2話「身の上話」

彼岸花ひがんばな・・・って言うより曼珠沙華まんじゅしゃげって言い方が似合ってるかもしれないわ」


 嬉しそうに言った老女の言葉が引っかかる。雫の見ている小花はそんな名前の花だっただろうか。


「ピンク色で可愛いですね」

「え? 赤よ、真っ赤」

「小花で・・・」


 雫に見えているのはくるぶしを隠す程の高さの花畑。しゃがんでその高さを手の平で示してみる。


「あら、私が見ているのとは違うのかしら。曼珠沙華は燃えるような赤で、こんな花でしょ」


 老女は両手首を合わせて指を軽く内に折り、花を模しているように形作って見せる。

 雫は彼岸花も曼珠沙華もぱっと思い出せなかったが、互いにそれぞれが見ている花畑が違う花だという事だけは分かった。


「ほら、お彼岸の頃に咲く赤い花。お彼岸って分からないかしら・・・お墓参りに行く頃よ」


 そこまで説明されてぴんとくる花があった。


「あぁ・・・あれか」

「分かった?」


 雫が花を思い浮かべた瞬間、花畑が赤い曼珠沙華へと姿を変えた。


「・・・・・・凄い。真っ赤」

「あ、ピンクの花じゃなくなったの? 曼珠沙華を見てるの? さっきみたいにパッと変わった?」


 老女は子供のように質問を繰り出し、雫が笑顔を向けて頷いてみせると彼女は嬉しそうに頷いた。

 小花の花畑も可愛くて良かったがこちらはまた大人っぽく綺麗だった。


(不思議・・・)


 思っただけで目の前の風景が変わる奇妙さは夢のようだ。しかし、花に触れるとしっとりと柔らかく瑞々しさを感じる。見渡す世界も老女も細部まではっきりしていて夢だと思うのも違和感があった。


「天国と言うか、夢の中って言うか・・・・・・」


 吹き抜ける風に乗って花の香りが漂う。


(凄くリアルで変な世界)


 老女のように天国とは思えないが夢とも違う。


(これが夢なら、何でこんな夢を見てるんだろう。天国だと思いこんでるお婆さんが出る夢なんて・・・)


 そう思ったとき雫は明晰夢めいせきむという単語を思い出した。夢を見ていると自覚しながら見る夢をそう言うと聞いた事がある。


(明晰夢なら自分で自由に書き換えられるのかな?)


「あなたは、どうしてここに来たの?」


 景色に見惚れていた老女が、ふいに質問を投げてきて雫は戸惑った。夢から投げ掛けられる質問にしてはなにやら核心を突くような台詞だ。


「ごめんなさいね、私知りたがりで。言いたくなかったらいいのよ。 ーーー最近は若い子も色々と大変だものねぇ」


 気の毒そうに雫を見る老女の表情から、彼女が雫の事を自殺者だと思ったらしい事が伝わってくる。


「いえ、別に・・・」


 どう返答したらいいか適当な言葉が見つからない。老女の話に合わせるのも苦慮しそうだし死んでいないと言えば押し問答になりそうだ。


「私はね。 ーーー死ぬことを決めてここに来たの」

「死ぬことを決めて?」


 彼女の言葉が飲み込めない、自殺したと言うことだろうか。


「見ての通り私はおばあちゃんでしょ。旦那様はずーっと前に死んじゃって、その後独身のままで暮らしてきたの」


 爽やかな風が吹き抜けていく。風を受けて花が波のように揺れていた。


「あと3ヶ月の命ですって言われたら・・・何だかほっとしたわ」


 そう言いながら老女は花にそっと触れる。


「私には子供はいなくてね・・・。認知症にでもなって甥っ子や姪っ子に世話をかけるのは嫌だったから、最初はビックリしたけど・・・・・・頭がしっかりしている内に寿命が来るならいいかと思ったの」


 さっぱりした口調で話しているが、寂しさがないわけではないことは雫にも伝わった。彼女の話に変な所は感じられない。


「延命治療は受けないことを決めて、動ける内にすべき事を全部やったのよ。 ーーー終活って言うんだっけ?」


 その言葉は雫も耳にしたことがある。

 この人は本当に死んだんだろうかとよくよく観察してみても死者のようには見えず、夢の登場人物にしては存在感を強く感じられた。


「若い時には子供や家族に囲まれる最後も考えたことあったけど、こんな人生の終わり方もいいもんよ。わぁわぁ泣かれても困っちゃうわよね」


 そう言って老女は笑った。


「1人で・・・亡くなったんですか?」


 確かめるように投げ掛けた雫の質問にしばらくの間があった。


「甥っ子は間に合わなかったわ。姪っ子はついていてくれたんだけど、電話を受けに部屋から出ている間に、私・・・死んじゃったの」


 彼女は苦笑いして小さな声をたてて少しだけ笑った。


「私ったらタイミング悪いわねぇ。あの子が気に病んでなきゃ良いけど・・・」


 姪を気にかける老女の表情が少し陰った。


 ほんの少し席を外した間に死んでしまう、そんな事もあるだろうが雫には思いつかない設定だ。


 夢だと思いながら、雫は老女の側に戻った姪の事が気にかかった。つい先ほどまで側にいながら死の間際に側にいられなかった事を、その人は悔やむだろうか・・・と考えてしまう。架空の人物かもしれない老女の姪という人の気持ちを考えて雫が黙り込む。


