第7話 成人の儀式
長い長い階段を降りていく。
数段先を先行するラチネッタの後を追い、ユウキは石造りの階段を転ばないよう気を付けて降りていく。
石造りの壁はひやりと冷たい。
やがて階段が終わり、長い廊下に出た。
「着いたか。見たところ、第一フロアと変わらないようだが」
長い廊下が左右に伸びており、点々と小部屋のドアが見える。
壁では魔法の松明が等間隔に燃えている。
ラチネッタはカンニングペーパーを頼るように、勢いよく『ミカリオンの手帳』をめくっている。
目当ての項目を見つけたらしく早口で言った。
「第一フロアには恐怖を煽る魔法がかかってたべ。第二フロアにはそれに加えて不安と後悔を煽る魔法が効いてるべ」
「やっかいだな……第一フロアでもオレたちはかなり限界に来てたぞ。大丈夫なのか?」
「大変になったらまたお互いに励ましあうべ」
「ああ。だが上の階でオレはラチネッタに失礼なことをしてしまったかもしれない。この階ではもっと失礼なことをしてしまう可能性がある。そうなったら許してくれ」
『暴言』とか『討論』とか、危険なスキルが沢山あるからな。緊急時に何がどう暴発するかわからない。今のうちに承諾をとっておきたい。
ラチネッタは真顔でうなずいた。
「わかったべ。上ではユウキさんのおかげで、おら、正気に戻れたべ。この階でまたおらがおかしくなったら、ユウキさん、おらにどんなことしてもいいべ。おらも全力でユウキさんを助けるべ」
よし。
「じゃ、行くか。そうそう……オレはこのフロアの『座標5・7』ってところを目指してるんだが」
座標を聞くと、ラチネッタは目を丸くした。
「そっ、それは迷宮心理座標でねえか? この手帳に書いてある通りだべ!」
「なんだそりゃ」
「大穴の第二フロア以下は時空がねじ曲がっている上に、毎日、内部構造が変化するべ」
「まじかよ」
「そんなやっかいな迷宮を探索するために、エグゼドスとミカリオンが協力して作り上げた迷宮探索システム、それが迷宮心理座標だべ」
「確かにこの数字は『エグゼドスの日誌』に書かれていたものらしいが……どうやって使うんだ?」
「5と7という数字を心に思い浮かべ、その数字に注意を払いながら、行き当たりばったりに迷宮をうろつくべ」
「なんだそれは……ほんとにそんなことで目的地に着くのか」
するとラチネッタは理論的なことを語り始めた。
「なんでもエグゼドスが考案した『迷宮心理学』によれば、迷宮とはこの世界が見ている夢のようなものであるとのことだべ!」
「まったく意味がわからん」
「と同時に迷宮は、そこを探索する者の心を映し出す鏡のようなものでもあるとのことだべ」
「よくわからないが哲学的だな」
「そういうわけで、おらたちの心を、目的地を象徴した数字に向けて歩いていれば、いずれ目的地がおらたちの前に現れるべ」
急にわけのわからないことを口走り始めたラチネッタに対し、ユウキは強い不安を感じた。
(頭がおかしくなったのでなければいいが……)
そんな不安にプラスして、第一フロアよりさらに強い恐怖も感じられた。
第二フロアにかけられている闇の魔法が、早くも効果を表しているようだ。
こんな状態で前に進めるのか。
「とにかく行くべ、ユウキさん」
「そ、そうだな。止まっていてもどうしようもないしな」
二人は第二フロアを進み始めた。
しかししばらく廊下を進むとまたユウキ、ラチネッタ、ともに恐慌状態に陥った。
恐怖、不安、この二つが入り混じって生み出される恐慌は、かなりハイレベルなものだった。
だがユウキは上階での経験を活かし、即座に『深呼吸』『スキンシップ』を発動して対処した。
ラチネッタもユウキを撫でかえした。
ごそごそ。
さすさす。
互いに撫で合うと肉体はリラックスし、また前に進めるようになった。
だが、そのリラックス効果は五分も持たずに切れてしまう。
こんなことではポータルに辿り着く前に日が暮れてしまう。そして塔は崩れシオンは死に世界は破滅する。
急がなければ。
だがどうやって第二フロアの強力な闇の魔法への抵抗を長続きさせればいいのだろう。
『スキンシップ』による肉体への刺激だけでは足りない。
より永続するものによって、恐慌への抵抗を生まなくてはならない。
恐怖、不安に打ち勝つ、何か明るいものを自分の中に生み出さなくてはいけない。
(そうだ、とりあえず何か面白い世間話でもしてみたらどうだ?)
