第4話 夜話

 

 ざくり、関口は三度みたび、地面に円匙スコップを突き刺した。

 村の外れ、踏み固められた地面は硬く、刺さりはひどく浅い。

 この調子では、必要な深さまで掘り進むのにかなりの時間を要するだろう。

 残る地点は六つ、日が落ちきる前に全ての作業を終えるのは難しそうだ。


 穴を、掘っていた。


 結界を張る。

 村人に対し、陰陽師は端的にそう説明したが、その下準備は地道かつ地味なものである。

 囲う予定の領域周辺に、一定の深さ、一定の手順で、ひとつひとつ呪物を埋める。

 そうして一帯に霊的な楔を打ち込んではじめて、陰陽師の術式は用を為す。


 つまるところ、関口はその下準備の手伝いをさせられていた。


「それで、使えそうかい?」

「……は?」


 主語のない突然の問いかけに、関口ははじめ、何を問われているのかわからなかった。土を掘り返す手が止まる。

 問いを投げた当人はといえば素知らぬ顔で、もう少し深く、と穴に注文をつけた。

 彼の仕事の準備だというのに、手伝おうという姿勢は微塵も見えない。

 その態度はいっそ清々しいくらいだった。


「まさか、仰っているのはあの名無しの娘のことですか。

 よもや彼女を陰陽寮に入れようと?」


 手を動かしながら、ようやく思い至ってそう訊ねた関口に、陰陽寮の長は何を今更、という顔をした。


「そうだよ。それ以外ないだろう。

 何のために帝都へ寄越させたと思ってるんだい」

「……ここの神社への奉納とやらの為ではなかったんですか」

「やだなあ。だったら帝都へ連れてこいだなんて初めから言わないよ。

 ここに立ち寄って貰ったのは、単に予定が少しばかりズレただけさ」


 陰陽頭のにこやかな笑みに、関口は眩暈を覚えた。どっと疲れが来る。

 相変わらず、説明が足りていない。


 尤も、こういう男だということは初めから判っていたことだ。

 判っては、いたのだが。我知らず、手に余計な力がこもる。

 ざくり、一際深く、円匙が地面に突き刺さった。


「それで、どうだい? 君から見て、彼女は使えそうかな」

「……機転はききます。勘も悪くない。

 足りないのは知識でしょうが、飲み込みはいい。

 いい指導役をつければ、使い物にはなるでしょう」


 ですが、と関口は言った。

 ざくり、砂を分けて円匙のきっさきがつきたつ。

 表土をどかせば、少しばかり湿りをおびた、黒い土が顔を覗かせた。


「彼女を陰陽寮に入れるのは反対です」

「おや。何故だい」

「今日談笑していた仲間が、翌日には居ないかもしれない。

 それが当然の場所に、何も知らぬ娘を放り込むのが正義だと?」


 そもそも、関口が名無しの村を訪れたのは、横死したとおぼしき先任の消息を確かめる為だ。

 関口にとっては、それが当然、それが普通。そうして、端から納得ずくで所属している己はいい。

 だが、あの娘にその認識は薄いだろう。


「正義ねえ」


 言って、枯れ草色の三つ揃えを纏った男は肩をすくめた。

 ざくり、穴を掘る。先程までうっすらとしたへこみだった穴は、いまや拳三つ分ほどの深さに達しようとしていた。


「なにも、僕だって嫌がる彼女に無理矢理やらせようってつもりじゃないさ。

 こういう選択肢もあるよ、と提案したいだけだよ。

 それに、選択肢があるだけ彼女は恵まれている方だと思うけどなあ」


 そううそぶく男の言葉は、関口の耳にはひどく薄っぺらく響いた。


「学もない、身寄りもない。

 何も持たない娘に選べる道があるってのは、悪くない事だと思わないかい?」

「他の道が示されないなら、それは選択肢ではないでしょう。

 選びようがあるかのように言いつくろってみたところで、その提案は誘導でしかない」


 ふむ、とハルアキは呟いた。

 深さはそれでいい、と関口の手を止める。


「つまり、君はどうするべきだと?」


 穴の底に、ふたつあわせにした土器を納める。

 その上に土を被せながら、洋装の陰陽師は訊ねた。


「どうするも何も……。そもそも、彼女は一般人でしょう。

 本来ならば受けられた筈の教育を受け、普通の生活を営む権利がある。

 陰陽寮に入るという選択肢を示すとしても、まずそういった、当然の選択ができるようになってからで良い筈だ」


 ざっと穴を埋め戻した狐顔の男は、ぱんぱんと手を叩いて土を落としながら、ふうん、と気のない返事をした。


「なるほど。それも一理ある。

 しかし、──随分と入れ込んだね?」


 細い目が薄く開かれる。

 その隙間から漏れる、どことなく底意地の悪い光に刺し貫かれて、関口はわずかにたじろいだ。


「そんなつもりは、」

「いや、構わないさ。ともかく、君の意見はわかったよ」


 彼女をどうするか、考えておこう。

 そう言って、スーツ姿の陰陽師はのんびりと立ち上がった。


「まあ、それもこれも、まずはここのいざこざを収めてからだ。

 じきに日も落ちる。次にいこうか」


 埋める地点はまだまだあるよ、と男はひどくいい笑顔を浮かべる。

 どうせ掘るのは自分なのだろうな、と理解して、関口はげんなりした。


 日は既に沈み、僅かに山の端に茜色の名残がある。

 その反対側、東の空には星が瞬きはじめていた。


 夜が、来ようとしていた。


