エッセイ
村良 咲
第1話 言葉
猛暑が続くある日のこと。
それは80歳過ぎの祖母が月に一度の内科通院の日でした。
その日は年に何度かやる血液検査もするということで、
7時半前に、「お医者に行ってくる」と家を出ようとしてるじゃないですか。
その内科医院は、家から徒歩数分ほどのところにあり、
診察時間は8時半からで、入り口が開くのが8時なのです。
そう、診察の30分前のキッチリ8時に開いて、受け付けが始まるのです。
いくらなんでも早過ぎでしょと、
「ちょっと待って。今行くと医院の前で30分近く待たなきゃでしょ?
7時50分くらいに家を出れば十分間に合うよ」
と私が言うと、祖母が
「だけん、この前看護士さんが先に検査するから早めに8時頃には来てって言ったよ」
「だから8時頃に着くようにいけばいいじゃん」
「そいだけん、早めに着てって言うだもんで、ちょっと早めに行かなきゃねぇ」
待て待て待て、早めにって、
数分で行けるところに7時半に出たらちょっとどころかだいぶ早めに着くでしょ。
「でもいくら何でも7時半に出るのは早いよ。暑い中20分くらいは待たなきゃでしょ」
「だけん看護士さんが早く来るように言ってるで……」
そうこうしているうちに時計は7時40分を指し、
「あんたがぐずぐず言うもんで、こんな時間になっちゃった、もう行くでね」
そう言って、いそいそと出掛けて行きました。
まあ暑いけど、待つのが10分くらいなら大丈夫かな、行き先は医者だしね。
今年のように猛暑でなければ、真夏や真冬じゃなければ医院が開く30分前に行ってもと思いますが、今年は本当に暑い日が続いていて、朝7時半とはいえ30分近くも外で待つのは大変だろうと思い親切心で言っているのに、私のせいで出るのが遅れたとでも言いたそうな勢いで出掛けました。
祖母はずっと正社員で働いていた人で、8時にと言われればかなり前にはそこにいるというくらいの人なので、その癖がずっと抜けないというか、高齢になり働いていたころの感覚に最近はより近くなっているようで、早め早めに行動するのです。
この日のように、「先に検査、8時頃、早めに、」という、押さえておかなければいけない部分だけが記憶に強く残ってしまうので、できることならばあやふやな言い方ではなく、「8時に来てね」と簡潔に言ってくれれば、それでも祖母は少し早めに行くのだろうと思います。
なんなら「8時半頃に」とでも言ってもらった方が、8時に行くのではないかと思うのです。
そんな祖母は最近、緑茶をあまり飲みません。
お医者様に、「お茶は飲まないほうがいい」と言われたんだそうです。
そんなバカなと、父が通院したときに聞いたところ、
猛暑が続く夏、熱中症にならないように水分をたくさん取る必要があり、
そのとき、お茶やコーヒーはカフェインが含まれていて利尿作用があるので、
あまり飲み過ぎないほうがよく、麦茶やお水のほうがいいとのこと。
その話が、もともとコーヒーは飲まない祖母の頭には、
「お茶は飲まないほうがいい」というところだけが強くインプットされ、
あまりお茶を飲まなくなってしまいました。
これこれこういうことだよと、いくら説明しても、
お医者様の言うことは絶対という祖母は、お茶をほとんど飲みません。
まあ、麦茶を飲んでいるのでいいんですけどね……
言葉というものは、誰が言うのかが重要で、
その耳に届いた大事な部分だけが、やたら重要なようです。
予約時間の少し前に行くことや、お茶を飲み過ぎないというのも、
まあ、どちらの話も大きく間違っているわけではないのでいいんですけどね。
なんていうか、祖母が極端なだけ……なんですけどね。
ただ最近思うのは、高齢の方には「わかりやすく簡潔に」ということが大事なのかなと思うのです。
言葉は、多すぎても難ありとなる。
そんなことを思わされる出来事でした。
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