第5章 日常を取り戻したいから



 シュナイデル城 中庭 『姫乃』


 話し合いをしたその数時間後。

 姫乃はシュナイデル城の中庭、白桜の木の下で考え事をしていた。


 今日の昼、雪奈先生から説明されたのは、こういう感じだった。


 人々にかけられた魔法を解除するためには、アテナの力……魔法陣の解析が必要になる。

 だが、無事に解除する為には莫大な量の魔力が必要だ。

 考えれば当然だろう。かけられたのは後夜祭のあの場にいた数千人の人達なのだから。

 到底通常のやり方では無理がある。


 なので、そこに便利な道具を使おうというのが雪奈先生の話だ。


 紺碧こんぺきの水晶。

 それはこの世界にある絶大な力を秘めた道具……四つの秘宝の内の一つだ。

 その紺碧の水晶は、多大な魔力が秘められており、数千人程度にかけられた魔法を解除するくらいは余裕で行えるというらしい。


 得る為には、エンジェ・レイ遺跡へ行きその奥まで辿り着かなければならないらしい。


「辿り着かなければ」と、いう事は障害があるという事だ。


 イフィールが説明した事だが、そのエンジェ・レイ遺跡は、つい最近誰かによって侵入されてしまっているらしい。

 そのせいで防衛装置が働いて、通常のやり方では奥へは行けなくなっているようなのだ。

 限界回廊を使っても、一定の距離までしか繋がらず、一度も奥へ行けた事がないらしい。


 でも、それでもやらなければならない。


 捕まった二人を何の憂れいも心配事もなく助けるためには、あの会場で今も待機させられている人々の魔法を解かなければならないのだから。


 花が散り、緑の葉っぱを身につけた白桜の木をぼんやりと見つめながら時間を過ごしている姫乃の下に、白い魔獣が現れて声をかけた。


「よっ」


 レトだ。


 彼からは、後夜祭会場を出た後で、未利達がどんな風に動いたのか教えてもらう事ができた。


 コヨミ姫と共に白装束達……明星の真光イブニングライトから逃げた二人はしばらくイビルミナイを逃げ回っていたらしい。

 けれど、結局は挟み撃ちにあって、捕まってしまったらしいのだ。


 得体の知れない人達にあんな事をやらされた後だというのに、大人しくしていないところがなんとも未利らしい。


 レトはそんな説明を姫乃達にしてくれたものだから、遅くまでこの城で時間を過ごしてしまい、ここで泊めてもらえる事になったのだ。

 バールさん達はレトを見送った後城の外で待っていたらしいが、途中で帰ったみたいで会議が終わった後レト自身がぼやいていたのを姫乃は聞いた。


「再会そうそう、厄介な事に巻き込まれてるみたいだな」

「うん、そうみたい」

「体持つのかそれで」

「もう慣れちゃったかな」


 異世界に来て始めた会ったのがルミナリアだったから。

 早々にこういうのは慣れてしまったのかもしれない。

 たまにちょっと待ってほしいって思う時もあるけど。


「レト達は、クリウロネの町の人達は元気でやってる?」

「ああ、超元気だぞ。逞しくやってる。お前らよくそんなに元気出せるなってぐらい。それはやっぱ感謝しなきゃだよな」

「感謝?」


 レトは前足で顔をこすりながら、照れくさそうに続ける。


「だって、アイツらが前向きにやっていけるのは全部お前らのおかげじゃん。色々大変な境遇だっての分かってるし、こう言っちゃ悪いと思うけど、お前達がいてくれて正直良かったよ。霧の魔獣に襲われるし、変な町には閉じ込められるしだったから、俺達だけじゃたぶん無事じゃ済まなかった」


