四日目 「悩」
十月十一日に草間市の県立公園を襲った神隠し事件は、従来の神通力事件のような地方ニュースに留まらず全国で報道された。
シチコを奪う都合上から神隠し事件で死者は一度も起きてはいないものの、重軽傷者は今回だけで三桁を越えたらしい。中には頭蓋骨陥没や脊髄損傷と水に流せない被害を出した人もいて、当事者となった貫之としては胸が締め付けられる思いだ。
警察に保護された貫之は事情を説明し、さすがに隠蔽は出来ないのでいま知っている自分の神通力のことも含めて話した。当然、従来の力より逸した内容だけあって担当官は驚きの顔を見せ、同時に狙われたのも分かるような顔を見せた。
それだけの力があれば再び狙われるのは間違いなく、家族をも呼び出して警察の保護下に置くかどうかを聞かれた。その際、佐一は来ていない。
しかし自由を欲する月筆乃命が断固として拒否し、貫之も大げさにすることには難色を示した。
なぜなら貫之が狙われたことは報道されていないからだ。それどころか中学生が狙われたのかどうかも報道されていないので、今ならまだ学校に出ても月筆乃命の力の噂が誇張されないと考えたのだ。あと数ヶ月で高校入試にその直後には卒業もある。残り少ない中学生活を強大な力に振り回されたくはなかった。
警察としては沽券もあって守りたいようだったが、守られる側が拒否されてはそれ以上言えない。両親も貫之たちの意思と、神通力の片鱗を知ったことでとやかく言うことはなかった。
よって表向きは何もなかったように翌日十二日を迎えたのだった。
学校では考えるまでもなく、現れた神隠し事件で持ちきりになっていた。
中には親兄弟が巻き込まれたことで休んだ生徒もいて、身近に迫った恐怖に高揚感はどこからも出ない。貫之の神通力の真相とはまったくの逆だ。
家族が狙われるかもしれないと不安を見せる人。自分が依巫で狙われないかと心配する人。家族も自身も依巫ではなくとも巻き添えを食らうかもと不安の色は様々である。
貫之はその中でも特殊な狙われることが決定した不安だ。
それでも迫り来る高校入試に加え、二学期の中間試験や期末試験の考えも抜け切れずに勉強を自主的に行っている。今現在で勉強をしているのは教室内では貫之ただ一人だった。それだけを見ると肝っ玉が据わっていると思われるかもしれない。
しかしこれは習慣と佐一の二の舞を恐れるからの行動で、数学の方程式を解きつつも脳裏では昨日の数分間が絶え間なく繰り返し映し出されていた。読解を求める問いであれば解ける自信はない。
「……フミ、あいつはいつ来るかな」
問題を解き終えた貫之は小声で呟いた。
「あまり人前で話すな」
そう答える月筆乃命は、机の縁に腰掛けて文庫本を読んでいる。貫之に背を向ける形なので表情は読み取れない。
「せっかく神隠しの話題で埋もれとるんじゃ。墓穴掘ることはない」
淡々と喋る月筆乃命。その口調から冷静を徹底しろと言われているような気がした。確かにせっかく貫之は無関係であるのに、狙われる噂でも広がれば内容はより過激になる。
今のところ神通力の噂は昨日と変わりない。また誰かを操れば誇張するだろうが、さすがに複数もの不安要素に囲まれている中で月筆乃命も安易には使わないはずだ。
「お願いだからあの言葉でキレて力使わないでよ」
「分かっておる。その時は依り代に戻って我慢するよ」
「フミちゃん、おはよう」
今のところ月筆乃命をちゃん付けで呼ぶのは一人だけだ。教室の入り口のほうを見ると笑顔でいる秋雪がいて、今日は体育がないのかセーラー服姿で入ってきた。
「ゆゆ、おはよう。いつもながら元気だの」
「元気と明るさが取り得だからね。神隠しの噂で不安がったりはしないよ」
