第20話:魔女と握手会

「こっ、ここは……ヒナシア、やっぱり駄目だよ……」


「何を言うんですか今更! ほら、いつもみたいに無表情でブスッと、デーンと偉そうにしていなさい!」


 ここはバクティーヌ――訪れた紳士淑女をを掛けてしまう、魅惑の大噴水広場だ。一定時間で滝の天地が引っ繰り返ったような勢いで噴き出す噴水は、先程は赤色、今は緑色、その次は青色と、様々な光線を浴びて変色していく。


「何か、匂いが……職場と匂いが違う……」


「当たり前ですよそんなの、で働いている陰気臭い奴らとはまるで違う匂いでしょう! はい、深呼吸深呼吸!」


 職業安定所コンニチワークの事務室では到底嗅げない、遠い島国から持ち込まれた香料を使った香水(小さじ一杯で五〇〇〇〇ゼル、という規格外なものもあった)。日頃から野良犬野良猫野良鼠と喧嘩する屋台では絶対売られていない、美酒に妙酒に珍酒の香りは、二人の魔女からすぐ近くの土産屋から漂って来た。


「すぅー、はぁー! あぁ、お酒飲みたくなってきたぁ……!」


「す、すぅ……はぁ。すぅ……ふぁあ……」


 各方面から到着した連絡馬車を降りる客は、まるで大森林の中央で清浄なる空気を肺に溜め込むような……謎の女性客二人を一瞥した。


 ヒナシア・オーレンタリス。アゼンカ・デキオンズ。《春暁の夢》から輩出された魔女であった(厳密には、ヒナシアは元魔女であるが)。二人はそれぞれ「願い」を胸に宿している。


 賭博で荒稼ぎし、膨大な借金を容易く返済する為。


 修練生時代から応援していた男性歌手と、滾る熱情を込めた握手をする為。


 二つの願いが同時に叶えられる場所――それがバクティーヌなのである。


「ほ、本当に握手会だけでしょう? 握手会が終わったら帰るんだよね? ヒナシア、あの本は冗談で丸とか付けていたんだよね!?」


「………………ハハハ。さて、と。握手会の場所を総合案内館で訊きましょうか」


 ヒナシアのスムーズな動きに、洞察に長けた彼女はしかし……何も問わなかった。否、問えなかった。憧れの歌手と手を握り合う――恐るべき幸福な未来が、それ以上の追求を許さなかった。


「あぁ……手を洗ってくれば良かった……こういう時に消毒の魔術を使えたら……いや、でもでも……」


 未だに……アゼンカの頭では「魔女は賭博場に出入りしない」という常識が、激しく自己主張しているに違い無い。そんな彼女の事など露知らず、ヒナシアはズンズンと館内へ歩いて行き……。


「あっ、どうもでぇーす」


「うん? って、あれ!?」


 入口近くで直立不動のまま、不審者の侵入を見張る警備兵……レンド君に挨拶した。


「えっ、ヒナシアの友達なの?」


 突然の事態に戸惑うアゼンカ、それからヒナシアの憎たらしい、何処までも誇らしげな表情をレンドは幾度も見比べ……。


「あ、あれ程に来てはならないと言ったのに……! それに友人まで連れて来るとは何たる挑戦ですか!」


「まぁまぁまぁ……レンド、さんでしたかなぁ? これが目に入らぬか、っちゅー訳ですな」


 ニタニタと笑うヒナシアは、胸元から天下御免の許可証を取り出し、顔を赤く染める初心な警備兵に手渡してやった。まだ温みの残る許可証を読み始め……レンドは下段に記された「許可した者の名前」を認め、目を見開いた。


