後編

 まさにユーリーンに剣が振り下ろされようとした瞬間、それを遮る者がいた。


「ユーリーン様、ご無事ですか? 遅くなりまして申し訳ありませんでした」


 近衛騎士が頭を深々と下げて詫びるのをユーリーンは止め、首を横に振った。


「いえ、いいのよ。こうして間に合ったのですもの。……それよりもあの方はこちらに?」

「はい、まもなく」

「貴様、どういうつもりだ! 近衛のくせに、わたしが不敬者を討つのを邪魔するつもりか!」


 ジュリアーノが近衛騎士を怒鳴りつけていると、その場に低い声が響いた。


「──おまえこそ、どういうつもりだ。ジュリアーノ」

「ち、父上……」


 威厳があり、逞しい体躯のギスカード皇帝の厳しい視線と口調に、ジュリアーノ達が途端に萎縮する。


「陛下、お越しいただいたのですね!」


 冷ややかな空気を醸し出していた先程までと違って、喜びを前面に出したユーリーンは美しかった。会場内のあちこちから、ほおっと溜息が漏れる。


「そなたと皇家との婚姻が本日相成ったことを知らしめる絶好の機会だからな」


 皇帝も先程まで厳しい表情をしていたとは思えないほど優しい瞳でユーリーンを見る。すると、今まで固まっていた周囲が次々に祝福の言葉を紡いだ。


「……! 父上、わたしがこのような女狐と婚姻したとはどういうことです!? わたしの愛しているのはモナだ! 冗談じゃない!」


 怒りで顔を真っ赤にして、ジュリアーノが叫ぶ。思ってもいない展開に、取り巻き達と子爵令嬢は明らかに取り乱している。


「なにを誤解している? ユーリーンの相手はわたしだ。おまえは義母をその手にかけようとしたのだぞ」

「……ぎ、義母?」


 しばらくの沈黙の後、ようやくジュリアーノが反応した。モナと取り巻き達は呆然としたままだ。


「そうだ、ユーリーンは皇妃だ。このような振る舞いなど許されるものではない。そこの者達も覚悟はできているのだろうな?」


 ギスカードが一睨みすると、取り巻き達はひっと青褪めて悲鳴を上げた。


「し、しかし、それは誠なのですか? ユーリーンは、わたしとの婚約を破棄すると言った時に、否定しませんでした」

「それは、あなた様が『わたくしの婚約を・・・・・・・・解消する』『皇家との婚約を・・・・・・・破棄する』とおっしゃられましたので、否定しなかったのです。まさか陛下とわたくしの婚約を知らないとは思いもしませんでしたので」


 ユーリーンが呆れを隠さずに言うと、ジュリアーノは絶句した。

 すると、子爵令嬢が顔を上げて訴えた。


「お、恐れながら、ユーリーン様は皇妃にふさわしくないと思います! 彼女はわたしをいじめたんです!」

「そ、そうだ! わたしの寵愛を受けるモナに嫉妬して、ドレスを破いたり、大切にしている首飾りを隠したり! 現に今もモナを侮辱しました!」


 モナとジュリアーノの反論に力を得たのか、取り巻き達がそうだそうだとはやし立てる。

 それを眉を顰めて聞いていたギスカードだったが、その場にいた学園長を呼び出し、ことの次第を説明させた。


「──くだらぬな」


 ギスカードが吐き捨てるように呟くと、それをなんと取ったのか、ジュリアーノ達が沸き立った。


「そうでしょう。この女狐は本当にくだらぬ女で──」

「わたしが言ったのは、そなたらのことだ」


 なにが起こったのかわからないというような顔で見つめてくるジュリアーノ達に、ギスカードは冷ややかな視線を送った。


「ユーリーンが嫉妬? ありえぬ。ユーリーンは初対面からわたしにプロポーズしてきた。齢が違いすぎると何度断っても、ずっと諦めずにプロポーズし続けてきたんだぞ。ユーリーンはわたししか見ておらぬ」

「そうです! あれはわたくしが四歳の時でした。逞しくて凛とした陛下に、わたくし一目惚れでしたわ。何度もプロポーズしてはそのたびに断られて、十五の時にようやく陛下と婚約が相成ったときは、天にも昇る気分でしたわ」


 その時のことを思い出したのか、ユーリーンがうっとりする。

 ギスカードはその髪を愛しそうにそっと撫でると、ジュリアーノ達に続けた。


「……それから、今ユーリーンがおまえ達に説いたのは全くの正論だ。それに逆上して剣を振り下ろすなど、もってのほかだ。他の訴えも、ユーリーンの身分からすれば取るに足りぬもの。一応調査はさせるが、これが冤罪だったら、分かっているな?」


 迫力のある瞳で睨まれて、ジュリアーノ達が竦みあがる。

 しかし、この状況をなんとかしなくてはとでも思ったのか、ジュリアーノは父である皇帝に意見した。


「し、しかし、父上には皇妃など今更いらないのでは。皇太子たるわたしがいるのですし、ユーリーンなど必要ありません」


 声を絞り出して反論したジュリアーノに、ギスカードは眉を上げる。


「……皇太子? なにを言っている。おまえに継承権はないぞ」

「は……?」


 思ってもいない言葉だったのか、ジュリアーノ達が固まる。

 それを追撃するようにギスカードは続けた。


「おまえはわたしの子ではない。イブリーンと彼女の恋人との子だ。グノー侯爵家はそれを知っていて、彼女をわたしの妃に送り込んだ。……産後、瀕死の状態で、その一部始終を涙ながらに詫びて語ったイブリーンがあまりにも哀れだったから、わたしが引き取っただけだ」


 今まで知らなかった事実を突きつけられて愕然とするジュリアーノをこれからの自分のことを心配したのか、取り巻き達とモナがちらちらと見やる。


「それでは、場違いな者は退場してもらおうか。──学園長、世話をかけたな」


 ギスカードにねぎらいの言葉をもらった学園長は、いえ、と笑顔で答える。

 その後、呆然とするジュリアーノと怯えた取り巻き達と子爵令嬢が近衛騎士達に連行されていった。──嵐は去った。


「それでは我が妃よ、一番にわたしと踊ってくれるか?」


 それまでの厳しい表情を消して、ギスカードは甘い笑みをユーリーンに向ける。

 ユーリーンもはい、と答えると、花開くような笑顔を見せて、その手を取った。


 ──その後、皇帝を偽って娘を嫁がせたグノー侯爵家は取り潰しになった。

 ユーリーンが子爵令嬢をいじめたというジュリアーノ達の主張は、彼らの自作自演だったことが判明し、彼らは厳しい処罰を受けたという。

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