「でも気をつけた方がいいよ。噂じゃ便利性の高い力を集めてるらしいから」
「心配ないよ。私の家族全員依巫じゃないもん。お爺ちゃんもお婆ちゃんもね。狙おうとしたって物がないよ」
日本の総人口は約六千万。年間二万人弱で増加傾向であり、その内の顕現できる神は二千万強。つまり三人に一人は依巫で、一家庭に一人は依巫という計算になる。
しかしこれは単純計算からだから必ずしもそうとは限らない。三人家族で全員が依巫になれば十人家族全員がなれないこともある。その例が目の前にいる。
「だから、フミちゃん抱っこさせて?」
「断る」
同情を使って媚びる秋雪に一刀両断をする。
「妾に触れてよいのは貫之ただ一人じゃ。妾の体は見た目ほど軽くはないぞ」
先日体重を量って分かった重さは服装を含めて一キログラム。しかし心はあまりにも重い。
「ところで秋雪、落ち込んでるところ悪いんだけど一つ聞きたいことあるんだ」
「なに、ツッキー」
「古川って双子だったりする?」
「ひぃちゃん? 小五の弟が一人いるだけだよ。でもなんで?」
「昨日、キョウって古川と瓜二つの人と会ったんだ。その人古川のことを知ってたから家族かなって思って」
「……ああ、従姉妹のキョウちゃんね。そっくりだよねー。ひぃちゃんのお父さんの弟の子らしいよ。前に会ったことあるけどあまりにそっくりすぎて間違えちゃった」
親友の秋雪が間違えるほど似ている。なら貫之たちが間違えるのも無理はない。
ただ、従姉妹で双子並みに似ることはあるのだろうか。兄弟でさえ背丈の時点で大きく違う例があると言うのに。
「ん? と言うことは、キョウは古川の家に遊びに来ておるのか?」
「そ、そうなるんじゃないかな。確か……大阪に住んでるって言ってたから」
「その割には関西弁ぽくなかったけど。それになんで今来てるんだ?」
抑揚からして関西の人とは思えない。さらに疑れば今日は金曜日だ。昨日の昼間に公園でクレープを食べているのはいささかおかしく、「ここの」と常連をにおわせる言い回しもしていた。
「……ゆゆ、なにか隠してはないか?」
月筆乃命も違和感を覚えたようで単刀直入に尋ねる。
「何も隠してないよ。きっと事情があるんだよ」
見た目こそ普段通りだが、親によく佐一のことで誤魔化しをしてきた貫之には言い逃れようとしているのがよく分かる。
だからと言って追求するつもりはない。誤魔化すのはそれだけの理由があってのこと。そこは尊重するべきで貫之は話題を変える。
「ありがと。話はまた変わるんだけど、ホテル草間って知ってる?」
「駅前の高層ホテルだよね。行ったことないけど、それがどうかしたの?」
「僕の兄ちゃんがさ、そこで期間開催してるバイキングの半額券くれたんだ。ほら、一応古川には憎まれてるから、それで手打ちにしたいなって思うんだけど……」
貫之は鞄から五枚の券を取り出して見せる。それにはホテル草間で開かれるバイキングの半額券と書かれていた。料金は一人五千円と豪華で、その半額でしかも時間無制限で食べられる。五千円ともあって料理の内容は豪華だ。
この券が渡されたのは昨日の夜で、警察から帰って放心状態だったところに佐一が突然部屋に入ってくると渡してきたのだ。何でも友達から貰い、これで幾ばくか返済金の減額をしてほしいとのこと。無論半額代も出すとして無料でバイキングが食べられることになる。
その提案を受けた月筆乃命は、佐一の意に反して期限を一週間延ばす方向で話を出し、もう一ヶ月足すよう交渉にするも利息として十五万足すと法律上問題ありそうな返しをして黙らせた。ちなみに神がどんな要求しようと、法的な義務が発生することはないので払わない選択肢もある。それでも従うしかないのは、無視した後の報復が怖いからだ。
