第193話 コソ練

 忙しい文化祭実行委員の仕事の合間を縫って、俺と文香はクラスの演劇の稽古けいこにも出ていた。

 文化祭が近付いていて、稽古をする教室も熱気を帯びている。

 放課後、出演者を中心に十数人が残って、夜になっても稽古が続いた。

 近くのコンビニで買ってきた弁当やパンを食べながら、みんな気合いが入っている。


 だけど、俺の演技の方は相変わらずだ。


「うん、雨宮さんは完璧。明日公演することになってもいいくらい」

 委員長の吉岡さんが、ヒロインのベル役の雨宮さんを褒めた。

 三つ編みに眼鏡っていう、委員長の三大要素のうち二つを兼ね備えている吉岡さん(あとの一つは巨乳だ。異論は認める)。

 吉岡さんは、黄色いメガフォンを持って監督をしていた。


「それから、小仙波君の方は、ねぇ…………」

 吉岡さんの言葉が途切れる。

 そして、目を瞑った。


 言葉がなくなるくらいなら、はっきりと罵倒ばとうしてもらった方が楽になる(別に俺はそういう性癖を持ってるわけじゃないけど)。


 他の出演者やクラスメイトも、微妙な視線で俺を見ていた。

 ため息交じりの声が聞こえるし、今からでも主役を誰か他の男子にした方がいいんじゃないかって、顔に書いてある。


 圧倒的に気まずかった。

 今すぐこの教室から出て行きたかった。

 文香も超信地旋回しながら困っている。


 そんな、立場がない俺を救ってくれたのは、相手役の雨宮さんだ。


「大丈夫。まだ少し時間はあるし、案外小仙波君って、本番になったらきもが据わっていい演技ができるかもしれないよ」

 雨宮さんが真夏の太陽みたいな明るい笑顔で言う。

 それだけで、淀んでいた教室の雰囲気が吹き飛ばされた。


 雨宮さんがただ理由もなくクラスの人気者になってるわけじゃないって分かる。

 雨宮さんは、こんなふうにコミュ力があって、俺みたいな奴にも優しくて、気を配れる人なのだ。


「小仙波君、私のこと、ホントに好きな人だと思って相手をしてみて。そうしたら、上手く演技ができるんじゃない?」

 雨宮さんが、俺を正面から見ながら言う。

 そのキラキラした瞳に見詰められて、俺は固まってしまった。


 雨宮さんは俺にはまぶしすぎる。

 まあ、俺にとっては全ての女子が眩しいんだけど。


 っていうか、ホントに好きな人と思ってって、俺がホントに好きな人って誰だろう?

 改めてそんなことを考えた。


 それは、伊織さんだろうか?

 花巻先輩だろうか?

 それとも、今日子だろうか?

 月島さんに、南牟礼さん、妹の百萌。


 そして、文香。


 俺の脳裏に、いろんな女子の顔が浮かんできた。


 俺がホントに好きな人って、誰なんだろう…………




 その日の稽古を終えて、文香と一緒に部室に戻る。


 もう夜の九時を回ってるのに、校舎の窓からはたくさんの灯りが漏れていた。

 文化部や運動部の部室棟も、全部の窓に灯りがともっている。

 夜になって楽器の音や歌う声は聞こえなくなったけど、侃々諤々かんかんがくがく熱い議論を交わす声があちこちから聞こえてきた。


 花巻先輩が言うとおり、やっぱりこういう賑やかなのはいいと思った。

 去年、文化祭に参加しなかったことがつくづく悔やまれる。

 三回しかない高校の文化祭の一回を無駄にしたのだ(どこかの先輩みたいに三回以上ある人もいるにはいるけど)。



「ねえ、冬麻君、今から演技の稽古しようか?」

 部室に向かって走りながら文香が言った。


「稽古? 今から?」


「うん、このまま、吉岡さんに言われっぱなしなのはくやしいでしょ?」


「それは、そうだけど……」

 委員長として舞台を成功させたい吉岡さんに悪気がないことは分かってる。

 それでも、確かに文香が言うように言われっぱなしは悔しい。


「稽古して、吉岡さんやみんなをびっくりさせてやろうよ」


「それはいいけど、稽古っていっても相手がいないと……」


「私が相手になってあげる。私はセリフも全部覚えてるし、雨宮さんの演技を見てて、立ち回りも全部分かってるから」


「でも……」


「私だと、雰囲気出ない?」

 文香が砲塔をちょっと傾けて訊いた。


「雨宮さんみたいな、人間の女の子じゃないとダメ?」


「ううん、そんなことない」

 俺はぶんぶん首を振る。


「この体だと雰囲気出ないなら、私が伊織さんとか今日子ちゃんに、稽古の相手になってって頼んであげようか?」

 文香が言う。

 その言葉が、どこか寂しそうに響いた。


 っていうか、俺、なんで文香にそんなこと言わせてるんだ!


「いや、文香でいい。ううん、文香がいい。稽古、付き合ってほしい」

 俺は言った。


「うん!」

 文香が弾んだ声を出す。


 一度部室に戻って、立て込んだ仕事がないことを確認すると、花巻先輩に許可をもらって、文香と二人、稽古をすることになった。

 グラウンドの隅で、俺にセリフがある場面を最初から順番に稽古していく。


 誰もいないグラウンドは、校舎の窓からの光で薄ぼんやりと照らされていた。

 俺は台本を入れたスマートフォンの画面を見ながら、文香はステルスモードでエンジンをかけずに、静かに演技する。


 こうして二人で同じことをしてると、「クラリス・ワールドオンライン」の中で一緒にクエストしてるときのことを思い出した。

 全然大きさは違うけど、ララフィールのアバターの文香がそこに見えるような気がする。


 文香の前だと、少しも照れずに頭の中で思い描いてたように演技することができた。

 台本の中の、普段なら絶対に言えないような恥ずかしいセリフも、声を張って堂々と言える。


 最後の方になると台本も全て覚えてしまって、スマホを見ずに演技に専念した。

 自分で言うのもなんだけど、結構、演技が様になってきたと思う。


 もしかして、雨宮さんが言ってた、俺のホントに好きな人って…………



 この稽古で俺の演技が上手くなったかどうかは分からないけど、次のクラスの稽古では、思いっきり演技しようと思った。


 子供みたいに、いつまでも恥ずかしがってる場合じゃないって思った。

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