2.触れる手と近づく気持ち

 翌日から、エドは仕事の合間や夕食後に時間を割いてはエスタシオンについての授業をしてくれた。


 歴史に作法、法律に経済。――そして、魔法。

 わたしに必要な知識を少しずつ教えると約束してくれた。


「魔法は各々が内に持つ魔力を、自然界に流れる魔力と理に結び合わせて発動させる――だからそれらは『奇跡』と呼ばれているのです」


 エドの綺麗な形をした手が、目の前にそっと差し出される。

 もしやと思って見上げれば、手を出すように促された。


 大人になったエドの手。

 数日前に契約魔法を交わすためだけに触れたその手は、子どもの頃のエドの手とは違って硬さがあり、男の人の手だと実感せざるを得なかった。


(本当に、触れてもいいのかしら?)

 

 恐るおそる手を伸ばせば、エドがしっかりと握ってくれる。


「力を抜いてください。今から魔力を流し込んでみますから、その魔力を追うのです」

「ど、どうやって……?」

「とりあえずやってみてください。感覚でわかるでしょう」


 感覚を知っているものなのだろうか、と疑問に思う。幼い頃から魔法に慣れ親しんでいる国の子どもならともかく、魔法とは疎遠だったわたしにそのような感覚は欠片も無い。


 それでも一先ずは言われた通りにしてみようと、目を閉じる。


「……わかりました」

「いい子ですね」

「……?!」 


 耳のすぐ近くでエドの声がして心臓が跳ねた。微かに息のかかる感覚に身が震えてしまう。

 そんなわたしを宥めるかのように、エドは私の手を撫でる。

 

 エドが触れている。

 その手に全ての意識が向いてしまったその時、じわり、と手に温かなものを感じる。


 微かに身を捩るわたしに、エドはこれが魔力なのだと囁いて教えてくれる。

 耳に直接注ぎ込まれる声に、心臓が早鐘を打ち続ける。


(これをどう追いかけるのかしら?)


 戸惑いつつ全神経をその温かな力に注ぐと、自分の体の芯にある何か大きく揺れた気がした。

 やがてそれはエドの魔力を取り込み――また静まり返る。


「何か……私の体の内側にあるものが揺れました」

「それがセラフィーナの魔力です。魔導士はそれを揺り動かして呪文で自然界にある魔力と理に結び、魔法と成します」

「これが魔力……」


 もう一度目を閉じ、自分の体の中に在る未知の力に触れた。

 それは温かく、どこか懐かしい感覚。


「練習すれば無意識のうちに動かせるようになりますよ」


 エドは空いている方の手を引き寄せてわたしの手にかぶせる。


「どうして侍従の私に魔法を教えてくれるのですか?」


 口をついて出た質問に、エドはほろりと微笑みを浮かべた。


「私はあなたに鎖をつけて繋ぐことしかできませんが、それでもあなたの可能性を消さないようにしたいのです」

「旦那様……」


 目の前に居る美しい大魔導士は少し目を伏せ、悲痛そうな表情を見せる。そんな彼の姿に落ち着かなくなる。


「もう少し待ってください。今はまだあなたを敗戦国の姫だと警戒する者の存在に気を付けなければならないのです。いつか人々があなたの昔の肩書を忘れてくれれば不自由さが和らぐはずですから」


 じわりと、涙の膜が視界を覆う。

 エドの冷たい態度が私のことを想ってのことだったのだと、そうわかると安心してしまったのだ。


「とはいえ、外の世界を知りたくてたまらないでしょう? 明日は社会見学もかねて王都に行きましょうね」

「本当に……?」


 整った形の指が優しく瞼を撫でて涙を掬う。その指にエドが唇を寄せるのがあまりにも美しくて絵のようで、ぼんやりとした頭で見つめてしまった。


「ええ、二人きりで出掛けるのです。ドリスには私から話しますので、着ていく服の相談をするといいでしょう」


 昔のように微笑んでくれるエドを見ると嬉しくなる半面、胸の奥がずきりと痛んだ。


 

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