命題15.黒鉄の戦士 ブロスケルス 6

 森の奥へ進むほど背の高い木々が夜空を覆い、月明りを遮っていく。

 揺れるランタンの橙色の光だけが、ステラたちの行く暗い道を照らしだす。昨晩、死霊の戦士が大暴れしたせいか、光の玉の姿をした精霊たちの姿は見当たらない。

 少女はこっそりと背後を盗み見た。

 後ろを歩く幽霊のグランが、浮かない顔で着いてきている。全身から放つ淡く薄い青色を、道端の草が微かに反射していた。

 出発してから一言も口をきかない彼の真剣な雰囲気も相まって、その光景に静謐さを覚えた。昨晩の彼とは大違いだ。


「そろそろじゃな」


 前を行くブロスケルスが呟くと同時に、森が一変した。

 空気の変化に全身の毛がざわりと粟立つ。思わず驚いて足を止め、ランタンを掲げてぐるりと見渡した。

 地続きなのに、違う場所へ来たとはっきり感じた。

 その証拠に、木の高さ、葉の形状、幹のうねり方――どれも少しだけ違っている。空からは月が覗いているし、風が先ほどよりも冷たく感じる。

 いつの間に、精霊の森を抜けていたのだろう。

 ステラが合成獣キメラになってから、森の外に出るのは初めてだった。

 どんなに進んでも、森の中をもっと遠くまで探検してみても、こんな風に違う場所に出ることはなかった。

 世界中の森に繋がっている精霊の森は、その者が望めば外に出られる。

 逆に言えば、出る気がなければ出られない。精霊たちはその道を開かない。

 足元の道は、転がる小石と雑草が目立つ。整然とした精霊の森の道とは違った、不純物の多い道。ステラが人間の頃に歩いていた道だ。

 これが、外に出るということなのか――ステラは蹄をよじって小さく土を踏みしめた。


「うん、見覚えがあるぞ。この道を真っ直ぐ行けば、お前のカミさんちじゃよ」


 野太いご機嫌な声を上げ、真っ暗な道の先を指さして、ブロスケルスが笑顔を浮かべた。

 それに対してグランは俯き気味で、やはり黙りこくったままだ。

 遠くに人家の灯りが見えてからは、ステラもフードを被って顔を隠した。

 かつての自分と同じ、人外や不思議な存在とは無縁のがいる。そう思うと、自分から言い出して付いてきたくせに、思わず自分の今の姿を隠してしまいたくなった。



 * * * * * *



「ここじゃよ」


 道の先に建った家の前で、一行は足を止めた。

 積まれた石の上に白い漆喰の壁が乗り、柱や梁が表面に露出している、よくある半木骨造の家だった。

 家の隣に造られた畑や壁に立てかけられた農具は、ステラに故郷の家を思い出させた。生活感の雑多な雰囲気がなんとなく心地よい。

 ぼんやりと周囲を眺めていると、家から距離を置くように立ったグランが口を開いた。


「……やっぱり、今更会うなんてのは――」

「まぁだそんなこと言ってるんかい! もう目の前まで来ちゃったんじゃ、ちゃっちゃと会いんしゃい」

「だけど夜も遅いし、もう十年以上も経ってるんだぜ、俺の事なんざ覚えちゃいねぇかも……」


 うじうじと言い訳を重ねるグランに、ブロスケルスが大仰に溜息をつく。

 そして鬱陶しいと言わんばかりに大きく手を振りながら、彼は家に近づいていった。


「あぁあぁ、わかったわかった。じゃあ儂が先に話してくるから、お前さんはそこで待ってんしゃい」

「…………」


 ブロスケルスがドアをノックし、出てきた人物と一言二言話すと家の中へ入っていった。彼が姿を消すと、遠巻きに見ていたステラとグランの、二人きりの気まずい沈黙が訪れる。

