第16話 浄霊(4)

動きを止めた綾那に後ろから臣人が襲いかかった。

すぐに綾那はそれ気がつき、身体を半回転させるとつかもうとしていた臣人の腕を肘ではじいた。

肘はちょうど臣人の手の甲に当たっていた。

痺れたように激痛が走った。

「ちぃっ」

臣人も数珠を持った左手で綾那の制服をつかもうとした。

一瞬早く綾那はそれをかわして後ずさった。

また、綾那が四つん這いなった。

さっきよりも低い姿勢で臣人と対峙している。

「魔界…仏界同如理…一相…平等無差別…」

臣人は再びを唱え始めた。

数珠を持った左手を胸の前に挙げ、右手を下げる。

あまり長い時間、暴れさせるわけにはいかなかった。

いくら憑依で人間離れした強い力を出していようと中味は17才の少女なのである。

後々のことを考えれば、少しでも早く片をつけた方がいいに決まっていた。

綾那は目を見開いた。

口は裂けたように上にあがり、とても綾那の顔には見えない。

ギロリと上目に臣人を睨みつけた。

身体が前後に少しずつ揺れていく。

臣人も綾那をじっと見つめ様子をうかがった。

次の動作を予測しようとしていた。

視線。

筋肉の動き。

細部にまで神経をまわし感じ取ろうとしていた。

互い出方をうかがいながら、次第に臣人の呼吸がゆっくりになっていた。

身体に『気』を溜め始めた。

次の攻防で最後にしたかった。

急に綾那が動いた。

目にも留まらぬ速さで両手を前に出し、突進すると臣人の首を狙ってきた。

「南無……」

臣人は自分の両手で彼女の両手をはさむと半歩、体を内側に入れ、向きをくるりと変えた。

それでも、綾那はあきらめずに再び首を狙って噛みつこうとした。

獣の雄叫びが聞こえた。

臣人は素早く体を入れ替えた。

左手で首を防御し、払い除ける。

抑えていた右手を離し、綾那の右手首を極め、彼女の背中に右腕を回すようにして動きを封じた。

そのまま、左手を彼女の肩に置き、必要最低限の動きで綾那の動きを抑え込んだ。

床に倒されるように綾那の身体が横たわっていた。

臣人はその場で数歩動いただけだった。

綾那は戒めを解こうともがくが、そんなことで外れるほど甘いものではなかった。

そうすればするほど痛みが増していく。

綾那の顔は乱れた髪の毛で完全に見えなくなっていた。

苦痛に歪んでいるに違いない。

荒い呼吸だけが辺りに響いていた。

臣人はその背中を見ながら沈黙していた。

バーンも美咲も榊もその様子を見守るしかなかった。

『何を躊躇っている?』

綾那の口が男のような太いかすれた声で語り始めた。

『我を滅せねば、この娘の命はないぞ』

悲しそうな顔をしながら臣人は話し始めた。

「なあ、お稲荷はん。あんさん達の行き場のない怒りはわかる。きちんと祀られもせず、忘れ去られてしもた。人間のいい加減なとこに腹たててはりまんのやろ?」

臣人は抑えていた手の力を少し弛めた。

「そやけど、おもしろうないから…この娘に取り憑いたからって何か解決するやろか?」

臣人は綾那から手を退けた。

そこから半歩離れた場所に座りなおした。

「わいら二人はできることなら、力尽くはしとうない思うとる。そんなことしても何の解決にもならん」

臣人は自分の言葉を証明するかのように彼が行っていたすべての戒めを解いた。

バーンは呪文を唱えながら臣人と稲荷の会話に耳を傾けていた。

綾那がようやく重い体をむっくりと起き上がらせた。

「むしろこの達を今まで同様に見守ってほしい…そう思うとる。あんさん達が守っとった旧校舎は取り壊される。今のあんさん達には居場所がない。このままでは、いずれ確実に野弧になってまうで」