「僕からじゃ多分受け取らないから秋雪から言ってくれないかな」
「だめだよ。そう言うのはちゃんと自分で言わなきゃ。それにツッキーは何も悪くないんだから堂々としないと、もっとひぃちゃん怒ると思うな」
「そ、そうなの?」
「ひぃちゃんは回り込むような人嫌いなの。私を踏み台にして近づく人はもっと怒るよ。だからツッキーが言うべき。それで、そこからひぃちゃんのツッキーへの好感度に変化が起きるんだよ。今はムカついてても、ちょっとした優しさとか心遣いで気にしだして、あとはボールが坂を転がるようにどんどん気になり始めて止まらなくなるの!」
秋雪の恋愛病が始まった。
「さすがにそこまでは行かないと思うよ? 向こうにとってはお詫びみたいなもので、心遣いで受けとらないって」
「分かってないなー。名目はなんでも何かを貰うことが大事なの。それだけで考えてくれてるって前提が出来て一歩前進するんだから」
それが女の子全般の考えなのか、男であり親しい女子がいない貫之には分からない。
「だから、それはツッキーから誘ってあげて。私はひぃちゃんが行くなら行くから」
「それはいいけど……秋雪って、そんなに僕と古川をくっつけたいの?」
「……ひぃちゃん、あれで男子との付き合いすっごく悪いの」
わずかな間のあと、身をかがめて顔を近づけると小声で呟き、貫之は内心で驚いた。
あの茶髪に崩した格好に態度。それを踏まえて男子との付き合いが悪いとは信じられない。秋雪を親友とするのだから素行が悪すぎることはないとしても、男友達とカラオケや街に遊びに出かけるくらいは当然と思っていた。
「でももう中三だし、周りじゃ付き合う人もいるから機会があればくっつけたいなーって思ってたの。そこであの土下座で、これはもうくっつくしかないって確信したんだ」
「むしろ最悪じゃないかな」
「でも記憶には残るよね。ツッキーが嫌ならこれ以上は言わないけど……」
「構わんぞ。貫之は女の知り合いが少ないからな。そっちから話がくれば好都合じゃ」
と貫之ではなく貫之を親以上に知っている月筆乃命が肯定した。
「……付き合うかどうかは未来に置いておいて、仲良くは善処してみるよ」
「ひぃちゃんは見た目はアレでもすっごくいい子だから、落とした見返りは大きいよ」
「あたしがなんだって?」
ビクッ、と秋雪の体が震えた。貫之の視野には彼女の体で隠れてしまっていたが、少し身を引くと背後に予鈴ギリギリで登校してきた古川がいた。
「おはよう、ひぃちゃん」
「おはよ。で、なにゆゆと話してんのよ」
「そう突っかかるな。別に妾達がゆゆと話をしようといいではないか。なにもゆゆは有名人でひぃ子は秘書ではあるまい?」
「……は? ひぃ子?」
「貴様が妾のことをチビ神と呼ぶからな。その返しよ」
本を読みながらの月筆乃命の返しに、古川の顔は見る見る朱に染まる。
わなわなと体を震わし、これではまた昨日の繰り返しと貫之はすぐに例の策に乗り出した。
「古川、フミと喧嘩しても負けるだけだからそこは穏便にさ」
「だったらそのチビ神に黙れって言いなさいよ」
「まあまあ、フミは十五年も我慢してたんだから大目に、ね?」
両手を上下に振って宥めるような仕草をしつつ、古川に悟られないように視線は変えずに意識だけを胸に向ける。
キョウと古川の胸を比較すると確かに違いが現れている。古川の方が小さい。
「なによ。あたしのこと見て」
「あ、ああ、えっと……そうそう昨日何か奢れって言っただろ? 無料とまでは行かないけどホテル草間の高級バイキングの半額券があるんだ。これでとりあえず手打ちにしちゃだめかな」
