第7話 発動

 宿屋の暗くカビ臭い物置でユウキは唖然としていた。


 まさかこの華奢な少女、アトーレが、暗黒戦士の正体だったなんて!


「いや……ちょっと待て。沢山の疑問があるぞ」ユウキは床にへたりこんだまま考え込んだ。


 壁際で暗黒鎧の隣に立つアトーレは愛想よく言った。


「疑問? いいですよ。私に暗黒をチャージする前に、疑問はぜんぶ聞いてください」


「それじゃ聞くけど。そもそも背格好がぜんぜん違うだろ。迷いの森で見た暗黒戦士は、もっと大きかったはずだぞ」


「暗黒鎧を着ると体格に大きなプラスの効果が得られるんですよ。二回り大きくなります」


「声もぜんぜん違うだろ。アトーレの声はあたかも水晶製の鈴を思わせる透明感がある」


「えええ、本当ですか?」


 アトーレは頰に手を当てた。喜んでいるのか。


「一方であの暗黒戦士の声は嗄れてガラガラだったぞ」


「それも暗黒鎧の効果です。暗黒鎧は『魅力』に大きなマイナスの効果があるんですよ。鎧兜を通せば声も醜くなります」


「そもそも口調もぜんぜん違うだろ。アトーレはいいとこのお嬢さんみたいなお淑やかな口調で物腰も柔らかい」


「えええ、そんなことないですよ」


「それでいて着てるものがペラペラで露出度が高く、それがギャップとなって大きな魅力に繋がってるが……」


「えええ、恥ずかしい……」


 アトーレは大きく開いた胸の谷間を隠した。


「と、とにかくあの暗黒戦士の口調はもっと厳しかったぞ。一人称は『我』だったしな」


「それはですね。いくつか秘密の理由があります。知りたいですか?」


「ああ……」


「絶対に誰にも言わないと約束してください」


 少女は真剣な目でユウキを見つめた。


「わかった、約束する」


 ユウキは緊張で生唾を飲み込んだ。


 だが最初に明かされた秘密は思ったよりしょうもなかった。


「頑張って練習したんですよ、あの口調。暗黒戦士は恐怖の対象でいる必要がありますからね」


 気が抜けたユウキはがっくりと項を垂れた。


 アトーレは言い訳するかのように次なる秘密を早口で明かした。


「もちろんそれだけではないですよ。暗黒鎧には歴代の戦士の怨念が籠もっています」


「怨念?」


「見えませんか?」


 アトーレは軽く鎧を撫でた。


 すると驚くべきことに鎧から一体、また一体と、薄暗い人型の影のようなものが表れ出てきたではないか。


 影たちは床に座り込んでいるユウキをぐるりと取り囲んだ。


「う、うおっ……なんだこれ……」ユウキは腰を抜かした。


 全部で十体ほどもいるその影たちの輪郭はモヤモヤとしており、どれも背格好は違うが、全員アトーレと同年代の少女のように見える。


 アトーレは微笑んだ。


「私の先輩たちですよ」


 影たちは挨拶するかのようにユウキを取り囲む輪を狭めた。


 そんな影たちに取り囲まれたユウキは現実感を見失いながら輪の外のアトーレに聞いた。


「こ、これは……幽霊なのか?」


「そんなところですね。恐るべき戦士として戦い続けたこの先輩たちの影響で、鎧を着ると私も人格や口調が自然に変わるというわけです。みんな、帰ってきて」


 もう一度、アトーレが鎧を撫でると、影たちはユウキの脇を通り過ぎながら鎧へと戻っていった。


 その際、通り過ぎざま、影たちが次々とユウキに触れていく。


 触れられるたびにユウキは体温が深部から奪われていく感覚に襲われた。


 腰を抜かし震えながらユウキはついに納得した。


「あ、あんた、本当に……あの暗黒戦士なんだな」


 アトーレは言った。


「あの夜、頰をぶとうとしてごめんなさい」


「…………」


「お詫びとして、ユウキがしたいことをなんでも私にぶつけていいですよ。それが暗黒のチャージの儀式となります」


 ユウキは再度、生唾を飲み込んだ。


「でも、ここだと狭いですね。あっちに行きましょうか」


 アトーレは腰を抜かしているユウキを両手で引き上げると、客室へと導いた。


  *


「…………」


 ベッドの端に腰掛けたユウキは硬直していた。


 ここでオレは何をすればいいんだ?


 したいことをアトーレにぶつける、だと?


 それはつまり、具体的にはどういうことになるんだ?


 アトーレはオレに何を求めているんだ?


 オレは今、いったい何がしたいんだ?


