第252話 潮目

 観客席の前に並んだ十人の審査員席に、花巻先輩が握ったおむすびが配られた。


 海苔のりを一枚まとっただけの「塩むすび」が、渋い黒の小皿に載っている。

 おむすびの横に、申し訳なさそうに、ちょこんとたくあんが二切れ添えてあった。


 料理と言っても、ただそれだけ。

 究極にシンプルな料理だ。



 観客席がにわかにざわざわし始めた。

 見ているお客さんからしたら、もっと凝った料理で、先輩の包丁さばきや鮮やかな手際を見たかったんだと思う。


「さあそれでは、審査員の皆さんに味の方を審査して頂きましょう」

 司会の先輩が口の端に笑みを浮かべて言った。

 その言葉の中には、これが料理って言えるのか、っていう、失笑気味のニュアンスが含まれている。

 審査員の人達の中にも、ヤレヤレ、みたいな表情を浮かべる人がいた。

 叶さんのピアノ演奏とで、もう、勝負がついてしまった、って感じの流れになっている。

 講堂全体がそうなっていた。


「どうぞ、ご賞味ください」

 司会の合図で、十人の審査員がそれぞれおむすびを口に運ぶ。

 勝負はついてるものの、一応、食べてはみるってていで。



 しかし、審査員が先輩の「塩むすび」を口に入れた瞬間、全ての流れが変わった。



「こ、これは…………」

 審査員が目を見開いてお互いに顔を見合わせる。


「なんなんだこれは!」

 一人の審査員が悲鳴に近い声を上げた。


「一見するとただの塩むすびだが、しっかりと握られていて、手に持っても崩れないのに、口の中でホロホロとほどけるこの握り具合が絶妙としか言いようがない。米粒と米粒の間にある空気まで食材にして、このおにぎりの中に閉じ込めたようだ」

 白髪の紳士の審査員が言う。

 確かこの人は、この街の議会の議長をしてる人だったかと思う。


「塩加減も丁度いい。米の甘みを堪能たんのうして緩みきった舌を、絶妙な加減で配置された塩が、きゅっと引き締めてくれる。塩で我に返った舌が米の甘みを求め、甘さを感じた舌がまた、塩味を求める。その繰り返しであっというまに一つ平らげてしまう。塩加減だけではなく、きっとこの塩の選定にも吟味を重ねたのだろう。旨味がたっぷりとある塩で、このおむすび全体をよくまとめている。まとめていると言えば、このおむすびを覆った海苔もまた絶妙だ。炭火であぶって香りが極限まで引き出されている上に、ご飯に触れていない部分はパリパリ、ご飯に触れた部分がしっとりと、その食感のコントラストが口の中を楽しませてくれる。そして、ひっそりと添えられたこの黄金色のたくあんも見事だ。ぱりっと歯触りが心地良いし、中からジワッと染み出してくるエキスは、まるで何十年もそこで漬物を漬けてきた老獪ろうかいな達人の技のような深みがある。幾千の旨味が複雑に絡み合っている。このたくあん一切れで、おひつ一杯のご飯を食べられてしまいそうなくらいだ」

 白髪の紳士が続けた。


 なんか、オタク特有の早口、って感じがしないでもない。


「極限までそぎ落としたシンプルな『料理』だけに、一切の妥協が許されない。それを見事にやってのけた。まさしく、究極の料理といえよう」

 白髪紳士、目の端から涙さえ流そうとしていた。

 他の審査員も、うんうんと、首がもげるんじゃないかってくらいに頷いている。


 饒舌じょうぜつに語る審査員に、花巻先輩は笑っていた。

 先輩は腕組みして、どっしりと構えている。


 審査員の講評を聞いていた観客もすっかり引き込まれてしまって、もう、先輩の「料理」を馬鹿にする雰囲気じゃなくなっていた。

 今にもよだれを垂らしそうな顔で、瞬く間に審査員の口に吸い込まれていくおむすびを見守っている。

 実際、客席の方からお客さんが腹を鳴らす音さえ聞こえてきた。


 これは、叶さんのピアノといい勝負なんじゃないだろうか。


 好評を受けて花巻先輩がマイクを握った。

「まさか、普段作っている『料理』でこれほどの評価を頂けるとは思ってもいませんでした。これほどの好評なのであれば、後で、この塩むすびの屋台でも始めましょうか。これを皆さんにも味わって頂きましょう」

 先輩が言うと、「おおおっ」って観客席から歓声と拍手が上がる。


 いい勝負っていうか、この勝負、確実に先輩が勝った。


 おにぎり一つでみんなをねじ伏せてしまう花巻先輩、恐るべし。

 そんな先輩の料理を毎日食べる俺達文化祭実行委員は、実はすごく幸せなのかもしれない。


 とにかく、これで二つまでの審査が終わった。

 スピーチの審査では向こうに勝ちを譲っていたとしても、この特技対決では先輩が勝った。

 そうなると、ここまで一対一の同点か。


 次の審査で、勝負が決することになる。



「さあ、それでは最後の審査、歌唱審査に移りましょう」

 司会の先輩がアナウンスした。

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