その証拠の券を五枚見せる。すると朱に染まった古川の顔が元に戻りだした。
「半額? どうせなら無料券持って来なさいよ」
「昨日のうちに用意できたんだから勘弁してよ。それに半額でも中々手に入らないらしいしさ」
なにせ五千円の内の二千五百円を引いてくれるのだ。それを五枚。半額券とて簡単に手に入る物ではない。
佐一は横暴なくせして人脈だけは貫之の数倍は広いからこうした物も手に入り、依り代強奪の件を含めて累計十五の女性と交際をしている。性格こそ見習いたくはないが人脈の広げ方くらいは知りたいものだ。
「……あんたも来るの?」
「いや、僕は行かないからこの五枚は好きにしていいよ」
「え、ツッキー一緒に行かないの?」
貫之は愛想笑いで頷いて答えた。この状況で外出をすれば間違いなく神隠しに襲われる。なにせ神隠しは一方的に貫之たちを捕捉してシチコを知ったのだ。千里眼的な目を持っている可能性があるのに、慣れない場所に外出するのは鴨が葱を背負い、美味しく食べてくださいと看板を持って歩くのと同じだ。こればかりは月筆乃命の命令でも従わない。
「それで、古川のわだかまりはこれで解消していい?」
古川は貫之と手に持つ券を見比べ、予鈴が鳴ったところでため息を吐いた。
「いいわ。あとあたしも悪かった」
一応昨日話したことを気に留めていたようで、頭は下げなかったが謝罪の声はようやく聞けた。
「それじゃ和解も成立したことだし、これからもよろしく」
「よろしくって、これからも関わるつもりなわけ?」
「秋雪やフミはそのつもりだし、これで終わりだと何か寂しいしさ」
「まだフミちゃんを抱き上げる野望叶えてないもんね。あ、そろそろ教室に戻るね。ツッキー、フミちゃん、これからもよろしく」
秋雪はひらひらと貫之と月筆乃命に手を振ると教室を出て行き、すれ違いで担任が入ってきた。気づくと古川を除いて生徒全員が座っている。
古川は何も言わず、自分の席へと座って鞄を机に引っ掛けた。
第一段階の成果としては上々であろうと、貫之は自己評価をした。
「ただいまー」
「よう」
開けてビックリ、巨大カマキリのお出迎えだ。
「だからやめろってその登場の仕方」
それでも面白がってまたやるに違いない我が家の神の頭を鷲づかみ、無理に押して家へと入る。
「ハシラミはいつもそうやって驚かすの。今のは驚いたぞ」
「ギョッとするのがおもしれーからな」
ケラケラとハシラミは笑い、羽を広げて床へと跳び下りた。
「貫之帰ったのー? 神隠しに襲われなかった?」
「ただいまー。今日は人の多いところを通ってきたから大丈夫だったよ」
紗江子は居間でアイロン掛けをしていて、入ってきた貫之を一瞥して安堵の顔を見せる。
「しばらくは家で大人しくしてなさいね。受験生なんだしちょうどいいでしょ」
「分かってる。狙われてるの分かってて出かけたりしないよ。こっちは何もなかった?」
「それが大変だったわよ。天照庁とか防務省から連絡があってね。あんたの力がもし申告通りなら話を伺いたいとか。もう焦った焦った」
そんな大事なことをアイロンしながら言うことか、と貫之は鞄を肩から手に落としながら思った。天照庁はまだ分かるが防務省は即ち神衛隊からだ。なぜそこから話が来る。
「そ、それで?」
「まだ息子も分かってないのでお答えできませんって返しておいたわ。本当に防務省からなのかも疑わしいしね」
確かに。防務省と聞いて驚いたが、考えてみれば紗江子の返しは当然だった。電話なんてものは詐欺の定番の道具。それどころか最近では名刺の偽造も精巧だから信じないのは当たり前で、そもそも名刺を渡されても偽造かどうかも分からない。