 答えはすごく簡単なことのように思えたが、答えを出すのが怖くて思考が空回りし続ける。


「…………」


 ユウキはうつむいて悩み続けた。


 すると……すぐ隣に座っているアトーレが言った。


「やっぱり……嫌ですか?」


「わ、わからん」


 ユウキは今、さまざまなものがキャパシティ・オーバーとなり、本当に何がなんだかわからなくなっていた。


 アトーレは悲しげな表情を浮かべた。


「嫌ですよね。わかります……」


 わからん。オレは何もわからん。


 アトーレは言った。


「今まではずっと、『苦行』によって暗黒を貯めてきました」


 すぐ隣、空気を通して体温が伝わる距離で、アトーレは遠い目をして語り始めた。


「苦行……だと?」


「食事を取らない。服も一着しか持たない。あまり眠らない。そういうことです。あっ、片付けますね!」


 今になって衣服が出しっぱなしになっていることに気づいたのか、アトーレは床に転がる衣服を拾い上げると、すばやく物置の中に放り込んだ。


 ユウキはそれを見なかったことにして、呟いた。


「そうか。だからさっき、パンを残したのか……」


「ええ……苦行が暗黒戦士の基本です。その苦しみによって『暗黒』を自らのうちに貯めるのです」


「暗黒戦士……大変な仕事だな」


「いいえ。それほどでも」


 といいつつアトーレは誇らしげな表情を見せた。


 だがすぐ真剣な顔に戻って低く言った。


「ですが近年、闇の魔力の衰えとともに、暗黒の力もどんどん貯まりづらくなってきました。どれだけ苦行しても暗黒が足りないのです」


 暗黒戦士も魔術師と似たような状況に置かれているようだ。


「そうは言っても迷いの森では大活躍だったじゃないか」


「あのとき……私の持てる『暗黒』をすべて吐き出して樹木の妖魔に勝つことができました。本当にギリギリでした」


「でも勝てたからいいじゃないか」


「もう二度と勝てません。このままでは。なぜなら……あの夜以降、どんどん私の中の暗黒が失われて続けているからです」


「なんでだ?」


「わかりません。ですが……もしかしたら……ユウキのせいかもしれません」


「オレが? なんで?」


「おそらく……あなたに触れられたとき、嬉しくて……。嬉しさは暗黒を溶かします」


 アトーレは一瞬、目を閉じて胸に手を当てると幸せそうな笑みを浮かべた。


 子供のような無邪気なその笑みを見て、ユウキも一瞬、幸せな気分になった。


 だがアトーレはいきなり目を開けた。


「はっ! ダメですよ! 暗黒が溶けるって言ってるじゃないですか!」


 どうやら嬉しさや幸せな気分を感じるほどに『暗黒』が減っていくということらしい。


「やっかいなシステムだな。どうすんだよ、それ」


「よくそんな他人事みたいに言えますね。私の暗黒が減っていくのはユウキが原因なのかもしれないんですよ」


 アトーレは瞳孔の開いた瞳でユウキを睨んだ。得も言われぬ不吉な圧力を感じた。


 ユウキは思わず『討論』スキルを使って反論した。


「人のせいにするなよ。自分の感情の責任は誰もが自分で持つべきだ。そうでないと人生の舵を手放すことになる」


「た、確かにそうですね。私もそう思います」


 アトーレは恐縮した様子を見せた。


「そう……ですから私は街に来て、あなた達と別れてすぐ、この服を買ったんですよ。暗黒を高めるために」

 

