一計②
「……メニューだ」
「ありがとうございます」
手渡されたメニューに目を通したリベルは、驚きで少し目を見開いた。
一瞬の間を置いて、「チーズ料理……」と言葉が漏れる。
その様子を見たソルディオは、満足そうに頷いた。
「今日はリベル殿を
好物だろう? と、意味を込めてリベルに視線を投げつける。ずっと固い表情をしていたリベルの口元も、流石に綻んで見せた。
「お気遣い痛み入ります」
「それはファナに直接言うと良い」
「……そうですね」
リベルがメニューに視線を戻したのを確認し、ソルディオも「さて、オレは何にしようか……」と考え始める。
エルファナが選び、手配した店というだけあって、どの料理もそれなりの値段がするようだ。
「……うぅむ」
「何をそれほど悩まれているのですか」
暫くの間メニューを決めかねているソルディオに呆れ、リベルがたずねてきた。
「一つに絞れなくてな……」
ソルディオは知っていた。こういった店は値段の割にどの料理も量が少ない事を。そして他人の何倍も食べるソルディオにとって、それはなかなかの死活問題だった。
なるべく腹にたまるものが食べたいが、並ぶ零の数に手が止まる。だからと言って比較的安価なものに目を向ければ、どれも一口で消えてしまう量しかなく、下手に食べて欲求不満になるくらいならいっそ食べない方が……なんて考えさえ浮かんできた。
……でも、ハラヘッタナ。
「本日は下見という名目ですから、会計は経費で落ちます。お好きなだけ頼まれては如何ですか?」
リベルのため息混じりに出された提案に、食い気味で答える。
「良いのか………!」
「申請書に判を押すのは私です。何ら問題はありませんよ」
「……そうか。正直、意外だ」
思わずこぼしてしまった本音。しまったと思うにはもう遅く、リベルに無言のまま続きを促されてしまった。
「リベル殿なら……貴様の腹を満たしてやる経費などないわ! とでも言うの、かと……」
せっかくなのでリベルの口調に寄せてみたが今度はクスリともしてくれず、ソルディオを見る目はどこまでも冷たい。
完全に滑ってしまったようだ。
「はあ……」
ため息とともにリベルの眉間のシワが一層深くなるのが面白くてついつい眺めてしまう。
「金銭と権力は使ってこそ価値があります。あまり私を見くびらないでいただきたい」
そんな態度がバレたのか、不機嫌を隠そうともしないリベルに、ソルディオは軽く肩をすくめて謝罪した。
「それはすまなかった……では、遠慮なく頼ませてもらおう」
——リン。と、涼やかなベルを鳴らして少々。先程対応してくれたウエイターが、再び姿を現した。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「チーズアラカルトを一つ」
「……この店の料理を全て一つずつだ」
二人の注文を書き留めようとしたウエイターの手が止まる。
「お、お客様……当店のメニューには、三人前のものもございますが……」
戸惑いを隠しきれないウエイターの反応に、リベルは眉間を軽く揉んだ。
「ルーシア卿……好きなだけとは言いましたが、せめて数度に分けて注文してください」
「何を言う。オレはこれでも小分けにしたつもりだぞ?」
心外だと言わんばかりのソルディオは、胸を張って「なんせメニューを三周はするつもりだからな」と、さらに付け足す。
「それは……お体に障るのでは……?」
最早呆れるのを通り越して心配になってきたリベルに、ソルディオはなんて事ない様に言った。
「オレはいくら食べても満腹を感じなくてな……氷雨の診断によれば、過食症というやつだ」
そして糖尿病、高血圧、高脂血症。そういった生活習慣病の立派な予備軍である。
『そのまま横にもぶくぶく成長して床板踏み抜いて骨折しろッ! むしろ死ね』——以上が某養護教諭の言である。
実に酷い。
「だからその分運動をするようにしているんだが、まあ……あまり気しないでくれ……」
なお運動でカロリーを消費した後は、もちろん腹が減る。
腹が減ったらまた食べてしまうので、ただの悪循環である。
「彼に料理を出してもらえるか? 急ぐ必要などないし、一品ずつで構わない」