今日は神隠しのことで心理系の噂は忘れられているものの、その蜜の甘さは噂でも濃厚だ。その電話の真偽はどうあれ力欲しさなのは間違いない。
「そういうのは無視していいよ。僕らの力は僕らのものだから」
「じゃな。国益や国防はその志がある者らでやれといいたい。中学生に何を望む」
それに貫之たちの力は接触しないと発揮をしない。国防に繋がる力なら遠くから効力を発揮しないといけないから、使えるけど使えないのが使い方も知らないながら使った結果をある程度知った評価である。
おやつとしてシュークリームを貰い、それを月筆乃命と分けながら部屋に戻って普段着へと着替える。
「これもまた旨い。これを大量に作っているのだから人間の力はすごいな。わずか半世紀前まではこれすらも手に入れるのは大変と聞いてたのに」
「まだ肝心の肉まんは食べてないけど」
「神隠しが捕まった暁に祝いとして買っておくれ」
「いいよ。でもバイキングは良かったの? 美味しいの食べ放題なのに」
「これも策の内よ。ただ一人ないし二人分を渡すだけではこの場限りと思うだろ? しかし五人分と渡せば何度もいけるし、他の友人も誘ってその輪は広がる。要求して翌日に応えれば、いくら自分が被害者と勘違いしても気持ちに変化は起きるはずじゃ」
そううまくいくかは古川しか分からない。同性とはいえ顕現数日にして万年筆の神が恋愛策を出してもどこか不安が残る。
「それにいくら美味い物でも大勢に見られる中で食べるのは嫌だしの」
「そうなの? いつも顕現してるから見られるのは平気かと思った」
「妾とて羞恥心くらいある。食べる口なんて親しいもの以外見せたくないよ」
特に女性は大口で物を食べることや、頬いっぱいに食べ物を入れることがない。それは女性としての品格を落とすからで、月筆乃命も同性と同じ感覚を持っているようだ。
鞄の中身を机の上に置き、さらに返して借りた文庫本を床に置く。月筆乃命は肩から畳へと跳び下りると、積み重ねた本の一冊を手にとって読み始めた。
読む速さは貫之の軽く三十倍を越している。ページを捲るのが二秒以下なのだから、彼女の目にはどう映っているのが見当もつかない。速さ自慢で読めてもないのにそうしているのかと思えば違い、目は小刻みに動いているし内容もちゃんと言えてオチも答えているから頭にはちゃんと入っているらしい。
速読と言う技術があると耳にはしてもそれを習得するのは貫之には無理だ。
「そう言えば、味覚は我慢できるのに本は貪欲なんだな」
ふとその矛盾に気づいて呟くも、月筆乃命はあっさりと返す。
「知識が欲しいのは当たり前じゃ。味覚はいつ知ってもうまいが、知識は後に知る方が恥というものよ。十代で知ることと六十代で知るでは羞恥の違いは明らかであろう?」
それは確かに言える。年代だけでなく、みんなが知っていて一人だけ知らなくてもそれは恥ずかしいことだ。
「ならその知識を借りるけど、神隠しのことは何か考えてたりする?」
「考えてない。と言いたいが、時間稼ぎ程度は考えとるよ」
「え、それだけ?」
「それ以上は警察の仕事だからな。力の有無や強弱だけで悪者退治をするのは浅薄な感情論じゃ。そういうのは歴とした資格を持った警察がしなければ犯罪者に成り下がってしまう」
「浅薄な感情論?」
「熟考も一考もせずに感情だけで動く論理のことよ。衝動的というべきだが、妾は前者の方が身にしみると思う」
それに、と付け加え、貫之に人差し指を向けた。
「貴様は自分の力のくせに使えてないではないか。あれだけ甘くして見せてやっても気づかないのに、どうやって奴を倒すんじゃ?」
思いもよらぬ説教の始まりに、貫之は月筆乃命の正面に向くように椅子を回す。