 ○ ○ ○


 潮邸で、遅い夕餉を終えたあとのことだった。


「少し話があるのですが、構いませんか」

「ええと、はい」


 改まった様子の関口に、名無しは戸惑いながらも頷いた。

 咄嗟に思いつくのは明日のことだが、奉納の手順ならば先程ハルアキにみっちりたたき込まれたところだ。これは違う。では、いったい何の話だろう。


 疑問を感じながらも、こちらへ、という関口の背を追って、名無しは屋敷の外に出た。


 屋敷の外に、風はなかった。

 かわりに、ぬるい夜の空気が満ちている。


 話がある、と切り出しておきながら、関口は中々話し始めようとしなかった。

 不思議には思ったが、名無しは実のところ、この男の沈黙は嫌いではない。


 関口の、何やら思案げな顔の後ろには、満天の星空が広がっている。

 長く見つめていると吸い込まれてしまいそうだった。


「このあと、」


 おもむろに、男は口を開いた。


「君はどうするつもりでいますか」

「ええと、……明日の奉納が終わったあと、ということですか」

「そうです」

「このあと、」


 名無しは言い淀んだ。

 このあと。そんなもの、名無しにはわからない。


 それを訊ねる関口は、どんな答えを望んでいるのだろうか。

 宵闇の中、その顔を見返しても、名無しに読み取れるものは何一つなかった。

 光の加減か、いつもより、わずかに表情が硬いように見えるだけだ。


 考えてみてもわからないので、名無しは正直に答えることにした。


「その……わかりません。

 村の外に出ることになるだなんて、思ってもみなかったので」


 もっとも、村にいたところで、名無しには先の展望などありはしなかった。

 ただ、死んではいなかった。それだけだったからだ。


 ふと、では今はどうなのだろう、と名無しは思った。

 相変わらず、死んではいない。では、生きていると言えるだろうか。

 わからない。


「奉納が終わって、戸籍を貰って……。

 それから、わたし、どうしたらいいんでしょう」


 名無しの問いに、関口は答えなかった。

 かわりに、こう言った。


「君には選択肢がある」


 そう言い切る関口の瞳は、宵闇に煌々と輝いて見える。

 ふと、星のようだな、と名無しは思った。

 その光は、北の標星に似ている。


「時期はずれますが、その意思があるなら、君は初等教育を受け直すことができる。難しいかもしれないが、仕事を見つけてもいい。

 そうして普通の生活をする権利が、君にはある」


 普通とはなんだろう、と名無しはぼんやりと考えた。

 昔、それにひどく憧れていたような気はしている。

 だが、名無しの中のそれはもうひどくぼやけてしまっていて、曖昧模糊とした手触りしかない。


 ふつう。

 だがそれは、関口の言によれば、己にも許されているのだという。

 それは、恐ろしいことのようにも、喜ばしいことのようにも思えた。


「我々のここでの仕事が終わって、帝都についたら、君は改めて色々な選択肢を提示されることになるでしょう。それでも君は、そういう道を選んでいい。

 ……自分が言いたかったのは、それだけです」


 はい、とよくわからないままに名無しは頷いた。

 わからないままに、何かを強く肯定されたのだ、という感覚があった。

 ぼんやりと、胸の内があたたかいような気がする。


 それがなんとはなしに気恥かしいことのようにも思えて、視線をそらす。

 そうしてふと見た山肌に、ぽうといくつか明かりがついていることに気づいた。


「あの明かりは、なんでしょうか」


 名無しが指さした方角に、関口は振り向いた。


「ああ。笈山神社でしょう。明日、君に訪れて貰うところです。

 明日の奉納が無事に済めば、あの神社は取り壊されて別の場所に新しい社を建てることになる。

 おそらく、それを惜しんだ村人が、別れを惜しんでいるのでしょう」


 関口の言葉に、名無しはドキリとした。


「あの……善治郎さんの奥様から、村のひとたちと、鉱山のひとたちはあまり仲が良くないと聞きました。なのに、鉱山のために神社を壊すって……それで、うまくいくんでしょうか」


 少なくとも、奥方は彼らとうまくやりたい。そう考えているように見えた。

 名無しには、政治や経済の難しいことはわからない。

 だが、仲良くしたいのであれば、相手の大事にしているものは大事にするべきなのではないだろうか。


 そう訊ねられた関口は、少し困ったような表情を浮かべた。


「……うまくいくかどうかは、自分にも判りかねます。

 ただ、この件に関しては、何が起こっても君のせいではない。それは確かです。

 君は、君の勤めを果たすことだけ考えて下さい」


 困らせてしまっただろうか。

 少し不安になりながらも、名無しは頷いた。


「すみません。長話に付き合わせました。

 君も、今日はもう寝て下さい」

「はい。あの、……おやすみなさい」

「おやすみ」


 習慣になった夜の挨拶を交わして、己に与えられた客間へと戻る。

 そのあいだ、名無しの脳裏にあったのは、関口の語った、ふつう、という言葉だった。


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