2-8

 帰りの道すがら。頭の中を廻るのは、あれは誰だったのかという疑問だけだった。暑さで幻覚でも見ていたのか。確かに幽玄ではあったけれど……。

 事務所に戻ってからも、ぼーっと、ソファからある一点だけを眺めていた。


「零司、どうした?」


 声をかけてきた恭介に構うことなく、俺は事務所の手伝いに精を出す城崎を見つめる。

 やっぱり似ている。髪の長さ、顔立ち……はもう少しキリッとしてるか。

 いや、城崎も生真面目な顔をしている時はあんな感じだ。もし城崎が銀髪で瞳が真紅だったなら、瓜二つ。


「城――、」


 いや、他人の空似ってこともある。世の中には、自分と似た人間が三人はいると言うし。ドッペルゲンガーという現象も、無きにしも非ずだ。

 なんだけど。しかし、もしもってこともある。


「城崎、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

「はい、なんでしょう?」


 城崎は棚の書類整理の手を止めて、こちらへ振り返った。


「今日ってずっと事務所にいたのか?」

「いえ、ちょっとした買出しに出かけましたけど」


 買出し? どこにあいつらの目があるかも分からないのに、買い物に行かせたのか?

 怪訝な眼差しを所長の机に向けると、


「心配しなくても大丈夫よ。美夜のウイッグコレクションから、適当に拝借して変装させたから」


 言いたいことを汲み取ったのか、麗華はため息混じりに零す。


「けど、それがどうかしたんですか?」

「いや、よく似た人を見かけたもんでさ」

「そう、ですか。でもそれ、他人の空似じゃないです?」


 やっぱりそうなのかな。まあ、本人ではないとしても、だ。


「ところで、城崎に姉妹はいたりするのか?」

「いませんけど……、あの、詮索はしないんじゃなかったんですか?」

「……ああ、悪かった」そうだ、黒鴉はプライベートを詮索しない。けど、「じゃあここからは俺の独り言だ。聞きたくないなら聞かなくていい」


 そう断りを入れて、俺は一拍置く。城崎は棚に向き直ると、書類整理に戻った。

 小さく息を吐き、俺は切り出す。


「今日、ある男を尾けてたら偶然聞こえたんだ。試作体ってな」

「試作体?」


 小首を傾げる麗華の先で、ピクリと肩を跳ねさせる城崎。まるでそれを誤魔化すように、ファイルを棚へ戻す手がわずかに早くなる。明らかに動揺が見て取れた。


「その直後尾行がバレて、俺はそいつに銃を向けられたんだけどさ」

「銃って……零司、大丈夫だったの!? 」

「無事だからここにいるんだよ、姉さん」

「そ、そうよね」


 そう言って、麗華は肝を冷やしたように息をつき胸を撫で下ろす。


「で、肝心なその男ってのが、帯刀ってやつだ」

「あいつか」


 そう呟き、恭介は珍しいことに新聞を畳んでソファに掛けなおす。

 城崎に視線を戻すと、肩を強張らせ、ファイルを棚に戻した状態のまま手を止めていた。

 ちょっと鎌をかけてみるか。


「神崎――」


 そう呼びかけると、城崎は一瞬こちらを振り向こうとして思いとどまる。視線のやり場を求めるように、何かを探すみたいに顔を動かす。本人は誤魔化しきれていると思っているらしい。


「もういいだろ、城崎由紀。いや、神崎渚砂」

「……いったい、何の話ですか?」

「お前が神崎財閥のお嬢様だってことは、もうみんな知ってるんだ」


 ああ、そういえば美夜はまだ知らないか。


「……先日、あなたの父親が来てね。娘を探せって依頼してきたのよ。その時に受け取った写真に、あなたが写ってる」


 麗華は引き出しから写真を取り出し神崎に見せる。それをチラリと横目で確認すると、神崎は諦めたように溜息を零した。


「それで、父に私を引き渡すんですか?」

「そんなことはしないわ。依頼したのはあなたが先だしね。いくらお金を積まれたところで、順序の優位性は変わらない。それが私たちのポリシー。だからその点は安心していいわ」


 その一言で、神崎はホッとしたように肩の力を抜いた。

「でも――」麗華は少しだけタメを作って、「あなたの目的がなんなのか、それを聞かせてもらえないかしら」いつもよりも声のトーンを下げて問う。

 じっと見つめる麗華に、神崎は何かを言いかけて――

 逃げ場を求めるように目を逸らし口を噤んだ。


「黙秘? でも答えてもらうわよ。拳銃を向けられるなんて、穏やかな話じゃないでしょ」


 詰問する口調は少々厳しいものだった。俺を心配してくれているってのは分かるんだけど。


「まあ俺は無傷なわけだし、そんなきつく問い詰めることもないんじゃないか」


 別に神崎を擁護しているわけじゃないが、こういう時の麗華はちょっと恐いからな。


「甘いわね。そんなんじゃ、いつか足をすくわれるわよ」

「そうならないように気をつけるよ」


 呆れたように嘆息すると、麗華はカップを手に、これまた珍しいことに給湯室へと入っていった。

 その背を見送り小さく息を吐き、俺は神崎に向き直った。


「悪かったな、神崎。言いたくないなら無理には聞かない。でもこれだけは覚えておいてくれ。俺たちはなんでも屋だ。お前がその気なら、犯罪以外なんだって依頼は請け負うからさ」