「…………」
何度目かのスキンシップの最中に、ふと思いたったユウキはラチネッタを撫でながら聞いてみた。
「あのさ」
「な、なんだべ?」
「ラチネッタの村って、祭りがあるんだよな」
「そうだべ。汚らわしい動物のような祭りだべ」
「ちょっとその祭りの具体的な内容を教えてくれないか」
「嫌だべ! 絶対に嫌だべ! 口に出すのも汚らわしいべ!」
「そんなにエッチなのか?」
「この世のものとは思われないエッチさだべ。子供には刺激が強すぎるべ。だから子供は祭りの様子を見るのは固く禁じられてるべ……」
なのに好奇心を抑えられず、祭りの夜、村の公民館に忍び込んだ幼きラチネッタは、そこでとんでもないものを見たという。
「公民館の中で行われている祭りを見たおらは、そのあまりのエッチさに頭がおかしくなるかと思ったべ」
「ふーん。でもまあ別に大したことないんだろ、本当は?」
軽く『暴言』を吐いて続きを促す。
「そんなことないべ! この世でもっともエッチな祭り、それがおらが村の春祭りだべ!」
ここでユウキは軽く『討論』スキルを発動した。
『暴言』からの『討論』という黄金コンボによって自分自身とラチネッタの意識を強くこの世間話に引きつけようとしたのである。
「……オレはさ。ちょっと遠い国からやって来てるんだけどさ」
「それがなんだべ」
「オレの国もエッチなものに関しては世界的に有名でさ……だから少しぐらいのエッチさでは、オレは別に驚かないね」
「だったらほんの触りだけ教えてあげるべ、おらが村の祭りの中身、聞いて驚くがいいべ!」
ラチネッタはおずおずとユウキの耳に口を近づけると、そこにこそこそと祭りの具体的な内容について吹き込んだ。
「ま、マジかよ……」
それはユウキが想像していたよりもはるかに淫靡な祭りであった。
ユウキは思わず生唾を飲み込んだ。
「と、とんでもない祭りだな」
ドキドキしつつ猫人間を撫でていく。
「そうだべ。おらが村の春祭りと、そこで行われる成人の儀式はすごいエッチだべ」
ラチネッタはユウキを撫で返しつつ、顔を赤らめながら祭りの模様をさらに説明した。
ユウキは自分の顔が紅潮していくのを感じつつ、またゴクリと生唾を飲み込んだ。
しかし……。
「おら、こんな祭りには絶対に参加したりしねえだ。春祭りでの成人の儀式なんて、おら、そんなもの、必要ねえだ!」
成人の儀式……この単語を聞いた瞬間、ユウキのドキドキは一瞬で萎んだ。
なぜなら自分自身の成人式のことを思い出して気分が暗くなってしまったからである。
「成人の儀式……か。せっかくの機会だろ。出ておいた方がいいんじゃないか」
そう大人っぽいアドバイスを口走りつつも、実はそのアドバイスは十五年前の自分に向けてのものだった。
十五年前……成人式の日、ユウキは子供部屋で毛布をかぶって寝ていた。
あんなもの行っても意味ない。
くだらない。
そもそもオレが成人するしないを共同体に認めてもらう必要などないのだ。
むしろあんなものに行くことでオレの人間強度が下がる。
ベッドの中でユウキはそう自分に言い聞かせた。
だが今では後悔で一杯だ。
成人式に行っておけば何かが変わったかもしれない。
逆に言えば、成人式に行かなかったがために、オレは何も変わらなかったのかもしれない。
成人式に行かなかったから、三十五歳になってもオレは今でも子供のままなのかもしれない。
だとするとオレは一生に一度の大事なイニシエーションを棒に振ってしまったということになる。
それはもう……取り返しがつかない。
「…………」
第二フロアの放つ闇の魔法によって、今、ユウキは『後悔』に深く囚われていた。
凄まじい勢いで『気力』が減っていく。
歩けなくなったユウキは廊下の床にしゃがんだ。
「ど、どうしたんだべユウキさん?」
ラチネッタはユウキの全身を強くさすった。
ごそごそ。
ごそごそ。
しかしそのような物理的な刺激では、ユウキのメンタルに生じた後悔を解除することはできなかった。