「・・・本当に、死んじゃったんですね?」

「そうよ、本当に死んじゃったの」


 老女の話は筋が通っている感じがする。今見ているのが夢なら、今まで見てきた夢の中で一番長くまともな夢だ。


 歳を取って死を迎えるその時。

 家族に囲まれている想像はしてみても、家族がいながら死の間際に誰も側にいないなんて・・・雫の想像では追いつかない。いや、死の間際の事を考えた事すらなかった。考えもしないことが夢の中に出てくるものだろうか。


 雫は老女の話は本当かもしれないと思い始め、かすかな不安がぎるのを感じて俯いた。


(これは夢じゃないのかな。ここが天国なら私は何故・・・・・・)


「ごめんね。湿っぽくなっちゃった」


 老女が雫を抱き寄せて腕をさすった。雫の顔をのぞき込むようにして笑顔を向ける。それは、自分自身もなだめているようだった。


「お迎え、遅いわねぇ。何か段取り忘れてたかしら」


 そう言って笑う。笑顔が素敵な人だと雫は思った。


「あ、そうそう。私は香織かおるっていうの、あなたのお名前は?」


「雫、柊雫ひいらぎしずくって言います」

「そう、雫さんっていうの? 可愛いお名前ね」


 また笑顔を向ける。


「雫さんは、ご家族は?」

「あぁ・・・。お母さんと妹と私の、3人」

「女ばかりなのねぇ」


 香織がにっこりと微笑んだ。


「父さんは・・・去年死んじゃって・・・」

「そう・・・・・・。雫さんのお迎えはお父さんね。お祖父さんやお祖母さんは?」

「どちらも健在です」

「じゃ、お父さんに叱られないように私が側についててあげる」


 香織は任せておいてと言いたげな表情を雫に向けて微笑んだ。


(本当に私が自殺したと思ってるんだなぁ)


「私のお迎え候補はいっぱいいるから、誰かが行くだろうってのんきにしてるのね。きっと・・・」


 香織という老女がどこまでも前向きなことに雫は救われた。顔を覗かせた不安がいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。


「あらあら、海から人が上がってくるわ」


 香織が驚き顔で海を指さす。


「皆、海から現れるみたいですよ」

「あぁ・・・そうだった。確か私も海から上がってきたわよね」


 雫の言葉に香織が手を叩いて可笑しそうに笑った。


「いやだわ、自分のこと棚に上げて驚いちゃった」


 屈託なく笑う彼女につられて雫も笑う。


「あの海に潜ったら生き返れるかしら」


 笑いが一段落した頃、香織がぽつりとそう言った。


「生き返れたら、きっと雫さんのお母さんは大喜びするわね」

「・・・どうだろう」

「あら、喜ぶに決まってるじゃない」


 軽く雫の肩を叩いて香織が怒った顔を作ってみせる。

 反論したつもりはなかったが、雫には「生き返る」ではなく「目覚める」の方がしっくりいって、香織の言葉に同意しかねた。


「お母さんと喧嘩でもした? それでここへ来たの?」


 怒り顔から心配顔に変わった香織が真顔で雫を見つめる。


「そんな事はないです。喧嘩したりしないし、良いお母さんしてくれてます。大丈夫」


 実際には喧嘩もしたりしてはいたが親子として良好な関係だった。


「良い人過ぎて困る・・・と言うか・・・」

「困るの? どうして?」


 言葉を選んで雫がしばし黙る。


「お父さんの生命保険は全部私のために使うから心配しないでって・・・」


 香織が言葉の続きを待って雫を見つめている。


「妹も私と同じ高校に行きたいって言ってるんだけど、2人を通わせるのはお母さん1人の給料じゃ難しいから・・・妹は公立に行きなさいって言われてぐずってて・・・・・・」


(夢の中の人に、なに真面目に話してるんだろう・・・)


 雫はため息を付いて海に目をやった。


「自分の事で家族がギクシャクするのは嫌ね」


 同じように海を見つめて香織がそう言った。


 2人が黙って目を向けている間にも海から人が現れては所在なげに立ち尽くしている。のどかな景色と波の音、そして風がいつまでも吹き続けていた。




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