第58話 キミが隣にいる世界

 入学式の日に見た未来の通り、私は岩月篤志と付き合い始めた。

 それからの日々は幸せでしかなった。

 付き合い始めた翌日。学校の最寄り駅にふらりと立ち寄るとタイミングよく駅に電車が入ってきて、さらには改札を少し疲れたような表情で抜けるあっくんを見つけた。


「おはよう、あっくん」

「うん。おはよう。どうしてここに? 約束してないよね?」


 実際に約束はしていないけど、私のように驚くより先に喜んでくれてもいいのにと思った。

 それから二人並んで軽口を叩き合いながら雨降る朝を学校に向かった。

 教室に入ると、いつものメンバーが打ち合わせたように早く来ていてサプライズで付き合い始めたことを祝ってくれた。

 相川君に夫婦だとからかわれつつも、嫌な気がしないかったのはあっくんがまんざらでもない反応をしていたからだろう。その流れで、誕生日をお互いに教え合うことになり、十一月だというあっくんの誕生日に今から何を用意しようかとゆっくり考えることにした。

 その日の放課後は、予想していた通りにファミレスでお互いの好きなところやいつから意識しだしたのかなど、様々なことを聞かれ、あっくんの答えに隣で照れたり嬉しかったり忙しかった。

 もしかしたらこういうことで付き合いだしたことを実感して、現実として受け入れることができたのか、あっくんはファミレスを出るころには、柔らかな表情をするようになっていて、


「好きだよ」


 と、昨日は勇気を振り絞らないと言えなかった言葉が自然に出るようになっていた。


 それから数日後。

 あっくんが明日、家に来るからと親に確認と根回しを済ませ、自分の部屋の片づけをしていると、スマホにふいにメッセージが届いた。

 あっくんだといいなと思いつつ、気楽に確認すると、


『順子ちゃん。ちょっと話せないかな?』


 という、涼葉ちゃんからのメッセージだった。それだけで、あっくんがらみなのだと察しがついた。というのも、今日の放課後に、


「ちょっと待ってて。図書室に行ってくる。りこと付き合いだしたことをどうしても話しておかない人がいるんだ」


 と、いつになく真面目で緊張した面持ちであっくんが私に話しかけてきた。それを私は笑顔で送りだしていた。きっとその相手が涼葉ちゃんだろうことは思い当たっていた。

 そして、その涼葉ちゃんからの言葉を私はあっくんの彼女としても全て受け止めるつもりでいた。


「もしもし、涼葉ちゃん」

『急にごめんね、順子ちゃん』

「気にしなくていいよ。それで、急にどうしたの?」


 電話の向こう側で一度大きく深呼吸をするような気配がした。その緊張感がこちらに伝わり、思わず身構えてしまう。


『岩月君から聞いたよ。付き合うことになったって』

「そっか」

『うん。それでね、どうしても順子ちゃんに言いたかったことがあるんだ』


 私は何を言われるのかと、無意識に生唾を飲み込む。


『本当は週明けに学校で言ってもよかったし、もしかしたらメッセで伝えるだけでもよかったのかもしれないんだけどさ、どうしても自分の口で早く言いたかったんだ』

「うん」

『おめでとう。本当によかったね』


 その心底そう思っているような声音に気がふっと抜ける気がした。


「あ、ありがとう」

『もしかしたらと思ってたけど、順子ちゃん、岩月君が好きだったんだね。いつから好きだったの?』

「入学式の日かな」


 ファミレスでは答えなかった質問だけれど、涼葉ちゃんには隠す気にはなれなかった。誰にも言いふらさないだろうということと、もう一つ、真摯に向き合わないといけない理由に確信があったからだった。


『そっか、そっか。二人ともお似合いだと思うよ。どうしても、お祝い言いたかっただけなんだ。なんか、ごめんね』


 話を切り上げようとする涼葉ちゃんの声が少し震えているように思えた。


「うん、ありがとう。それで涼葉ちゃんも岩月君のこと好きなんでしょう? 無理に祝うなんてしなくていいんだからね」

『――どうして分かったの?』

「なんとなくだよ。ただ同じような目で岩月君を私も見つめていたと思うから気付けたのかもね」

『そっか。私は――好き、だったよ。だけど、ゴールデンウィーク前にフラれているんだ。それから順子ちゃんと仲良くなっていくのを遠くから見てて、うらやましいと思ってたけど、岩月君が私には見せないような表情を順子ちゃんにしていたから、諦めもつくよ』

「そっか……なんかごめんね」

『謝ることないよ。それに順子ちゃんとも話してみて、好きになるのも分かる気がしたから』


 涼葉ちゃんの声からいつの間にか震えはなくなっていて、むしろ楽しそうに話していた。それが少しだけ痛々しくて、私の心を締め付ける。


『だからね、順子ちゃんは私のこと気にせず、たくさん幸せになってよ』

「わかった。岩月君を幸せにしないと、涼葉ちゃんに盗られるかもしれないということを胸に刻んでおくよ」

『ははは――そうだね。だけど、ちゃんと二人で幸せになりなよ? 二人とも私の友達なんだから。もし順子ちゃんが岩月君を理由なくないがしろにしたら、私は遠慮なく岩月君にアタックするかもね』

「そんなことにはならないから」


 そう言いながら電話を挟んで二人で笑い合う。それが不思議で、だけれども当たり前にも思えた。


「じゃあ、もし逆に私がないがしろにされたら、涼葉ちゃんは私を岩月君から奪うのかな?」

『それもいいかもね。そんなことをするような岩月君は私も好きにはなれないからね。そんなことは実際にはありえないだろうけど、もし岩月君が順子ちゃんを一人にするなら、私は順子ちゃんに寄り添うよ』


 涼葉ちゃんは笑いながらそう答えていて、その言葉の裏にはしっかりとあっくんのいいところを知っているというのが伝わる気さえした。


「そんな風に言われたら、涼葉ちゃんが男の子だったら、心が揺らいでたかも」

『冗談でもそんなこと言ったらだめだよ。でも、うん。私は二人に私が入り込む余地なんてなかったって思わせてほしいのかもしれない。だから、幸せになってね』

「本当にありがとう」

『うん。じゃあ、またね』

「うん。またね。おやすみ」


 涼葉ちゃんは『おやすみー』と言いながら通話を終了させた。

 きっと私には涼葉ちゃんのように好きだった人とのことを祝福はできない。おそらくフラれたというゴールデンウィーク前からゆっくりと時間をかけて気持ちの整理をつけて、そうしながらも岩月君のことを見つめながらこういう日が来るだろうことを覚悟していたのかもしれない。

 私は好きな人に好きになってもらえるという幸運を掴んだのだ。もし何かが少しずつずれていたら、きっと私が涼葉ちゃんをうらやましく思う現在もあったのかもしれない。


 私は好きな人の隣にいられる幸せを感じながら、あっくんと二人で一日一日、一分一秒を楽しみながら進んでいこうと思えた。

 隣にあっくんがいるだけで、世界は楽しくて、綺麗なものに見えるに違いない。


 だから、まずは明日、家に遊びに来るあっくんと最大限に幸せを共有しようと心に決めた――。

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