しかも後悔によって空いたユウキの心の穴に、今、第二フロアの強烈な恐怖と不安がどくどくと流し込まれていく。
「う、う、うわああああ……」
ユウキはラチネッタの前であることも忘れ、床にしゃがみこんで頭を抱えてうめきはじめた。
「ユウキさん、正気に戻るべ!」
ラチネッタはユウキの背中を思いっきり叩いた。
どっ。
「うっ!」
その痛みによって一瞬だけユウキは正気を取り戻した。
そのわずかな正気を使って、自分の精神状態を説明する。
恥ずかしいことだが、オレ自身ではこの症状に対処できない。
ラチネッタに助けてもらうしかない。
だから恥ずかしくても言わなくては。
「せっ、成人式に行かなかった後悔が今、オレを襲ってる!」
「そんなもん行かなくてもいいべ!」
「ダメだ! 成人式に行かなかったからオレはダメなんだ! それを乗り越えて大人になるという試練をことごとく全部スルーしてきたからオレはこうもダメなんだ!」
「何がダメだっていうんだべ!」
「この歳になってもまともに働いたことがないんだ!」
「さっきおらと一緒に働いたべ! 十分な働きができてたべ!」
「この歳になっても社会のことが何もわからないんだ!」
「そんなの当たり前だべ。人の目に見えるのは目の前の狭い範囲だけだべ。それをしっかり理解しようと務めていたらそれでいいべ」
「友達が誰もいないんだ!」
「おらが友達になってあげるべ!」
次々とラチネッタがユウキの心の穴を塞いでいく。
だが……。
自身の最大の心の穴を、ユウキはどうしても口に出すことができなかった。
「どうしたべ? もっと何かあるならおらに教えてけろ。おらがなんとかしてあげるべ」
「う、う、う……」
どうしても言えない。
この歳になって女の子とエッチしたこともないんだ……。
と口に出して言うことがどうしてもできない。
「…………」
するとラチネッタは正面からユウキを覗き込んできた。
彼女は心の中を探るようにその獣の瞳をまっすぐに向けてきた。
しばらくしてラチネッタは言った。
「まさか……ユウキさん……したことねえんだが?」
「な、なぜそれを?」
「おらの種族特性だべ。動物的なテレパシーによって、人の考えをある程度読み取れるべ。それにしても……はっはっはっは、おかしいべ。ユウキさんはおろかだべ」
「な、なんだと?」
「動物の雄と雌が春にまぐわうことなんて当たり前のことだべ。そんなこと人間の価値とは何の関係もないべ」
「でっ、でもどうしても気になるんだ……! オレが何か生命体として、動物として、人間として、男として、間違った存在であるかのように感じられるんだっ!」
「そんだらしてみたらいいでねえか」
「そっ、それは……」
「怖いんだか?」
「…………」
ユウキは真っ青な顔でうなずいた。
ラチネッタはユウキの背中を励ますようにごそごそとこすると、ポケットからひとつの指輪を取り出した。
数匹の蛇が絡まりあうような複雑な意匠の指輪である。
「それは……?」
「『ゲストの指輪』だべ。この指輪を渡されたゲストは、おらが村の春祭り、そのクライマックスで行われる成人の儀式にゲストとして招かれるべ」
「なぜそれをオレに見せるんだ?」
「おら、絶対に成人の儀式なんて出るもんかと思ってたべ。んだども……ユウキさんと一緒だったら、出てもいいべ」
「…………」
ユウキはゴクリと生唾を飲み込んでラチネッタを見た。
目の前で縦にスリットの入った獣の目が輝いている。
「ユウキさん。おらと一緒に成人してみねえだか?」
ラチネッタは指輪を摘むと、ユウキの空いている人差し指に近づけていった。
「…………」
ユウキはうなずいた。
ゲストの指輪は誂えたかのようにユウキの指にフィットした。
二人は少し赤く上気した顔を見合わせてから立ち上がり……第二フロアの廊下を再度、前進していった。
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