 家の中の人の気配と微かな話し声を感じる分、この場所の静寂が耳に痛い。

 ちらりとグランの様子を伺うと、相変わらず俯いたまま、眉間に皺を寄せて唇を噛みしめていた。


「……アノ、」

「…………」

「会イタクハナイノデスカ?」

「え?」

「ア、ゴメンナサイ」


 失礼な質問だったと思い謝罪すると、彼は首を振って苦笑する。


「いや……会いたいよ。ずっと探し続けてたんだから」

「ジャア、ナンデ?」

「そりゃあ…………あんただったらどうなんだい? あんたに家族はいるか? 故郷は?」


 グランとは距離を空けて立っているのに、投げかけられた質問はステラの心に強く響いた。


「……イマス、アリマス。故郷モ」

「あんたの話、ちょっとだけ聞いた。元々は人間の女の子だったってな。今、あんたは家族に会いに行けるか? 可能かどうかじゃなく、会いたいかどうかだ」

「…………私ハ――」

「いや、いい」


 今度は弱々しく首を振って、グランが目を伏せる。


「突っ込んだ事を聞いちまった、悪いな」

「……イイエ。私モソレガ気ニナッテ、貴方ニ着イテキタ部分モ、アリマスカラ……」


 彼にとっては一大事なのに、興味本位で来ましたなんて失礼だ。理解しているからこそ気まずかったし、尻すぼみになる言葉と共に、鼻先が下がっていく。

 しかしグランは不自然なほど明るく応えた。


「そうか。あんたの参考になればいいんだけどな。正直、大の男でもびびっちまうよ、幽霊になった俺なんかを受け入れてくれるかどうかなんて、わからないからさ」

「ソウ、デスヨネ……」

「あんたは、家族に会いたくはねぇのか?」

「……ドウデショウカ。第一、私ハ私ガ何処ニ住ンデイタノカ、家ガ何処ナノカモワカリマセンカラ……」

「…………」

「イエ、コレジャ可能カドウカノ話ニナッチャイマスヨネ。ワカリマセン。マダワカラナインデス。家族ニ会イタイノカドウカ」


「そうか」とグランは呟くように頷いた。

 それっきり、再びグランとの間に沈黙が訪れる。

 

 ステラは、自分が家族と会いたいのか自分自身でもよくわからない。

 いつの頃からか、誰かに「帰ろう」と言われたら、あの大好きな両親と弟が待つ家ではなく、アダムスが待つ治療院が思い浮かぶようになっていた。

 これから先の未来を想像してみてると、具体的に思い描けない部分は多い。それでもやはり、人外専門委治療院にいるイメージが浮かぶ。

 精霊の森の中で、瑞々しく生命力に溢れたあの森で、巨大樹の根本と同化した治療院で、アダムスと一緒に。人外の患者たちと出会っては別れを繰り返す日々だ。


 薄情だろうか。

 そう思ってはみるが、あそこは合成獣キメラになってしまった自分にとって、あまりにも居心地が良い。

 それに、グランが言っていたように今更会ってくれるだろうかと不安がよぎる。

 合成獣キメラの姿の自分を受け入れてもらえるのか、もし拒絶されでもしたら立ち直れないかもしれない。

 そんな風に傷付くくらいなら、会いたくないかもしれない。


 ぐるぐると無為な思考を巡らせていると、家の中から慌ただしい足音が響いてきた。

 顔を上げると同時にドアが開き、切迫した様子のブロスケルスが姿を現した。


「グラン、来い」


 躊躇するグランを、鋭い眼光が射抜く。


「カミさん、病気でもう長くないらしい。早くせい」


 低い声に、グランが身体を震わせた。弾けるように駆け出すとブロスケルスを押しのけ、家の中へ滑り込んでいく。

 唖然として立ち尽くすステラにも、ブロスケルスは一つ頷いてみせた。

 彼に中へと促されて、少女はあまりに場違いすぎる事を自覚した重い足を引きずりながら、同じく中へと入っていった。

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