 そう告げると、神崎は沈んだ表情のまま軽く会釈をし、


「……失礼します」


 その一言を以って断り、事務所を後にした。

 余計な気遣いは無用だという決然とした返事に聞こえ、言い知れぬ覚悟を垣間見た気がした。



 それからおよそ一時間。事務所の空気はひどく気まずいものだった。

 恭介が新聞をめくる音、麗華がノートPCのキーボードを叩く音、アンティークの置時計の針音が思いの外うるさく響く。各々作業に没頭し、会話する気配もない。

 いつも通りといえばいつも通りだけど、今日は特に雰囲気が重苦しい。

 無声のテレビでは血を抜かれ殺される事件の犠牲者が、三人目を数えたとの字幕が出ていた。例に倣って目撃者はいない。

 そうであれば現場付近で聞き込みをしても、情報なんてのは得られもしないだろう。警察でさえ暗中模索しているような状況だ。ただのなんでも屋に出来ることなんてのは限られている。

 息苦しさを覚えながらも、なかなか言葉を発せられずにいたところ――


「たっだいまー!」


 と無駄に元気なやつが帰ってきた。

 救世主だ! この時ばかりは美夜に心から感謝した。


「……って、な、なに? このお通夜みたいな空気……」


 美夜にも感じられたのだろう。この異様ともとれる雰囲気が。


「いや、別に大したこともないんだけどさ。っていうか、今日はずいぶんと早いんだな」

「とーぜん! レイちゃんに早く会いたくて、早退してきちゃった」


 ウインクしながら可愛らしく言ってもダメだ。


「おいおい、指名ナンバーワンがそんなことしていいのか?」

「って冗談。本当は、この前臨時で入ったから、その都合で早く帰れたんだ」


 なるほど。


「それで、この状況はなにがどうしたの?」

「それが――」


 言いかけて、俺は逡巡した。どこまで話すべきか。少なくとも、頭の中で即排除したのは、俺が帯刀に銃を向けられたことだ。美夜に余計な心配はさせたくない。

 俺は旨いことモザイクにして大半を隠しつつ、美夜に事の経緯を説明した。


「へぇー、『ゆきち』が『なぎなぎ』になったのかー」

「なんだその微妙なあだ名は。っていうか、あんまり驚かないんだな」


 美夜は鞄を床に下ろし、俺の隣に腰を落ち着けてしな垂れかかってくる。


「まあね。あんなドレスで現れて、しかも匿ってくれなんて。どう考えても普通じゃないし」


 言われるまでもなくその通りだった。小学生でも気付きそうなものだな。


「でも珍しいね、麗華ちゃんが真面目にパソコンに向かってるのって」


 くすくすと笑いながら、美夜は小声でそんなことを囁く。

 普段のだらけた姿しかほぼ見ない人間にとっては、天地がひっくり返るほどではないにしろ、珍しい光景であることは否定のしようがない事実。眼鏡までかけてるし。

 それにしても、ずいぶんと集中している。新しい仕事でも受注したのだろうか。


「姉さん、依頼でも受けたのか?」

「いいえ、受けないわ」


 カチカチ、カチ。短く返事し、頬杖をつきながらマウスをクリック。

 俺と美夜は顔を見合わせる。

 依頼じゃないならただの調べものか、もしくはネットショッピングか。どちらにせよ仕事ではないのなら、関心し損だ。

 ある意味普段どおりであることに安堵していると、突然麗華が言った。


「ちょっと調べごとしててね」

「そんなに興味の引かれる事柄が?」

「まあ、気になるといえばそうね。神崎財閥のことだから」


 神崎……。

 俺が首を傾げると、麗華は眼鏡を外して静かに語りだした。

 もともとは医療品関係の小さな会社社長に過ぎなかった神崎岳人は、一代で数十社を取り纏める財閥を築き上げた。売り上げの一部を慈善団体などに寄付したり、貧しい国に学校を作ったりしたこともあるらしい。

 どういうカラクリで財を成したのかはまだ分からないが、十年ほどで急激に成長したグループだそうだ。


「期間を設けてないとはいえ。娘の捜索にただのなんでも屋に対して小切手で一千万とか、羽振り良すぎるでしょ。コインの表裏は基本一致しない。表の顔とは別に、裏の顔があるんじゃないかと思ったわけよ。だから少し調べてみたくなってね」


 神崎渚砂の瞳の奥が闇いと言った麗華。女の直感を信じるのなら、裏には何かありそうな気もする。それに俺は、神崎にそっくりな女を夢でも現実でも見ている。

 さらに試作体というワード。まるで喉に刺さった魚の小骨みたいに、どうにも心に引っかかる。


「……姉さん、俺も調べるのを手伝うよ」

「いいわよ別に」


 所員であるから仕事を手伝う。その申し出を、麗華はコンマも悩むことなく拒絶した。


「なんで?」

「調べるのは懇意にしてる刑事に頼んだから。早ければ数日中には連絡来るでしょ。それに、あんたにはやらなきゃならないことがあるからね」

「美夜のお守り、とか?」

「ちょっと、わたし子供じゃないよレイちゃん!」


 むくれて抗議してくる美夜を軽く宥めていると、


「なに言ってんの。それもあるけど、あんたの仕事は寝ることでしょ。一日最低六回は寝なさい」

「そんな無茶苦茶な」


 美夜のお守りも俺の仕事なんだな。まずそこに驚いた。

 それにだ。続けて同じ人物の夢を見ることだって稀なことなのに、疲労の溜まるそんな夢を見ることを強要されるどころか、睡眠の回数を増やせとか……鬼か。


「不満そうね。でも、なんか臭うのよね。これは大きな仕事になるかもしれないわ」


 神崎岳人から受け取った小切手を眺めながら、ぽつりと、麗華はそんなことを嘯いた。

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