第292話 膠着

 夏休みが終わっても、文香は帰ってこなかった。


 登校日に担任の真田が説明したとおり、新学期の教室に文香はいない。

 サブグラウンドにあった大教室は、夏休みのあいだに自衛隊の施設部隊が壊して、グラウンドを完全に元の状態に戻して撤収していった。

 俺達のクラスは普通の教室に戻って、文香以外の、人間だけで授業を受けている。

 プログラミングの講師だった月島さんの代わりには、四十台半ばの男性講師が来た。


 新学期始まってすぐは、委員長を中心にクラスのみんなで文香がどこに行ったのか、休み時間のたびに真田を問い詰めたりしてたけど、真田にも本当になにも知らされてないみたいで、逆に俺も知りたいくらいだって真田自身が校長室にカチコミに行く勢いだったから、みんな問い詰めるのを止めた。


 二、三週間すると、表面上はもう文香がいない頃のクラスに戻った。

 誰も文香の事を話さなくなった。


 まるで全部が幻だったみたいになった。

 戦車が学校に通っていて、俺達と一緒に机を並べて授業を受けるなんて、考えてみればそっちの方がおかしい。

 現実ばなれしている。


 だから、今までが幻だったんじゃないかって気すらしてきた。


 だけど、文香の存在が幻じゃないっていう証拠は、街のそこここに残っている。


 街中の道路に、文香の履帯の跡が残っていた。

 道路に敷かれた横断歩道や停止線が所々削れている。


 興奮した文香が超信地旋回したときの、丸く削れた跡が残ってる所もあった。


 文香は確実に存在したのだ。



 授業を終えて、一人で「部室」に向かう。

 いつもは文香と今日子と俺と三人で部室まで歩いたけど、文香はいないし、アイドルになるって宣言した今日子は、早速、放課後は歌やダンスのレッスンで忙しいらしい。


「おお小仙波よ、お帰り」

 部室ではいつものように花巻先輩が笑顔で迎えてくれた。

 大人っぽいネイビーのワンピースにエプロン姿の花巻先輩。


 直に南牟礼さんや六角屋も部室に来る。



「なんか、寂しくなっちゃいましたね」

 ちゃぶ台で先輩が用意してくれたおやつを食べながら南牟礼さんが言った(きょうのおやつはサツマイモの胡麻団子だ)。


 文香がいなくなって、それに付随ふずいして月島さんもいなくなって、今日子もいなくなって、伊織さんもいなくなった(文化祭期間中、ここに出向してた伊織さんは生徒会に戻って、そっちの仕事を頑張っている)。

 残ったのは俺と花巻先輩と六角屋と南牟礼さんの四人。


 南牟礼さんが言うように、確かに寂しい。

 空気が夏の空気から秋の空気に変わりかけていて、それも寂しさに拍車をかけていた。


「ホントに文香ちゃん、どこに行っちゃったんでしょうね」

 南牟礼さんはそう言って溜息を吐く。


 あれから花巻先輩はつてを色々突いてくれてるみたいだけど、文香の所在も月島さんの所在も分からなかった。

 もちろん、文香が「クラリス・ワールドオンライン」をはじめ、ゲームにログインしてこないか、俺は毎日監視している。


 探すところがあれば授業を休んででもいくらでも探す覚悟があるけど、どこを探したらいいのか、その見当さえつかなかった。


 だから、それ以上動きようもない。


「文香ちゃんも月島さんも、急に、私達になにも言わないで消えちゃったってことは、どこかに出撃したとか、そんなことないですよね。文香ちゃん、危ない目にあってるとか、ないですよね」

 南牟礼さんが続けた。


「どこかで紛争が起こったとか聞かないし、そもそも、自衛隊は紛争地帯には出兵できないし」

 六角屋が冷静に言う。


 議論は堂々巡りだ。

 文香が消えて以来、部室ではそれが何度も繰り返されていた。



 陽が傾くまでだべって、今日も委員会の活動はお開きになった。


「小仙波、寂しければここに泊まっていってもいいんだそ」

 先輩が言う。


 やっぱり、先輩は夢のあることしか言わない。




「小仙波君!」


 文香もなく、独り寂しく帰ってると、誰かに呼び止められた。


 振り向くと伊織さんがいる。


 今日も凜とした笑顔の伊織さん。

 制服もピシッと、一分の隙もなく着こなしている。


「生徒会の仕事終わったの?」

 俺は訊いた。


「うん、さっき終わったところ」


「俺も、委員会さっき終わったところ」

 委員会って言っても、ただ部室でだらだらしてただけなんだけど。


「駅まで一緒に帰ろう」

 伊織さんが誘ってくれた。


「うん」

 断る理由はない。


 俺と伊織さんは並んで歩く。


 伊織さんは、今日、生徒会で起きたこととかを面白おかしく話してくれた。

 伊織さん、文香の話題はあえて出さなかった。

 その話になったら俺が落ち込むかもって、気を使ってくれたんだと思う。


 それにしても、考えてみれば伊織さんとこうして肩を並べて歩くなんて、一年前なら考えられなかった。

 そして、妹と今日子以外の女子と話すのに緊張してた俺が、今は自然に話せるようになっている。

 伊織さんと普通に会話できていた。


 文香のAIの進歩に比べれば微々たるものかもしれないけど、俺もちょっとは成長しているんだと思う。



 駅まではあっという間だった。


「ねえ小仙波君、今度、デートしようか?」

 別れ際、伊織さんがそんなことを言った。

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