第40話 終わりに向かう世界に、未来を ②

 冬休みの始まりが目前に迫り、学校はそれに向けての日程消化の期間と化していた。

 二学期の試験は終わっているし、授業も進度が順調なのか淡々としたものだった。今は半日授業で午後からは三者面談にあてられたりしていた。

 僕は三者面談も早々に終わっていて、あとは終業式の日を待つのみというサッカーのアディショナルタイムのような学校での時間を日々送っていた。

 そして、終業式が終われば、すぐにクリスマスで――。


 そんな時期の早朝、寒さで目が覚め、暗い部屋の中でとりあえずエアコンを入れようとゆっくりと体を起こすと、ふいに視界が明るくなった。最近は見ていなかった未来の記憶が再生され始めたみたいだった。



「あぶないっ!!」


 自分の声か他人の声か分からない声が辺りに響くのと同時だった。僕の手に残った僅かな感触はすぐに全身の痛みに置き換えられた。

 猛スピードで車がこっちに近づいてきたのが見えていたが、一瞬のことで自分自身は避けきれなかった。

 車にね飛ばされ、フロントガラスで体がバウンドし、スローモーションで宙を舞った。そのままなすすべなく地面に叩きつけられ、物理法則に従って地面を滑り、止まった。

 喧騒と悲鳴とクラクションの音が鳴り響くなか、体のどこが痛いのか分からないほどの激痛を感じ、自分が息をしているのかも分からないなか、少しずつ体の中から体温が失われていく感覚に陥っていた。

 目が開いているのかも分からないが、うっすらと動かすことができない自分の腕が見えた。りことペアのブレスレットは見えるのに、ミサンガが見えない。さっきの衝撃で切れたのかもしれない。

 腕のすぐ近くに自分の鞄も見え、わずかに開いている隙間からさっき買ったばかりのりこへのプレゼントのラッピングの一部が見えた。

 次に目を開けると、ぼやけた視界の中で、泣いているりこの顔が浮かんで見えた。それが実際に見えているのか、以前に見たものかは分からない。

 だから、僕は、


「りこ――。僕はキミに笑っていて欲しいんだよ」


 そう精一杯伝えようとするも、言葉にならずに思いはどこにも届かず、宙に消えていった。

 そして、僕の世界は暗い闇の底に沈んでいった――。



 現在に戻ってくると、まだ体に痛みが残っているような錯覚に陥り、体の震えが止まらなかった。体の芯から凍えるようで思わず自分の肩を抱き、ベッドにうずくまった。

 僕の体は呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、酸素を求めて息を吸うことばかりに重点を置いているようで、どんどん息苦しく、呼吸が荒くなってくる。

 震えは治まるどころか大きくなるばかりで、キィーンと激しい耳鳴りが聞こえてきて、意識が遠のき始めると、体が自分の意に反してビクンビクンと動いたりする。

 そして、苦しさの中、フッと電源が落ちたかのように意識が途切れた。


 次に目が覚めると、四方を壁とカーテンに囲まれた、見知らぬベッドの上で、腕には点滴が繋がっていた。未来の記憶と現実の記憶と、今の状況が混ぜ合わさり、混乱の度合いが増してくる。

 そのことで息苦しかったことを思い出し、喉に手をあてるも、今はちゃんと正常に息ができていることに安心した。

 ゆっくりと体を起こすと頭の奥から鈍い頭痛が響いて、思わず「うっ……」と呻き声をあげると、カーテンの間から若い看護婦が顔を見せた。


「目が覚めましたか? 体になにか変わったことはありませんか?」


 突然の質問に状況が掴み切れないまま、ぼんやりとその看護婦の顔を眺め、ゆっくりと言葉を探す。


「頭が痛いです。あとは特に何も……」

「そうですか。まだ無理に起き上がらないで横になって休んでいて下さい」

「……わかりました」

「それでは血圧測らせてもらいますね」


 そう言うと看護婦はカーテンの脇から小型の血圧計を取り出し、カフを僕の腕に巻き、ゆっくりと圧力が掛けられ、その後ゆっくりと圧迫感はなくなっていく。


「はい、終わりましたよ」

「あの、ここは病院……なんですよね?」

「そうですよ」


 看護婦は血圧計を片付けながら答えてくれた。


「どうして、僕はここに?」

「意識を失って、緊急搬送されたんですよ。それでは家族の方を呼んできますね。先生もすぐに来られると思います」

「わかり……ました」


 カーテンを閉め直した看護婦の離れていく足音が聞こえ、それから引き戸の開く音と閉まる際の扉のゴムが反発する音が聞こえた。それからエアコンの送風の音しか聞こえない部屋の中にいると、再度引き戸の開く音とともに、いくつかの足音が近づいてきた。


