第14話 やりにくい相手
次の日ピオニアはハンスと昼食をともにした。ハンスは決して他人と目をあわさない。「病気の痕があるから食事中もフードを被ったままでいさせてくれ」と断った。
他人の目をみて話すことが第一の礼儀としつけられてきたピオニアには話しづらい相手だった。
「ここに来る前はどこに住んでいたのですか?」
「あちこち。流れ歩いた」
ハンスは多くを語ろうとしなかった。探りを入れにくい。
スープの皿に顔を近づけて覗きこんで飲む姿は上品とはいえなかったが、ナイフやフォークの扱いは手先の器用さをみせていた。
たいして言葉もかわさずにデザートまで終わってしまった。
お茶を飲んで一息つくとピオニアはハンスを二階の書斎に案内した。そこは王家の全蔵書が納めてある図書室といったほうがいい。
姫は中央の大きなマホガニーの机の上にレーニアの地図をひろげた。くじらが横を向いた形の国土の上に、毎年直径十センチ以上の木々を調べ書きこんである、森林台帳ともいえるしろものだ。
「この城がどこかわかりますか? 自分の家は?」
「なんだい、テストかい。城がここ、うちがここいら、昨日切ったのはこの二本だ」
「この中で今船材として使えるのは何本ですか?」
「レーニアの小型船を造るなら百二十本、七、八隻ぶんだろ」
「十年後は?」
「ハンス様なしじゃ百三十本、十隻、ハンス様ががんばれば二百本、二十隻。木はそんなにすぐには大きくならねえからな。でも十年間も船をこしらえないなんてありえない。修理にも必要だから二十隻は無理だな」
「そう、そこでハンス様に営林大臣をお願いしたい」
「なに? 何大臣だって? えいりん? 何するんだそりゃ?」
「木材の必要な船大工や領民の話を聞いて、どの木を切るか決めてほしい。植林やその他、森について気がついたことを教えてほしい」
「そりゃ、わしの得意分野だからやらんでもないが、わしの自由を奪うんじゃなかろうな? 毎日毎日城に呼びつけられるのはごめんだ」
「木を切りたい者が集まったら呼びにいかせます。ここの隣を城内でのハンスの部屋として、お給金は一日一レニエ。ただし、来年の今日、船を十隻造れるだけの樹木が森になければ、その後はただ働きしてもらいます。いいですね」
「強引な姫さんだ。まあよかろう」
その夜ピオニアはラドローの夢をみた。暗い背景の奥にひとり立っていた。ぼさぼさの髪はしていたが、ふりむいて微笑んだ。
「ラドロー」
手を伸ばしたが届かない。涙が滲んだ。絵が蒸発するように像は消えていった。
農繁期が終わり冬に近づくにつれ、農機具や家の修理に木材を求める者が増えた。ハンスの部屋においた、名前と目的と希望寸法を書き出したリストが長くなっている。
しかし当の本人はやはり呼びにいかないと登城はしないようだ。ハンスの家に人をやってもうちにいたためしがない。任せた限り、勝手なこともできぬとピオニアも馬でハンスを捜すことにした。
半時間ほどでハンスが東の湾の砲台にいるのを見つけることができた。
「なんだ、姫さんか。ここらで最近戦争があったのか。板材のかけらがたくさん岩場にうちあげられている」
「二ヶ月前フランキとの戦いでした」
「かけらを拾い集めて船大工にみせるといい。新しい船の造り方ができるかもしれん。姫さんがじきじきにやってきたとなると木を切らねばならないようだ」
「ええ、もう十二名も申請がきています。もう待てないと今も四人が城に留まっていますから、私の馬をお使いなさい」
「姫さんひとり歩いて帰すわけにはいかない。一緒に乗りな」
ハンスはひらりと馬にまたがるとピオニアに手を貸した。
「あそこらの森はいい。姫さんのお祖父さんくらいの代に誰かが手入れをしてくれている。こないだ使える木は百二十本と云ったがもう少し余裕がある。それに比べて西の岬ははげちょろだ。もともと離れ小島が砂さ嘴しで陸続きになったんだろう? 砲台を隠すにも陸地を固めるにももっと森が要る」
普段は男のようにしか乗らない馬に横乗りすると景色が違った。目の前になだらかに低くなっていく牧草地が広がっていて、冬に向けての干し草づくりの最終段階に入っている。その先に細い海を挟んでメルカットが見える。すぐ右には贅肉のない日に焼けた男の胸もとがあり、太い腕が手綱を取っている。
「ハンス、あなたは年令をひとまわり偽って入国しましたね。木こりというのもやはりうそです」
「罰せられるのか?」
「思惑しだいです。敵国の内偵でない場合は厳しく詮議することもないと思いますが。あなたの場合、馬の走らせ方、物の見方考え方が軍事的すぎます。東の砲台から故郷を思っていたのではないことを祈ります」
「故郷?」
「フランキです」
「はは、姫さんはフランキ人を知らない。フランキ人はこんなにお行儀よくないと思うぜ」
もうこの林を抜けると城だというのに、レナ川が滝となって海に落ちる寸前の池のほとりで馬を止め、ハンスは馬上で姫を抱きしめた。
「何するんです!」
力を緩めもせずにピオニアのあごを掴んで口を押しつける。
ラドローはこんな乱暴なキスはしなかった。覆面をはずした後ゆっくりと指でなぞり、そっと唇をあわせてくれたのだった。
「さっきから気になってしょうがねえんだ」
そういって姫の、黒髪をひとつに束ねてあらわになったうなじに唇をすべらせた。
「騒ぐな。さわぐと落馬するぞ」
「卑怯者!」
ハンスはもう一度軽く唇をあわせるとひょいっと馬から下りた。
「こんなやくざもんと馬になんか乗るからだ。おいしかったよ、姫さん」
ピオニアは呆然とした。
レーニアでは姫に手を出そうという男はいない。いなかった。畏敬の念が先にたつからだ。だから、ピオニアのほうから威圧することもなく、周りから軽んじられることもなく、どこにいくにも安全で快適だった。これからはそうはいかない。ハンスのような男には近づきすぎてはならない。
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