第13章 美術品制作の補助



 ヘブンリー・フィート フォルト・アレイス邸宅 『+++』


 山の側面にへばりつくようにして建てられた、建物の一つ。

 その家に手すりのない邸宅のバルコニーがあった。

 そこで現在、緑花はそのバルコニーのふちにしがみついていた。もう片方の手は選の手と繋がれている。

 選の体は宙に浮いている。緑花が手を繋いでその体を支えてなければ落っこちてしまうだろう。

 二人の現在位置は遥か高所、落下すれば命はない。

 足元、遥か下には街並みが見える。


「く、くぅ……」

「う、……ぐぐぐ。もういい緑花、手を離せ」

「駄目よ、そんな事したら選が落ちちゃうじゃない」

「お、俺の事はいい。ああ、帰ったら華花の手料理食うって約束してたのにな…」

「そ、そんなこと言わないでよ。食べれるわよ。だから……、一所にか、か……」


 戦場で兵士が散り際に交わすようなセリフを言いあっている二人。そこに第三者が割って入りシリアスな空気を霧散させる。


「はっくしょん」


 ルーンのくしゃみだった。

 緑花は言いかけていたセリフを中断してそちらを見る。


「ああ、ごめん。二人共。せっかく雰囲気を演出してくれてたのに。ここ風通しが良すぎて少し寒気がしたんだ」

「まあ、仕方ないわよね。あたし達もちょっと肌寒いと思うし」

「いや、いいけどな」


 しがみつきながらそんなフォローを入れる二人の近くでは、ルーンがスケッチブックを手に立っていた。


「今更だけどごめんよ。こんなこと頼めるのは君達しかいないからさ」

「そりゃそうよね。こんな場所。一歩間違えれば大惨事だもの」


 ヘブンリーフィート。そこは裕福なもの達が居を構える区画だ。

 崖の腹にへばりつくように建っている見晴らしのいい邸宅にはフォルト・アレイスという主人がいる。

 ルーンはその主人にお金を出してもらい、芸術活動を支援してもらっているらしい。

 ルーンの才能はプロほどではないものの、屋敷の主人であるフォルトが芸術に理解のある人間らしく、活動費を工面するのに苦労していた彼に快く手を差し伸べたという。


 そんなルーンの今回の依頼の理由は、町で近々行われる祭り……水礼祭に出す為の作品を作りだという。それで良い作品を作る為に彼は、「参考になるようなスケッチをしたい」とギルド、ホワイトタイガーに依頼してきたのだった。


 が……。


「ちょっと、ハードだな」

「下とか見るとクラッとするわね」


 精神面的な意味で思わぬ労力を強いられることになった。

 体力的な意味でなら全然余裕だが、さすがにこんな風に露骨に目に見える形で常時命の危険にさらされるとは思っておらず、二人は精神と気力の消耗と戦っている最中だった。


「こんな場面で落ちたらと思うとぞっとするぜ」

「ホントにね、これは他の人がやろうとしたら絶対止めるわ」


 冷や汗をかきながら、話をする二人。

 スケッチブックに線を足しながらのルーンは、そんな二人に顔は上げずに不思議そうな声だけを向ける。


「その割には、君たち普通に会話しているように聞こえるけど」

「そう? 自分達で思ってるより、案外平気なのかもしれないわね。何だか分からないけど、無性に笑いたくなる時があるのよね」

「俺も同じだ。でも、何かケンカしてどう考えても敵いそうにない奴と拳交わしてるときとよく似てるんだよな」


 そのセリフを聞いたルーンは思わず手を止めた。


「それは、平気とか余裕があるとかそういうのじゃないと思うんだけどね。まあ、教えない方が良いか」


 そう言われると気になる、という反応になる緑花や選だが、ルーンは答えなかった。

 そんな会話をしながらでもさらさらと動くデッサンの手が止まることはない。

 迷いのない、筆運びだった。


「作品のタイトルは戦場で散る恋人。うん、よくできそうだ」

「何か、すごく見てて悲しいものになりそうだな」

「祭りに出すには場違いなような気がするんだけど……」

「僕のは引き立て役でいいんだよ。好きで描いてるんだからね。皆が華やかで盛り上がってるよりは少し違うのがあった方が良い場合もある。僕が作りたいっていうのもあるけど」

「ふーん、そういうもんなのか」

「あたし達、芸術ってよく分からないのよね」


 そっち方面にはうとい二人の感想だった。


「見てほしい。注目してほしい。……って気持ちはあるけど。僕の作品は人を選ぶようだ。変わり者って呼ばれてて。一時期はちょっと悩んで、職人の町へ移住しようかと思ってたよ。今は吹っ切れたけどね」


 スケッチブックから視線を外して、空を見つめるルーンは苦笑しながら話す。


「人間の表情ってすごく魅力的なモチーフだと思わないかい? 感情が直接心に訴えかけてくる。絵とか形を見てもそれぞれ感じ方は違うけれど、表情ってその人の感情がまっすぐ伝わってくるだろう? そこがいい」


 話しているうちに勢いが乗ってきたのか、手首を素早く動かしながら線を描き加えていく。


「何となく分かる様な気もするけど」

「分からない様な気もするわ」

「君達にはまだ早かったかな」


 苦笑するルーンは大して気分を害したような風ではなかった。

 芸術家と一般人との間にある完成の差に、埋めがたい何かがあるという事はよくある事だとでも言わんばかりに。


「それにしても、この家に来る時に見てきたけど、ここら辺って似たような建物ばっかり建ってるんだな」

「そういえばそうね。次に来る時は道を覚えておかないと大変そうだわ」

「ああ、確かにそうだね。ヘブンフィートはほら、こんな高所に建ってるだろう。へたな建物を建てて景観を壊したくないから、みんな似たり寄ったりなんだよ」

「なるほどな」

「観光地と同じ感じなのかしら。よく聞く話よね」


 デッサンに一区切りが付いたのか、ノートを閉じるルーン。


「さて、そろそろ休憩にしよう。そろそろ手もしびれてきた事だろう。お茶を用意してるんだ、茶菓子と一緒にどうだい?」


 その声に数時間連続でふちにへばりついていた緑花と選はようやく高所落下の恐怖から解放されたのだった。


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