三日目 「謎」



 十月十一日は雨の神が活発なのか午後から雨で、その早朝は曇りであった。



「一週間は掛かると思ったがあっという間に読破してしまったな」



 天気予報は雨でも本当に降るかは分からず見上げる貫之の横で、不満顔の月筆乃命が愚痴をこぼした。



「読むの速すぎ。五冊を一日って」


「初めての読書だからもう少し掛かると思ったのだがな。やはり文字を司る神だけあってか得意だったの。自分でも驚きじゃ」


 万年筆の化身は己を自賛する。


「顕現するまで自分が分からないって何か変だな」


「何しろ一切の言動が出来んし、客観的に顕現時の体すらも見れないしな。そもそもこの体を初めて見たのも昨日じゃ」



 貫之自身が心の内で客観的な自分自身を知れないのと同じだ。例えば自分はなにが得意なのか、実際に体験しなければ知ることが出来ない。それと同じで、月筆乃命は顕現するまで速読が出来るのかも分からなかったのだ。



「……そっか。じゃあ文庫本なら十冊は借りよっか」


「ありがと」



 結局、佐一の処遇は比較的穏便な形で幕を下ろした。


 憲明は親として、子が犯してしまった罪の償いで勘当を出した。大学に入ってから遊びほうけ、弟の貫之に威張り続けただけでなく、念願の脈が起きるとそれを盗み、あまつさえ階段から突き落としたのだ。それだけで強盗に殺人未遂とテレビ報道されてもおかしくない罪状があるのに、勘当だけで済ませたのは親心だろう。


 しかし被害届を出す権利がある貫之がそれを棄却した。理由は全てが明るみになった以上、もう佐一は略取を続けられないし、今までの鬱憤は明るみになったことによる佐一の青ざめた顔を見て満足したのがあった。もちろんお咎めなしにはせず、今まで借りたまま返さなかった物全てと、利息及び慰謝料込みで三十万円を支払うこととなった。しかも金銭のほうは猶予が一ヶ月と短く、破った場合は月筆乃命とハシラミのお仕置きとあって逃げられもしない。


 今まで貫之が嘗めてきた辛酸と比べればまだ軽いと月筆乃命は文句をたれるが、次のこともあって満足していた。


 それは一体どうやって一ヶ月で三十万を稼ぐかである。高校時代はバイトをせず、大学から始めても預金をしていないらしいからさぞ大変だろう。中学生の貫之でも一ヶ月でそれだけ稼ぐのは大変だと分かる。ちなみに返金額が三倍になったのと一ヶ月の猶予は月筆乃命の決定である。よって法に訴える最後の逃げ道もすでに用意されていない。



「今日はすまんが授業が始まる前に図書室によって借りてもらえんか? 授業中はそれで静かにしとるから」


「いいよ。あ、授業中図書室に篭るってのは?」


「お前と離れて本を読んでも寂しさしかないわ。側で読むから安心できるんよ」



 そんなことを言われ、急に恥ずかしさから来る熱がこみ上げてきた。今まで堂々とそこまで必要とされる台詞を聞いたことが無かったから精神的に慣れていないのだ。



「貴様とて万年筆が管理も出来ない遠いところに行ってはさびしいであろう?」



 一昨日の事件の感情が思い返される。同じ家にあると予想してもまったく見当たらないことへの喪失感は過去最大であった。



「ごめん」


「いいよ。ただ一度くらいは探検するのも悪くはない。依り代から離れてどこまで行けるのか知っておくべきか」


「他の人に迷惑はかけないようにね?」


「なに、一度だけ距離を測るだけよ。妾としても貴様からは離れたくないからな」



 会話だけを聞けば惚気以外にない。



「あと残るのは神通力だけか」


「そんなに知りたいのか?」


「フミと会いたかったくらいに知りたいよ」



 世界的にも曖昧ではなく確実に存在する異能の力が手中にあるのだ。おべっかを使わなければ誰もが知りたいと思う。


「どんな力かは己で判断するんじゃな。自分の力くらい自分で把握しろ」


 突き放す言葉だった。神通力の内容は、持ち主である神は知っても依巫が自動的に知ることは少ない。そのため教わる必要があるのだが月筆乃命はそれをするつもりがさらさらないらしい。確かに力はすでに依り代に備わっているから、無知であっても偶然知っていくこともある。


