第264話 煙

 ステージのすぐ下で、杏奈ちゃんの熱狂的なファンに揉まれながらライブを見た。

 俺のすぐ横では、六角屋もファンに揉みくちゃにされている。


 ステージに立った杏奈ちゃんは輝きを増していた。

 月並みな言い方だけど、そこには天使がいた。


 目に鮮やかなオレンジの衣装でステージ狭しと躍動する杏奈ちゃん。

 ヒールの足で跳び回って、重力さえも操ってるって感じ。

 激しくダンスしてるのに息一つ切らしてないし、歌も全然ぶれない。

 真夏の暑い中で動き回っても、顔には汗もかいていない。


 そして、杏奈ちゃんは衣装まで正確に操っていた。

 杏奈ちゃん穿いてるミニスカートは、中が見えそうで見えない。

 ステージのすぐ下から見ても絶対に中は見えなかった。

 杏奈ちゃんは、衣装の布の動きまで完璧にコントロールしている(別に俺は、そこばっかり見ていたわけではない)。


 杏奈ちゃんがどうしてスーパーアイドルなのか、その理由を分からされた気がした。


 そうやって杏奈ちゃんは、結局、屋外のステージで三曲を披露してくれた。

 グラウンドが一体になって、この文化祭最大の盛り上がりを見せる。


「それでは皆さん、この後の講堂のライブでお会いしましょう。収容人数の関係でライブを見られない皆さん、ごめんなさい。ですがどうぞ、この文化祭を楽しんで行ってください。この学校の生徒さん達が、みなさんをお迎えするために一生懸命準備をされています。ホントに楽しい展示ばかりなので、一日いても飽きませんよ!」

 最後に杏奈ちゃんは文化祭の宣伝をしてくれた。


 ファンが盛大な拍手と声援で答える。


 さあ、これからが大変だ。

 杏奈ちゃんをステージから無事に下ろして、講堂まで連れて行かなければならない。

 ガードマンの人達もいるけど、この大勢のファンの中を抜けられるんだろうか。

 ここで混乱が起きて怪我人でも出たら取り返しがつかないことになる。


 そう思って身構えたんだけど、杏奈ちゃんはここでもみんなを驚かせる演出を仕込んでいた。


「じゃあ皆さん、また後で!」

 杏奈ちゃんがそう言った瞬間、ステージがスモークに覆われる。

 真っ白な煙でステージ全体が覆われて何も見えなくなった。


 しばらくしてそのスモークが消えたあと、ステージの上に杏奈ちゃんはいなくなっている。

 忽然こつぜんと姿が消えていた。


 さっきまで盛り上がっていたファン達もびっくりしてキョロキョロと辺りを見回す。


 すると、誰かが「あ!」って叫んだ。

 その指さす方を見ると、屋上にオレンジの衣装を着た人影が現れる。


 その人物がグラウンドに向けて手を振った。

 グラウンドを埋めたみんなが一斉にそっちに注目する。

 「おおおっ」って、地響きのような歓声が上がった。


 もちろんあれは今日子なんだろう。


 杏奈ちゃんのふりをした今日子を使って、ステージに現れた時とは逆に、今度は屋上に瞬間移動したように見せたのだ。


 こんな演出があるの聞かされてないから、俺も六角屋も見事に騙された。

 まあ、普段から杏奈ちゃんのライブを仕切ってる向こうのスタッフからすれば、こんな演出いとも簡単なんだろうけど。


 だけどあれ?


 そうすると本物の杏奈ちゃんはどこにいったんだ?

 屋上に現れたのは今日子として、本物の杏奈ちゃんは?


 そう思ってたら、いつのまにか俺のすぐ横に今日子が立っていた。

 いや、今日子のふりをした杏奈ちゃんが立っている。


 うちの学校のセーラー服を着て、髪も今日子に寄せたショートカットのウイッグを被った杏奈ちゃん。

 それが何食わぬ顔をして俺の目の前にいるのだ。


 周囲にいるファン達は全員屋上を見ていて、まさかすぐそばに杏奈ちゃんがいるとは思っていない。


「さあ、今のうちに行こう」

 杏奈ちゃんが俺と六角屋に小声で言った。

 俺達はファンの間を抜けて、混乱もなく易々と講堂まで辿り着くことができる。



「上手くいったね」

 講堂の舞台裏、控え室に入った所で、杏奈ちゃんが悪戯っぽく笑った。

 今日子のふりをしてるけど、こうやって笑うと、もう、そのスター性は隠しきれない。

 制服の下からオーラのようなものが染み出している。


「それにしても、いつの間に着替えたんですか?」

 俺は訊いた。

 スモークでステージ上が見えなかったのは一、二分のことだったし、ステージ上に着替える場所なんてなかった。


「スモークが立ち込めてる間に、あの煙の中で着替えたの。いつもライブで早着替えとかしてるから、その経験が生きたの」

 杏奈ちゃんが言う。


 さすが、年間何十本もライブをしてるスーパーアイドルは違う。


 っていうか、ん?

 え?

 ちょっと待って。


 ってことはなに? 杏奈ちゃんはあの煙の中で裸になってたってこと?

 ステージ上で、無数のファンの前で、真っ裸になってたってことなのか。


 俺達の目の前に、全裸の杏奈ちゃんがいた?


「うふふ」

 杏奈ちゃんが俺の邪念を見透かしたように笑う。


 文香みたいな煙の中を見通せるセンサーの目を持ちたいって、今ほど思ったことはなかった。


「さあ、ウォーミングアップも出来たんで、がっつりライブ行きますか」

 杏奈ちゃんが余裕の笑顔で言う。


 

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