月筆乃命の言うとおり、貫之は多くの情報を善意か偶然によって神通力の終始を見せてもらっておきながら、いまだ自力での発現には成功していない。
しかし月筆乃命が見せてくれたことで発現の動作は大方分かっているつもりだ。
結果から言えば、万年筆の力を付加した手を対象物に当てることで任意の事象が発現できる。例えれば月筆乃命の大人化。あれは大人になる力を手に宿らせ、それを自分自身に当てることで『自身を大人にする』を発現させた。ではどうやって手に力を宿すのか。答えは一つ、万年筆で手に何かを書けばいい。
万年筆と手の間で力の伝達をするにはそれしか存在しないからだ。
しかし発現はしなかった。三回だけ使える是非回答の内の二回目で、ここまでの推理は正しいかを聞くと是と答えたのでここまでは合っている。なのに発現しないということは、あと一つないし二つが抜けているのだ。
「よいか、シチコは全てに於いて貴様がいなければ存在できない。貴様なしでは万年筆が依り代になることもなければ、妾も神通力も生まれない。ゆえに妾は月宮貫之を愛して全幅の信頼を寄せておる。神通力のイロハを教えないのは試練でも強力だからでもない。自分の想いで生まれたからこそ自分で気づいて欲しいから教えないんじゃ。よいか、シチコは貴様と不断の鎖で繋がっている。神通力だけ貴様とは関係ないことは絶対にない」
「……はい。ごめんなさい」
「それにな、仮に神隠しを倒してしまうとただでさえ噂で大変なのに、真実になれば行政や暴力団が勧誘に来て瞬く間に戦国時代に突入よ。改めて聞くが、貴様の中にある浅はかな正義感と、今後維持したい平穏、どちらを取る?」
力は使い方次第で二つの結果に至る。力と言葉は一つでも、終わりは常に対極だ。
「それはもちろん平穏……です」
「神隠しより強い力を持って、関わったから何とかしたい気持ちは分からなくもない。しかし資格まで持ったと錯覚しては返り討ちにあうぞ。だからゆゆらとの食事も断ったではないか」
「…………フミ」
「なんじゃ?」
「神隠しより力が強いって認めるんだ」
月筆乃命の目が点になった。
「気にするところはそこかいな。言ったろ、隠すつもりはないと。ああ、妾の見立てでも神隠しの神より力は強いはずじゃ」
月筆乃命は立ち上がると机に置いた万年筆を両手で持ち上げる。
「だが妾は優劣や強弱、希少に夥多と区別するのは大嫌いじゃ。そんな小さなことに囚われて己のシチコをないがしろにしてしまうのはまだ子供の証拠よ」
「でも人は区別をして向上心を煽るって言うから、一切を否定するのはどうかな」
「成長する動機にするならまだいい。妾が嫌いなのは、自分と他人を見比べて自分より他人を欲しがることじゃ。ほれ、隣の芝生は青いと適切なことわざがあるではないか」
まさに神隠しがそのことわざを体現している。自分のシチコで他人のシチコを奪うのは、他人の方が優秀で欲しいから。これは月筆乃命の考えとは対極だから生涯相容れないだろう。
「だからこそ神隠しの神が哀れでならない。自分の力で神隠しがより欲しい力を奪うのだから心境は複雑だと思う」
万年筆の後部を貫之に向けて差し出し、受け取る。
「だけど神隠しの神様は協力してる。矛盾に矛盾を重ねて訳わからないよ」
「……お前は、お前だけは妾だけを見ておくれよ? でないと泣くぞ」
「はは、フミが泣くところは見てみたいけどそれはありえないよ。目移りするくらいなら依巫になんてなれないって」
「ならさっさと使い方に気づいてくれ」
結局そこにいくのかと貫之は苦笑するのだった。
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