ここで臣人は言葉を切った。

何かを考え込むように稲荷は黙り込んでしまった。

その沈黙を美咲が必死な声で破った。

「わ、私もお願いします」

両手を組み、口元にあてながら話し出した。

「本条院さん」

びっくりして榊が彼女の方を見た。

この異様な雰囲気の中で言葉を口にできる彼女の勇気に驚いていた。

「綾那を返してください。親友なんです。綾に何かあったら、私……」

普段は冷静な美咲が取り乱していた。

榊の教員魂にも火がついたようだった。

「私からもお願いします。劔地さんを自由にしてあげてください。お参りをするとか、お供え物をするとか何か見返りが必要なら私にできることをしますから」

きりっと眼鏡をかけ直しながらきっぱりと彼女は言いきった。

最後にバーンがその口を開いた。

「…俺からも…頼む。彼女を解放してやってくれ」

稲荷は意外なことのように臣人を見て言った。

『なぜ、そこまでこの娘に入れ込む?』

「お稲荷はんはこの娘達、いや今までにほこらを訪れたこの学院の生徒達がかわいくはなかったんかい?」

逆に臣人が聞き返した。

『………』

「あんさん達は何かにつけて守護していたはずや。きっとこの娘達もその娘達も同じだと思うで」

稲荷にも思うところはあるのだろう。

さっきまでの敵意剥き出しの雰囲気とは少し変わってきていた。

『………』

「わいらが道を拓く。だから、人に害をなす狐やのうて、お稲荷さんに戻ってくれへんか?」

力強く臣人が提案した。

それを聞いても稲荷はしばらく何も言わなかった。

そして、

『それを実行するという保証は?』

「それはわいら二人を信じてもらうしかないなぁ」

臣人はバーンを見ながら笑って見せた。

稲荷はこの二人の関係を不思議に思った。

目の前にいる真言を使うこの術者。

我を押さえ込むほどの力を持ちながら、あえてそれを使わず言葉で説得するようなお人好し。

そして、後ろの金髪の男。

本能的に何か危険なものを感じていた。

だが、それだけではない。

別の何かも感じていた。

相反する二つのものがひとつの器に同居していいるような奇妙な感覚。

神格を持った我と同じような感覚を。

『……わかった。信じよう』

稲荷は静かにこう告げると…そのまま動かなくなった。

臣人はうなずいた。

そしてバーンも同じようにうなずいた。

臣人は手を合わせ数珠を挟み込むように持ち、真言を唱え始めた。

「オン・キリキャラ・ハラハラ・フタラン・バソツ・ソワカ

オン・キリキャラ・ハラハラ・フタラン・バソツ・ソワカ

オン・キリキャラ・ハラハラ・フタラン・バソツ・ソワカ・・・」

臣人がアニスのいる方をちらっと見た。

その視線に気づいた彼女は横にズレ、祠正面の道をあけた。

臣人の数珠が綾那の額にあてられた。

「オン・バザラド・シャコク!」

臣人はその真言と同時に持っていた数珠をほこらの方へ向けた。

風が巻き起こり、綾那の身体から何かがほこらの入り口を目指して駆け抜けていった。

綾那の身体が崩れるように力が抜けていくように、ゆっくりと床に倒れた。

パァンッ。

小さな破裂音が聞こえると辺りは闇に包まれた。

魔法陣の光もなくなり、ついていたはずの蛍光灯も消えていた。

闇の中に4人は立っていた。

やがて、床にうつ伏していた綾那の指が微かに動いた。

「…ん。」

声が聞こえた。

いつもの綾那の声だ。

綾那の腕が上がって背伸びをしているのが見えた。

それを見えた途端、金縛りが解けたように美咲も榊も体が軽くなっていた。

榊はその場に力無くへたり込んでしまった。

「綾!」

美咲が駆け寄った。

「あれ?みっさ、どうしたの?」

目を丸くして綾那が体を起こした。

「大丈夫ですか?苦しくないですか?身体は何ともありませんか?」

「え、うん。平気」

「よかった」

ぎゅうっと綾那に抱きついてきた。

「ちょっと、何でみっさが泣くのよ」

「だって」

「オッド先生が『大丈夫』って言ったんだから、大丈夫よ。ね、先生?」

美咲を抱きしめながら、綾那はバーンと臣人に笑顔を向けた。

「現金なやっちゃなぁ」

臣人は頭をかきながら、バーンの方を見ていた。

「………」

バーンは優しい眼をしたまま、テーブルの上のアニスを招き寄せると肩にのせた。

「にゃああぁぁ〜」

アニスは深紅の目で綾那達を見据えると、何事もなかったようにバーンにすり寄っていた。

「とりあえずは、無事完了ってとこかいな。」

バーンも臣人も2体の稲荷が入った新しいほこらを見つめていた

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