 だが教えてもらうよりははるかに遅くなる。試行錯誤をしなければならないし、失敗による損失も大きいことだってあるはずだ。


「教えてもらうより、自ら手にした方が自分のものになりやすいしの」



 貫之の考えと月筆乃命の考えは対極であり、しかしどちらとも間違いとは言えない。早く大きな失敗をしないで未熟なり全容を知るか、遅く大きな失敗をしても内容に精通なるか。



「がんばってみるけどどうしても行き詰ったら遠まわしでもいいからヒント頂戴」


 男として情けない返しなのは百も承知だ。月筆乃命の言い分は分かった上で貫之も自分の言い分を押し付けたくてそうなり、即座に返さない神の言葉を待つ。


「……では三回だけ援助をしようか。三回だけ質問に対して是非を答えてやるから内容はよく考えるんだな。四回目はなにがあってもせんぞ」


「ありがとう。助かるよ」



 今のところのヒントは万年筆とアレだけ。そこからどうやって一切不明の内容を知りえるかは熟考が必要だが、一回目はアレしか思い浮かばない。



「じゃあさっそく最初の一回目。僕の腕を治したのはフミの神通力?」


「む……やらしいところに目をつけるな」



 いま貫之が手にしているアレの真相だ。絶対に一晩で治らないはずの腕が治るのならばそれは神通力しかない。昨日ははぐらかされたためそれが分かれば大きく前進できる。



「正解じゃ。あれは妾の神通力よ」


 やはり貫之の予想は的中した。


「万年筆から治癒……」


 この二つから連想するならば、月筆乃命の神通力は『文字の実現』だろう。治癒ないしそれを意味するなにかを書くことで実現する。ならば万年筆の力としては通じる。


 しかし……。



「使い方を試すにしても人目の付かない家の中でな」



 それは推奨ではなく義務であり絶対と貫之は心に深く刻んだ。


 もし、いま貫之が立てた仮説が真実であるなら、人前に晒した瞬間に大変なことになるからだ。親にだってなるべくなら秘密にしたほうがいいし、佐一はもってのほかだ。


 その仮説に気づいた瞬間、貫之は血の気が下がるのを全身で実感し、つい胸ポケットにさしている万年筆に触れた。すでに顕現をしたことで前兆である脈は無くなっていた。




「おはよう。ツッキー、フミちゃん」


 いつも通りの時間に昇降口に入り、運動靴を脱いだところで廊下側から声が掛かった。


「ゆゆ、おはよう」


 先に挨拶をするのは月筆乃命で、上履きに履き替えた貫之も向くとそこには昨日初めて知り合った秋雪がいた。服装はジャージである。



「秋雪……おはよう」


「朝からもうジャージ?」


「二時間目体育だからそのまま着てきちゃった。大丈夫、終わったら制服に着替えるから」



 そんな心配はしていない。



「……フミちゃん、抱きかかえちゃだめ?」


「嫌だ。誰であっても貫之以外に触れられるのはごめんじゃ」


「ツッキーいいなー。フミちゃんを好きなときに抱きしめられて」


「世界で一番心地が良いぞ」


「いいないいなー」


「ごめん、予鈴が鳴る前に図書室に行きたいから行っていい?」



 月筆乃命を見つめながら自分の願望をそのまま表現する秋雪に、貫之は少々推されながら図書室のほうを指差す。



「本、借りっぱなしだったの?」


「その逆よ。一日で読み終えてしまったから新たに借りるんじゃ」


「フミちゃんって読書家なんだ」


「一日で五冊も読めるならそうだと思うよ」


「…………絵本?」



 一日五冊の言葉からとんでもない解釈を秋雪はしてしまった。



「そんなわけがあるか」


 案の定、子ども扱いをされて月筆乃命は不機嫌になる。同時に支えである耳が強く引っ張られて痛んだ。


「挿絵もない純粋な文学本じゃ。人間年齢で十五歳である妾がなぜ絵本を読まねばならん」


「あ、ごめんなさい」



 さすがに侮辱であることに気づいた秋雪はすぐに非を認めて頭を下げた。


「漫画ならまだ分かる。漫画は立派な日本文化だからな。だが絵本は聞き捨てならん。なぜ中学の図書室に絵本がある。なんで幼児の育みを助長する絵本をわざわざ妾が読まねばならん」