「かしこまりました」
納得してもらえたのかは定かでないが、ソルディオの本気は伝わったようで、リベルの一言もあってウエイターはお辞儀をすると早足気味に立ち去った。
「……すまない」
「いえ、別に」
無事オーダーが通って一安心したソルディオは、改めてリベルと向き合い「ところで……」と切り出した。
「リベル殿に敬語を使われると、据わりが悪いのだが……」
「何をおっしゃるのかと思えばその様な事」
急に真剣な雰囲気を作ったせいで身構えたリベルが、そんな事かと笑みを浮かべる。
「ルーシア卿は、クレテリアコーポレーションの実質トップであらせられるエルファナ様の右腕。
クリテリア家と言えば、五人いる娘とその父親がそれぞれ世界億万長者ランキングのトップを占める規模のおかしい連中である。
代々受け継がれてきたクレテリアコーポレーションはありとあらゆる方面に事業を展開し、総資産は数千億ドル。表にも裏にも顔がきき、一国の王や大統領ですら敵に回したくないと言われている正真正銘の化け物だ。
そのクレテリアの次女に当たるエルファナ・D・クレテリアの右腕を務めるソルディオの地位だって言わずもがな。現在教師職に就いているのも、教育界にまで手を伸ばした彼女の事業を手伝うためである。
だが、
「末端社員はいくら何でも謙遜がすぎるだろ……リベル殿ほどの才覚があれば、いくらでも上を目指せるだろうに」
「まさか。私の代わりなどいくらでもいますよ」
「……その言い方はあまり関心しないな」
自身を軽んじるリベルの発言に、ソルディオは軽く目を細めて不快感を示した。
「何よりファナは木っ端社員にまで気を回すような女じゃない」
顔の整っている者が怒ると怖いなんてよく言ったもので、怒気を孕ませたソルディオの目力は常人なら震え上がる程の迫力がある。
しかしそれに怖気付くようなリベルでもなく、ただ平然に「それでも私は、仕事しかできない。それだけの人間です」と答えた。
「立派な事だろう……」
動じる様子のないリベルに溜息を吐き、ソルディオは足を組み直す。わざと滲ませていた怒気もついでに戻しておいた。
「オレなんて学がないからな……リベル殿に教えを請いたいくらいだ」
「私の記憶が正しければ、ル―シア卿は二十三もの言語を操れたはずですが?」
「……リベル殿風に言えば、『それだけ』だ」
全く同じように言い返され、リベルは押し黙る。
「貴殿は十分すぎるほど働いている……ファナの労いを素直に受け取って、もっと自信をつけたらどうだ? それに、リベル殿には遠く及ばないが、もう少し我ら教師陣に頼って欲しい。でなければ……オレが過食で身体を壊す前に過労死するぞ」
「……善処しましょう」
「ああ」
ようやく要望が通った事に満足し、一つ頷いたところでソルディオはハッと気がついた。
「……何故こんな話になったんだ?」
「何故でしょうね」
「それだ。敬語をやめてもらいたかったんだ」
リベルの舌打ちが響く。
いつの間にか話をすり替えられていたようだ。油断も隙もないとはこのことか。
「話をそらそうとしたとこ悪いが……やめてもらえるか?」
「立場を明確にするのは大切なことです」
「いや、だがソワソワする……」
「下の者に甘く接しては付け上がらせるだけですよ」
「……それで生徒に『様』づけを強要しているのか? オレは別に構わないぞ」
「はぁ……これで良いか」
「……ああっ! 感謝する」
今度こそ本来の要望を通すことに成功したソルディオは、顔を輝かせる。リベルに呆れられてもお構い無しだ。
「お待たせいたしました」
と、丁度良いところに前菜に当たる軽い料理が運ばれてきた。
「こちらチーズアラカルト、インサラータ・カプレーゼ、とろとろナスのトマトソースチーズ焼き、生ハム・アボカドチーズロールになります。その他のメニューは、準備出来次第お持ちいたします」
「来たか」
「ああ、美味そうだ……」
ソルディオの前に三つ、リベルの前に一つ皿が並ぶ。
「「いただきます」」
二人は揃って手を合わせ、ナイフとフォークを取った。
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