「っ……何……です……と……? まさか、いや有り得ない、そうだ、そうに違い無い……貴女は隊長の名を騙って――」


「それは本物ですよ、レンド君」


 後方より聞こえた女性の声に、レンドは急いて振り返り――。


「た、隊長!?」


 警備隊長、そして想い人でもある小さな魔女、シーミィ・ロンドリオンの発言に異を唱えた。


「隊長! この魔女は懲りずに文書を偽造し……て……」


 かぶりを振ったシーミィ。それから彼女はレンドの手に触れ、「彼女はお客様よ」と囁いた。


「顔真っ赤ですね、レンドさん。今時こんな男いますかねぇ」


「シッ! 失礼だよヒナシア!」


 シーミィの囁き声に骨を抜かれ切ったレンド警備兵は、果たして許可証をヒナシアに返却すると、触れられた手を頬に当てながら去って行った。


「大丈夫かしら、レンド君……風邪かな……」


 罪な魔女だな――ヒナシアは呆れながらも、しかし彼女に改めて声を掛けた。


「こんばんは、シーミィさん。見ての通り、今日は旧友を連れて来ましたよ」


「どうも、アゼンカ・デキオンズです。一応、ヒナシアとは腐れ縁でして……」


 呼応するようにシーミィも頭を下げ掛けた、その瞬間……。


「ようこそお出で下さいまし……んっ!?」


 シーミィはサッと顔色を変え、「アゼンカ様、少しお待ち下さい」と言いながらヒナシアの手を引いて物陰に連れて行った。


「何ですか急に。急いでいるんですよこっちは……」


「何だとは何ですか! あの人は――貴女の友達ですか?」


 そうですけど? ヒナシアは目をパチクリさせながら答える。


「修練生時代、同じ食堂で同じ不味いご飯を――」


でしょう! あの人も!」


 信じられない、とでも言いたげに眉をひそめるシーミィ。幼げな顔付きには似合わぬ程のが滲み出ていた。


「どうして簡単に魔女を連れて来るんですか!? っていうか、貴女達の魔女宗はアレですか!? 賭博を大っぴらに認めている、ビックリ魔女宗なんですか!?」


 胸ぐらを低い位置から掴まれ、前後に揺さぶられるヒナシア。連動して震える、自身のものとは大分に高低差のある胸が……シーミィを余計に苛立たせたのかもしれない。


「いや、普通の魔女宗ですけど。座学がずば抜けてつまらない以外は普通の、何処にでもある――」


「その何処にでもある普通の魔女宗を出た貴女達が! どうしてバクティーヌに気軽に来るんですかって訊いているんだっつーの!」


 だってぇ……ヒナシアは許可証をヒラヒラと見せ付けた。


「シーミィ様から頂戴した由緒正しき許可証があるんですものぉ。そりゃあ友達でも誘って来ますよねぇ」


「えぇそうです、そうですね。私が許可証をあげましたよ、それは知っています。でも、私は貴女一人で来るものだと思っていましたから! 誰も魔女を連れて来いだなんて言っていませんよね!?」


 先程から不安げに二人の方を見やっていたアゼンカ。しかし流石はバクティーヌである、手持ち無沙汰な彼女はすぐに微笑の似合う白髪の案内員に連れられ、休憩所で軽めの酒を供されていた。


「でも、連れて来ちゃ駄目だって言われていませんよ?」


「普通は分かるんです! あれ程魔女と賭博は交わっちゃいけないって言ったのに、全然頭に残っていないんですか!?」


「そりゃあ残っていますけど」


 半分は真実であり、もう半分は嘘である。ヒナシアは未だに「私は今、魔女じゃないもーん」とふざけた認知で生きていた。


「落ち着いて下さいよシーミィさん。アゼンカはアレですよ、握手会に来たんです。昔っから好きなんですよ、あの細長い男が」


「握手会…………あぁ、マレイ・ジョーンですか。確かに今日は彼の握手会がありますけど、それでもここはバクティーヌという――」


「本にも書いてありましたよ? 何もバクティーヌは賭博をするだけの街じゃないって。美味しいご飯に楽しい催し物、興味深い施設で溢れていると」


 むぅ……とシーミィは口を尖らせた。ヒナシアの言う通り、バクティーヌは賭博を目的としない観光客も歓迎すると、あちらこちらで喧伝していた。公的な発言に弱いのがシーミィの弱点か。


「修練生の時から『ヒナシア、この人の魅力が分からないなんて悲しいね』だなんてほざいていましたからね、そりゃあもうバカみたいに好きなんです。憧れていた歌手と触れ合える、貴重極まり無い機会……奪わないであげて下さい」


「……むむむ…………確かに……可哀想……です……けど……」


 苦しそうに目を閉じるシーミィ。一方、ヒナシアは実に狡賢い笑みを浮かべていた。


「アゼンカは賭博なんてしませんよ。才能が無いんです、そういう勝負事は。……どうでしょう、シーミィさん? ここは一つ、アゼンカの願いを叶えてあげて下さいよ……実を言うと、私も今日、アゼンカの笑顔が楽しみで来たようなものです……」


 腕を組み、首を左右に傾けながら懊悩しているらしいシーミィは、やがて溜息を吐き……。


「……まぁ、握手会目的なら認めましょう」


「さっすがぁ! 話の分かる優秀なシーミィさん!」


「但し――」


「は?」


 フン、と鼻から息を出し……シーミィは言った。


「私も付いて行きます」


「何で?」


「会場まで引率しますよ。近くに連絡馬車の停留所もあるので、送ってあげます」


「暇じゃないでしょ、貴女」


「今日の仕事は終わりましたから」


「じゃあ酒場に行けば?」


「休肝日です」


「……」


「アゼンカさんの笑顔が見たいのでしょう? 歌手と握手をして、ニコニコのアゼンカさん。同輩の魔女が喜ぶ、その顔を見てヒナシアさんも嬉しい。はい、今日の予定は終了、と。これで充分じゃないですか」


「いや……八〇〇〇〇ゼル……持って来た……賭ける……勝つ……」


「握手会は無料ですよ、良かったですね。優しいヒナシアさんは友人を賭博場に連れて行く事も無く、明日への清浄な活力だけを充填して、我が家へ帰る! 流石は《春暁の夢》ですねっ」


 さぁ、行きましょうか!


 満面の笑みを浮かべたシーミィは、輝きを失ったヒナシアの手を取り、アゼンカの待つ休憩所へ向かった……。

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