 神の自尊心が傷つけられたと言うよりは、十五歳の自尊心を傷つけられたからの怒りだろう。貫之とて絵本を借りたのかと言われれば何でと腹が立つ。



「ごめんなさい。つい思ったことを言いました」


 最初は頭だけだったのが、今度は腰から曲げて謝罪をする。


「相手のことをどう思うかはいい。心まで規制など掛けられんからな。だが口に出した後のことは真剣に考えろ。相手にどんな心境にさせて、どう自分に返って来るかをな」


「はい……すみませんでした」



 正論だけあって秋雪は頭を下げるばかりだ。貫之は手助けを入れようかと考えるが気の利いた言葉が思い浮かばない。



「ではこの話は以上じゃ。すまなかったな、朝っぱらから怒ってしまって。ゆゆのことだから反省して今後は気をつけるじゃろ」


 雰囲気だけで相手を威圧するほどだったのか、電気を消すかのように瞬間的に普段の雰囲気へと戻った。


「え……あ、うん。ごめんなさい」


「もう謝らずともよいよ、許す。では図書室に行ってよいか?」


 本の選別は作者さえ別であれば選り好みをしないから手早く済ませる。それでも移動時間を考えるともう動かないと予鈴が鳴ってしまう。



「ちょっと、なにゆゆを苛めてんのよ!」



 一難去ってまた一難のことわざがぴったり当てはまる状況になったのを、貫之は悩んだ。


 考えてみれば親友と思える間柄なのだから、付きっ切りとまでは行かずとも側にいる可能性は高いはずだったのだ。登下校では一緒に動くのは基本中の基本。古川が側にいないはずがなかった。