 そういえば色々あったんだよね。

 シュナイデに来てからもかなり濃い目の時間を送って来たから、少しなつかしく思えてしまう。


「だから、感謝してるのは本当だぞ」

「そっか、力になれてたら良かったよ」


 しばらく無言の時間が過ぎた後、レトは空を見上げる。

 そよそよと夜風が吹いて、体をなでていった。

 虫の声とか、さわさわと揺れる木の葉の音は聞こえるけど、光が無いからすごく静かに感じる。


「こんなに静かで穏やかだと、世界が大変だって状況忘れそうになるぜ、ほんと」

「そうだね。どこか遠い場所の出来事みたいに思えて来ちゃうよ。でも、本当に起こっていて大変なんだよね」


 終止刻エンドラインになって最初の頃は、エルケの町がずいぶん混乱していたのを覚えている。

 皆不安そうで、道行く人は顔色が悪かった。


 けど、しばらくすればまた以前みたいな生活に戻るのだ。

 何も起きなかったみたいに、とまではいかないけど。あんな混乱があったことが嘘みたいな風だと思えるくらいには。


「でも、それってたぶん、そうしたいからそうしようって思ってやってるんだと思う」


 誰も、暗い顔して毎日を過ごしたり、不安を抱えて日常を過ごしたくないはずだ。

 だから皆、一生懸命に普段と同じように過ごそうと装っているのだ。


「私も同じだから、普段通りの行動をしてれば、まだ大丈夫かなって思えてくるの」

「そういうもんか」


 でも、それさえできない人は大変だよね。きっと。

 不安が嫌だけど、日常に戻りたくても戻れない人はいると思う。


 例えば、大切な誰かが傍にいなかったり。

 例えば、身を脅かす危険が迫っていたり。


 そういう時って、中々日常には戻れないよね。


 そう姫乃が話せばレトは、そうかもなと同意を返してくる。


「クリウロネの町も段々と人がいなくなっていって、何か暗くなってったからな。人間って、余裕がなくなると、平静にはしていられなくなるのかもな」


 東の地からの脱出を巡って、色々あったレト達には、そういう事は身を持って分かる事なのかもしれない。


「そんな人達が、今回の事を起こしたのかなって、私は思うんだ。本当の所はどうなのかまだ分からないけど」

「いーや、間違ってないんじゃねーの。勝手な意見だけど。浄化能力者なんて切り札を後生大事に抱え込むんだからよっぽ余裕がなくて追い詰められてるチキンなんだろ」

「そうかな」


 当たっていたから、だからどうだと言う所だろうが、未来は分からない。

 準備を整えて反撃に出た時も、相手の気持ちを知る事ができればきっと、姫乃達にもできる事は増えるはずだから。


「余裕を失くした人間ってのは、やっかいだよなあ。こっちが考え付かねぇようなことやってくるし、気を付けた方が良いと思うぜ」

「うん、ありがとう」






 シュナイデル城 城壁近く 『ウーガナ』


 同時刻。

 虫の音しか聞こえないような夜中。

 牢屋に入れられるのを忘れられて放置された後、一番の部外者だというのにワケの分からない会議に出席させられたウーガナが、次に連れていかれたのは外だった。


「はぁ? 今なんつった」

「何だ聞いていなかったのか。お前は釈放だ。自由の身だと言ったんだ」

「……はあっ!?」


 目の前には、この城の女兵士、イフィールが立っている。

 イフィールは聞き返したウーガナに大して、先ほど言葉を告げた時とまったく同じ表情で、同じ言葉を繰り返した。


 ウーガナはまず耳を疑った。

 そしてついでに目の前の女の頭も疑った。

 これが疑わずにはいられるか。


 願ってもいないチャンスが到来した事は確かだが、それを無条件に、そして素直に喜べるほどウーガナは単純ではない。


「何考えてんだテメェ。俺様はテメェ等を襲った海賊だぞ」

「ああ、知っている。何しろ当事者だからな」

「テメェ等の身ぐるみを剥いで海の底に沈めようとした人間だぞ」

「ああ、分かってる」

「だったら何で、んな危険人物を野放しにすんだ。馬鹿じゃねぇのかテメェ」

「何でも何も、そう決まったのだから仕方あるまい、一兵士である私がとやかくいう事ではないだろう」


 まったくもってその通りだが、それを認めてしまってはウーガナの溜飲が下がらない。

 ここでうだうだ文句を言っていた所でまた牢屋にぶち込まれるかもしれないし、離れた方が良いことぐらいは分かっていたのだが、あまりにも事態の成り行きが不可解過ぎたのだ。