「よかった……気が付いて……」


 カーテンを開けて顔をのぞかせた母さんが開口一番、ホッとした声を漏らした。父さんも隣で静かに頷いていて、相当心配かけたのだけは分かる。


「ねえ、母さん。どうして、僕はここに?」

「痙攣しながら気を失ってたのよ。何があったの?」


 僕はそっと思い返すも思い当たる節は一つしかない。事故に遭う未来の記憶、あれでパニックになって、あとはどうなったかは分からない。

 今は何も言えることはないので静かに首を振った。

 その後、初老の男性医師がやってきて、過呼吸による痙攣で意識が飛んだのだろうと説明してくれた。点滴は鎮静剤だそうで、血液検査の結果も血圧その他も安定しているので大丈夫だと説明を受けた。点滴が終わるとそのまま帰っていいと言われた。


 点滴が終わるころには随分と落ち着いて、頭痛もなくなっていた。

 両親に連れられて、受付で会計を済ませている間、窓から見える外を見ると、ずいぶんと明るくなっていて、待合室の時計を見ると、七時少し過ぎを針が差していた。

 父さんは車を回してくると、先に外に出ていき、会計を終わらせた母さんが戻ってきて辺りを見回す。


「お父さんは?」

「車回してくるって」

「そう。それであんた今日はどうする?」

「どうするって?」

「学校よ」


 僕はその返事をためらう。たしか、未来の記憶では学校帰りにりこへの個人的なプレゼントを買いに行って事故に遭う未来だったはずだ。学校に行くときにだけ着るコートや、学校用の鞄が見えた覚えがあるので、それは確かだ。

 そして、その事故に遭って、僕はきっと死ぬ――。


「ちょっと、篤志? 顔真っ青じゃない」

「ごめん、母さん。学校、休んでいいかな?」

「それは構わないけど」

「できれば、今学期中全部。どうせ、あとは終業式含む二、三日だし……体調不良ってことで」


 母さんは渋い顔をするが、僕が学校を休みたいと言い出すことは今までなかったので、


「わかったわ。学校には母さんが連絡しておくわ」


 と、心配そうな視線を僕に送りつつも納得してくれた。僕はそのことにほっと胸を撫でおろす。


「それで順子ちゃんにも母さんから連絡しようか?」

「うん。だけど、お見舞いは断っておいてくれないかな? こんな姿見せたくないし、それ以前に今は精神的に全然余裕ないから」


 母さんは隣でため息をついて、「分かった。だけど、よくなったら自分から連絡しなさいよ?」と言われ、僕は黙って頷いた。


 家に帰り、僕は自分の部屋で横になった。しかし、ふいに事故の記憶がフラッシュバックされ、そのたびに過呼吸になり、震えが止まらなくなった。

 傷がないこと、実際には事故になんてあっていないことを一つずつ確認していくと、少しずつ落ち着いていくが、気持ちは全く休まらない。恐怖感がゆっくりと堆積たいせきしていき、次第に深まっていくようだった。

 事故に遭う未来の記憶が見えたせいで、学校に行きたくても、りこと会いたくても、野瀬さんたちとグダグダと話したくても、今は一歩も家から出たくなかった。冬休みになれば、たぶんあの未来は回避できて、生きて先に進めると思えた。

 

 そうやって、僕は一日、そして、二日と恐怖と戦いながら刻々と進む時間をただ震えながら過ごした。

 そして、終業式当日も僕は学校を欠席した。


「今日をやり過ごせば、僕は生きれるんだ――」


 そう心の中で何度も唱えながら、僕は一分一秒が早く過ぎることを祈った。

 昼過ぎに少し遅い昼ご飯を食べるために起き上がると、ブツっという何かがちぎれた感覚がした。手元を見るとベッドには切れたミサンガが落ちていた。

 そのことが事故の記憶と繋がり、嫌な予感が背筋を凍らせていく。

 またしても呼吸が少し荒くなり、全身にぞくぞくとした寒気が走る。震える手でミサンガを手にして、握りしめながら、落ち着くためにゆっくりと呼吸を整えていく。

 そうしていると、ベッド脇に置いているスマホが着信が来たことを知らせてくる。

 画面を確認するとりこのお母さんからで、話し終えると、僕は着替えてすぐに家を飛び出した。


「なんでだよ……なんで“りこ”が事故に遭うんだよ……」

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