 アトーレは今自分が着ている胸元の大きく開いたワンピースをつまんだ。


「はあ?」なぜそんな可愛い服が暗黒を高める役に立つのか理解できない。


「洋服店に駆けつけた私は言いました。『この店に置いてある、一番、無防備で、殿方の欲望を惹きつける服をください』と」


 そのシーンを思い出しているのかアトーレは顔を赤くしている。


 顔を赤らめながらアトーレは言った。


「そして私は初めて買ったこの綺麗な服を着て、街の広場に繰り出したのです。裸で歩いているようで、とても恥ずかしくて大変です」


「……な、なんのために、そんなことを?」ユウキはゴクリと生唾を飲んで聞いた。


「わかりませんか?」


「わ、わからん」


「ではヒントを出しましょう。私がまだ暗黒戦士になる前の話です」


 唐突にアトーレは昔話を語りはじめた。


 *


 数年前のこと……今よりさらに若いアトーレは、ハイドラの一地方にある救貧園『あすなろ荘園』に暮らしていた。


 あすなろ荘園の外れにある水車小屋で、アトーレはひとり来る日も来る日も穀物の脱穀に精を出していた。


 そんなある日のことだった。


 あすなろ荘園の視察にやってきた貴族の子弟たちに声をかけられた。


『君、可愛いね』


 アトーレは素直に照れ、喜んだ。


 一方、その反応に気を良くした子弟たちは、小屋の内部で彼女と情交に及ぼうとした。


 子弟たちの手が不躾に伸びてきて体に触れてくる。


 その手をアトーレは反射的に払いのけた。


 アトーレの抵抗にあった子弟たちは、権力と金の力に頼りはじめた。


 アトーレはその力に屈しなかった。


 そういった力が通用しないとわかった子弟たちは、頭に血を上らせ、今度は物理的な力に頼りはじめた。


 アトーレは水車小屋の藁の上に転がされ、数人がかりで四肢を押さえつけられた。


 そのときだった。


 自分を犯そうと外部から向けられるパワーが、アトーレの中に『暗黒』を生み出した。


 暗黒はアトーレを飲み込み彼女を暴走させた。


 そしてアトーレが水車小屋の中で人間らしい気持ちを取り戻したとき、貴族の子弟たちは無惨にも四肢を破壊され床に転がってひくひくと痙攣していた。


 *


「いつも私はこのことを思い返して、反省します。私がもっと我慢強ければ……」


 ベッドでユウキの隣に座るアトーレは、とんでもなくハードな昔話を終えると、遠い目をした。


 ユウキは生唾を飲み込み、大きく感情を揺さぶられながら言った。


「だ、ダメだろ……そんなの我慢したら……」


「いいえ、そんなことはありません。あの小屋で私は初めて暗黒のチャージに成功したのですから。最後まで我慢すべきだったのです」


「そ、そんな……」


「あの子弟たちが私にぶつけてくれた闇の欲望を、最後まで我慢してすべて受け入れていたら、私にはもっと沢山の暗黒がチャージされていたのです」


 遠い目をしていたアトーレは前を向いた。


 その表情には暗黒戦士としての義務感が見て取れた。


「次、同様のことが我が身に降り掛かったら、私は最後まで我慢しますよ」


 アトーレは決然とそう言い放った。


「と、そういうことなんです……わかったでしょう? あの水車小屋での出来事を再現するために、私はこんな無防備な服を来て街に繰り出したのです」


「…………」


「他にもう、暗黒をチャージする術が無いのですから。どれだけ苦行で自分で自分を苦しめても、もう暗黒は少しも貯まらないのですから。だからもう、他人に苦しめてもらうしかないのです。人様から暗黒を分けてもらうしかないのです」


「だからって……そんなことしなくても……」


「いいえ。する必要があります。私は広場をウロウロしましたよ。無防備な服を着て。もう私は暗黒を無駄にはしない、ぜんぶ受け止める、そう思いながら。ですが……」


「ど、どうなったんだ? ま、まさか……」


「いいえ、どうもなりませんでした」


 アトーレは肩を落としうなだれた。


「私に誰も声をかけてくれなかったのです。私に向ける欲望など、誰も持ち合わせていないということなのでしょう。それも仕方ないです。こんな私ですから」


 いいや……アトーレはとても魅力的で男たちの欲望をかきたてる。間違いなくそれは確かだ。


 なのになぜ誰もアトーレに声をかけなかったのかと言えば……。


 その理由がユウキにはなんとなく察せられた。


 アトーレが出している雰囲気のせいだ。


 暗黒鎧を来ていなくても、暗黒のオーラが彼女の周りに濃く漂っている。


 喫茶ファウンテンで、テラス席から人が消え失せてしまったのも、おそらく彼女が発している暗黒のオーラのせいなのだろう。


 オレはもうずいぶん慣れているので平気になっているようだが……。


 とにかく、なんにせよ……。

 

 ユウキはほっとため息をついた。


「……よかったよ」


「何がですか? 何がよかったというんですか?」アトーレはユウキを睨んだ。


「……水車小屋でされたみたいな体験、しなくてよかったじゃないか」


 オレ的にも本当に良かった。


 もしアトーレがすでに水車小屋でされたような体験を、この街でどこかの誰かに最後までされていたとしたら……とても身勝手な話だが、オレの脳は傷ついておかしくなってしまったかもしれない。


 しかしアトーレはうなだれ、首を振った。


「よくないですよ。なにも、まったく」


「…………」


「暗黒をチャージしないといけないのですから、一刻も早く。だから早く……そう……行かないと……」


 アトーレはふらふらとベッドから立ち上がった。


「どこに行くんだ?」


 アトーレは瞳孔の開いた瞳をうつむかせて呟いた。


「また街へ。そして探すんです。私に暗黒をチャージしてくれる人を。なぜなら……ユウキがしてくれないからです」


「いや、それは……」


「わかりますよ。嫌なんでしょう? 私のことを。見た目も。職業も。オーラも」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


「嫌です。これ以上『暗黒』が無くなれば、私の力が取り返しがつかないレベルで消失します。だから……もう待てません」


(うわー、どうすればいいんだ!)


 わからない。


 今、オレに何が求められているのか。


 わからない。


 いや……わかる。


 本当は、それはだいたいわかっている。アトーレがオレに何をしてほしいのか。


 それは確かにわかっている。


 だが……自分が今、何をしたいのかがわからない。


 わからない。


 いや……本当はそれもわかる。


 オレが今、アトーレにしたいこともわかる。


 わかるけど……怖い。


 怖くて前に踏み出すことができない。


 ベッドの端でオレはこうして固まっていることしかできない。


(うわー、どうすればいいんだ!)


 ユウキの脳は何度もこの思考のループを高速で繰り返した。


 だがそのとき……。


「スキルを使ってみてはいかがですか?」


 ナビ音声のアドバイスが脳裏に響いた。


(わかった……)


 ユウキはスキルを発動した。


『深呼吸』


『流れに乗る』


 そして……。


(『無心』、発動)


「…………」


 ユウキはおもむろに立ち上がった。


 そしてアトーレの手首を掴んだ。


「きゃっ」


 可愛い声を発する彼女をぐっと引き寄せ、目を覗き込んで言った。


「やるぞ」

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