。敦士のやつ、最初の電話のときに朝っぱらから起こされたこと、だいぶ根に持ってたらしい。なんでいちいち話を盛るんだっつったら、クリスマスプレゼントだってよ。うれしかねーっつの。こっちはひやひやもんだってのに」


 根津先生らしい返しだと思った。そのやりとりを想像して、僕はくすりともらした。

 それを見逃さなかった逢坂先生が、笑いごとじゃねえと苦々しく呟く。

 今度は二人で夜景を眺める。逢坂先生が飽きた頃合いで、僕らはビルを後にした。

 あまりの外気の冷たさに、僕は自分の肩を抱いて、首をすぼめた。コートを掴んでいた手が逢坂先生に取られ、ブルゾンのポケットへと誘われる。

 あったかい……。

 白い吐息も重なる。

 僕の車まで着いたとき、自分のは違うところに停めてきたと、先生は言った。

 たしか、三カ所ぐらいあったはずだ。


「俺さ、最終の新幹線で東京出て、羽田から戻る予定でいるんだわ」

「あ……そうなんですね」


 夜は一緒にいられないのか……残念。

 首を下げたら、逢坂先生が僕の後頭部を撫で、顔を上げさせた。

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