scene34 :夏の教室で啄木先輩と呼ばせてください

 汗ばむような日差しが窓の外に注ぐ二時間目。

 僕はといえば、のぼせた感じでぼーっと黒板を見ている。

 授業中なのに全く先生の言葉は入ってこない。

 書かれた文字の意味も上滑りし続けてどこかへいってしまう。

 

 頬杖の手を替えた。

 書きとれるようにと右手にシャープペンを持っていたのだが左手が疲れてきたのだ。

 

 首の角度が変わり、山本さんと目が合う。

 山本さんはにっこりと微笑んだ。

 

 僕はすかさず教壇の方へと視線を変える。

 

 顔が更に熱くなってくる。

 昨日のことが思い出される。

 

 くぅ~っ。

 

 とにかくじたばたしたい。

 大の字になって手足をばたつかせたい。

 地団駄的な何かを存分にしたい。

 テレビの中に出てくるようなステレオタイプ、寝っ転がって買ってくれるまで騒ぎ続ける子供のような行動をしたい。

 

 いやいやいや。

 だって、だってだよ?

 不可抗力にしたってさ、そりゃ何をしてるんだって話ですよ。

 

 あの後気づくと日が沈みかけていたわけで。

 気づくと西の空のグラデーションが紫からオレンジになっていたわけで。

 気づくと二人して縁側で寝てしまっていたわけで。

 気づいたら、山本さんの顔がすぐ横にあったわけで。

 

 ……寝息がかかるくらいの距離だったわけで。

 

 そんな事もあったら、どうなのよ?

 

 もちろん昨晩も鼓動がおさまるわけもなく、それは今日も続いている。

 夕食の時も、お風呂の後も、寝る間際も、朝食の時も、登校の時も。

 そして、今、授業中でも。

 

 ふむ。

 いったん落ち着け。

 

 っていうか、なんの地獄なのこれ。

 ハードモードすぎる。

 イージーモード以前のチュートリアルモードでお願いしたいところです。

 

 いや……むしろ天国なの……か?

 だとしたら、せっかく貯めていた運貯金は?

 

 左をのぞき見ると山本さんはノートに黒板を写している。

 窓からの風はさらさらと髪を揺らしている。

 

 あの寝顔がすぐ側にあったんだな……。

 と、またもや心臓がのたうちまわる。

 

 あ。

 内面が悶絶している僕を先生が捉えていた。

 

「鈴木?」

 

 ……なにやら疑問形で呼ばれてしまった。

 このクラスには鈴木は『鈴木優人』自分一人しかいない。

 僕は慌てて黒板を見る。

 

 なぜにこのクラスに仲間はいないのか。

 

 全国2位・総数180万以上と云われている鈴木どもよ、今こそ集結の時だぞ。

 そんな事を念じたところで鈴木間だけでつながるようなテレパシーは存在するわけもなく。

 伝わったところで、この教室にわらわら集まりだしても困るけど。

 

「はい」

 僕は立ち上がり、早々に妄想を止め素直に返事する。

 

「何やら楽しそうだが大丈夫か?」

 怪訝そうに僕を見つつ話す。

 

「はい」

 コトがコトだけに、大丈夫かと問われても大丈夫としか答えられないわけで。

 

「では、この問題の答えは?」

 先生はチョークで黒板をたたいて設問をアピールする。

 

 僕は再度問題を目で追う。

 今度は理解できた。

 答えは『③』。

 

 並行して別の事を考える。

 この問題の難易度の事を。

 書かれているのは黒板の右側下段。

 少し難しめの問題の場所。

 

「わかりません」

 僕は答えた。

 

「授業をちゃんと聞いてないからだぞ。集中しろ」

 先生は軽く睨むと、

「では、次は誰に……」

 教室内を見渡した。

 

 解放された僕は席に座る。

 

 と、視線を感じた。

 窓側を見ると、山本さんがじっと見ていた。

 また鼓動が速くなる。

 体が不自然に動いてしまい、左手が消しゴムを机から押し出した。

 

 床に落ちる。

 少し弾む。

 そして山本さんの机と僕の机の間で止まった。

 

 挙動が怪しい僕は慌てて、落ちた消しゴムを拾う。

 と、白い右手が消しゴムを先につかんでいた。

 僕の危うい左手はその認識を上手く利用できない。

 動作はそのまま流れるように進み、消しゴムをつかんだ手の上から消しゴムをつかんだ。

 

 手の内の手の内が消しゴムとか、どんな作戦なんだか。

 奥の手の奥の手が消しゴムとか、そんな奥義より効果はあるのかもしれないけど。

 

 ……要は手を握ってしまっただけなんだけなんですが。

 山本さんの。

 

 右下に傾いた山本さんの空気が僕の鼻の奥をくすぐる。

 僕は更にモア慌て状態になる。

 結果、脳と分離されたかのような左手は、意に反して更に強く握ってしまう。

 

「んっ」

 山本さんが小さな声を漏らす。

 

 慌て上げている僕だったけど、それでも太い意思で左手を開いた。

 

「はい」

 上半身を起こしながら山本さんが上目づかいで消しゴムを差し出してくれる。

 

「す、すみません」

 僕は内心を気取られないよう、少しゆっくりと動いいて消しゴムを受け取った。

 

 山本さんの唇が続けて動いた。

「夕方ぶりですね」

 

 ……ぅおっ!

 突然のプレイバック。

 湧き上がる気恥ずかしさ。

 今まで思い出さないよう引き出しの奥の方に入れておいたのに一気に登場する記憶。

 

 伏目で見ると山本さんが小さく手を振っていた。

 

 ……ぅおぃっ!

 燃え上がる気恥ずかしさ。

 今まで触れないよう引き出しの奥の方に入れておいたのに派手に登場する寝起きの思い出。

 

 あの手。

 あの手なんですよ。

 あの手とこの手が、ですね。

 

 

 

 

 

 

 昨日の夕方、縁側の二人は手を握って寝てしまっていたのでした。

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