よく分からない得体の知れない事情で釈放されても、すっきり喜べるわけがない。


「テメェ等は、一体何を企んでいやがる」


 確かにレース会場の爆弾を見つけてやったりはしたが、そんなことぐらいで無罪放免になるわけがない。

 ウーガナは、未遂で終わったとはいえ、城の調査隊や、(後から聞いた話だが)重要人物であるらしいガキ共に危害を加えようとしたのだ。

 善行の一つで釣り合うはずのない事をやらかしている。


 であるならば、ウーガナのこの釈放は何者かの利益になるから行った、と考えるのが自然だろう。


「企んでなどいないし、利用しようなどとは思っていない。しつこいな、斬るぞ」

「テメェ、いつも二言目にはそれじゃねぇか、人斬り女が。会話しろ会話を」

「私はお前と会話しているつもりだが?」


 駄目だこの女。

 会話っつーもんは相手に通じて初めて会話になんだよ。


 煮え切らない様子のウーガナを見つめるイフィールは、呆れたように肩をすくめた。

 そして、表情を戻して言葉をかけてくる。


「別にお前の全てが許されたわけではないさ。罪は侵した分だけ償われるべきだ。だが、人間には理屈や道理を折り曲げてしまう感情という物がある」

「わけ分かんねぇこと言ってねぇでちゃんと言え」

「お前には一度だけ命が救われるチャンスを与えるべきだ、と誰かの感情が判断したということだ」


 それはつまり救われなかったら、かなりヤバい立場にいた事にもなるのだろうが、ウーガナが気にするのは別の個所だった。


 ウーガナの耳にはイフィールが言ったその言葉は、まるで自分がそうしたように聞こえたのだ。


「女、テメェ。俺は嘘が嫌いだ」

「ああ、聞いたからな」

「理由を言わなきゃ、ぶち殺すぞ」


 凄んで見せるがイフィ―ルはまったく表情を変えない。


「悪いな、お前が嘘を嫌いだというのは聞いていたが、これは言えない事なんだ」


 それどころか、こちらに対して済まなさそうな顔をしてくる。

 ウーガナは思わず一歩退いた。

 はっきり言って、喜びの感情よりも、わけが分からないという感情の方が強かった。


「お前がどんな悪人であろうと、救われる理由がある事は変わらない。私から言えるのはこれだけだ、じゃあな、お前の部下は先に開放してある。適当に町を歩けば見つかるんじゃないか?」

「……くそがっ」


 怒りはあるがかろうじて押しとどめる。

 気に食わない事は確かだが、感情のままに行動して全部をふいにする気はさすがになかった。


 これからの自由と、怒りの感情の消化。

 計りにかければ、天秤がどちらに傾くかなど、試さずとも分かっている。


「テメェ、くそ、覚えてやがれよ」


 せめてもの抵抗として、精一杯の悪態をつきながらその場を後にしようとする。

 子分たちも釈放されたようだからまずはあいつらと合流しなければならない。


 思い付く限りのありとあらゆる悪態をぶつけながら、イフィールを睨みつけていた視線を逸らす。

 何故か、最後に寂しそうに見えた気がしたが、ただの目の錯覚だろう。





 それぞれがそれぞれの想いを胸に、そうと知らずに運命が分かれる……選択の日へと進む。


 それから数日。

 未利とコヨミが攫われてから七日後の事だ。


 姫乃達は、限界回廊を使って遺跡の中へと立った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る