「今日はなんかゆゆが先に出たって聞いて何でと思ったら……てめぇ、人前でゆゆを苛めてそんなに楽しいの!?」


「古川、とりあえず話はするから図書室に行っていい? あと僕は何もしてないんだけど」


「神の責任はあんたの罪だろ」


「そもそも責任自体こちら側にはないんだがな」



 そんな説明をしたところで聞く可能性はまずない。


「ひぃちゃん、なんでもないよ。私が不謹慎なことを言っちゃったのが原因だから」


「ゆゆは黙ってて。どうせチビ神の独裁で反論できないのをいいことに言いたい放題言われたんでしょ」


 正論部分を無視すればあながち間違っていない。


「……古川よ、貴様は一部始終を見たのか?」


「見てないけど分かるわ」


「つまり己の価値観で言っているだけだろ。文句があるなら全容を把握してから出直せ」



 一触即発の雰囲気が大衆の視線を受けつつ広がっていく。


 お互いに妥協して噛み付かなければそれで済む話が、お互いにプライドが高いがために簡単な手を考えない。


「フミ、話はあとでいいんじゃない?」


「それは向こうに言え。突っかかってきたのはあっちよ。妾が引いてどうする」


「……古川、僕らは逃げも隠れもしないというか、同じ教室なんだし逃げ場ないんだから取りあえずこの場は終わらせない? 僕ら予鈴が鳴る前にやりたい用事があるし」


「あ? ゆゆ悲しませといて逃がすと思ってんの!?」


「いやだから、どうせあとで顔合わせ……」


「そうやってうやむやにする気だろ」



 だめだこりゃ。完璧に自分の正義感を優先して、この場で決着をつけない限り引き下がらない気だ。


 図書室に行くのはもう諦めよう。


「分かったよ。じゃあ好きなだけやってくれ」


 言うだけ無駄と分かって匙を投げる。


「でもフミを怒らすと後悔するから気をつけた方がいいぞ」


 神でもあるし、その性格から考えると友としても容赦が無さそうだ。


「ふん、人形神が全部やったようにして責任逃れをするってわけね」


 大抵頭に血が上った人はどうしても相手の逆鱗に触れてしまいがちだ。


 ぎゅっと貫之の耳を掴む力が強まった。



「よぅし、言い出したのは貴様じゃ。覚悟は出来とるんだろうな」



「ひぃちゃん、今のはだめだよ」


 秋雪も逆鱗に触れたと気づいて口を出すが古川は聞かない。


「顕現したばっかで図々しいのよ。神だからってこっちが下がる必要なんてないわ」


 肩が急に軽くなった。首を下に向けると風を受けて袴の裾が広がりながら落ちる月筆乃命が見え、背丈の何倍もの高さから落ちても転ぶことなく見事な着地を決めた。


 月筆乃命は服装こそ立派で足袋も履いているが草履はない。衝撃が足に直撃して大丈夫だろうか、と心配を蹴散らすようにスタスタと古川のほうへと歩き出した。


 無言で佇む数十人の視線がゆっくりと小さき神を追う。



「な、なによ」


「昨日言ったよの。妾を人形と称すなと」


「だ、誰が見たってあんたは人形以外見えないわよ!」


 怖気ついたか古川の声が裏返る。だから言ったのだ。怒らすと怖いと。


 まして禁句指定にしていた言葉を自覚しつつ言えば謝罪も通じまい。


 月筆乃命はゆっくりと三メートル弱の距離を小さな歩幅でつめていくが、古川は神の威圧にアテられたのか一歩たりと動かない。


 静寂な数秒が流れ、古川の足元についた月筆乃命は、何を狙ってか右手で古川の左の脛を叩いた。人をふっ飛ばしそうな音も結果も出さない。軽くしっぺをするくらいのものだ。


 それが人形と言われて怒った月筆乃命の仕置きなのだろうか。佐一に向かって大音量の咆哮は人が多いからするとは思えないが、それにしては軽すぎる。



 もしかして神通力――



「申し訳ありませんでした」


 学校に来る時に立てた仮説を思い出すと、古川はその場で上履きを脱いで横に揃えて土下座をした。タイルの上に膝と両手をつけ、地面すれすれにまで顔を下げる本格的な作法のであった。



「重ね重ねの暴言、この場をお借りして謹んでお詫び申し上げます」


「意固地になったところで負い目がある方が負けるに決まっとろうが。さっさと謝ればこんな大衆に醜態を晒さずに済んだのにの。そんな態度が日本大災害を引き起こすんじゃ」


「はい。申し訳ありません」



 古川はその茶色い長髪が地面に垂れても構わず顔を下に向けたまま動かさない。周囲からどよめきが出始め、そこで月筆乃命は踵を返した。



「頭、上げていいぞ」


「ひぃちゃん……?」


 秋雪は古川の背に手を当てて聞くと、地面に向けていた顔を上げた。


「どうしたの急に土下座なんてして」


「いや……あれ? なんか謝らなきゃって思って……でもなんで?」



 相手を操る神通力。即ち心理系に属する力だ。とするなら最低でも、『治癒』と『心理』の力を万年筆は有していることになる。



「おい、持ち上げておくれ」


 気づくと月筆乃命は足元にまで来ていた。万歳の姿勢で構え、貫之は胴体をつかんで定位置になりつつある左肩へと乗せる。その間に古川も立ち上がった。


 古川は困惑した表情のまま、火が消えたみたいに呆然とする。


「……フミちゃん、今のって神通力?」


「公衆の面前で言えるわけなかろう。肯定も否定もせん。お前らで勝手に決めてくれ」



 なんとも投げやりな言い方だ。とはいえ肯定すると面倒だし、否定しても嘘だったらこれまた面倒だからその言い方は間違っていない。


 秋雪は貫之を見たが、まだ知らないことだから肩をすくめて逃げた。


 結局朝のうちに図書室に行くことは出来なかった。





 およそ二千万あるシチコの中で、欲しい力の系統を挙げれば間違いなく心理系である。


 手早く言えば催眠術の強力版で、個人ないし複数に向かって任意に心を操ることが出来る。相手の本音が自在に分かり、逆に相手が思っていない考えを植えつけることも出来る。真偽がはっきりと出来れば黙秘権が不要となり、人権に関わるが冤罪が発生しない利点があるが、弁護士の立場が低くなる点も少なからずあるが。


 しかし最強級が悪に走れば社会秩序は崩壊する。当然だ。日本全土を覆う道徳が破壊され、教育によって育んできた様々な概念も書き換えられてはまともな社会なんて保てない。歴史上では大規模テロが幾度か起こり、例を挙げると東京多摩地方のある市の住人全員が記憶喪失状態となって大混乱したことがある。その際は『神通力を無力化する神通力』を所有していた警察官の手によって二日間で終わった。



 次いで人気が高いのが治癒系だ。



 その言葉通り対象の怪我や病気を治す神通力。その手順や規模は個々によるが、最強級では未だ人類が医学や技術で治療できない怪我や病気を瞬時に治してしまう。


 当然ながら医療には金が絡む。そんな力があれば不治の病や障害を持った金持ちが真っ先に飛んで来て治してくれと言って大金を置いていく。その金や力を求めて人々が殺到し、暴力団やテロリストが来て、人を幸せにするはずの力が依巫を含めて周囲を不幸へと導いてしまう。実証として神経を健全な状態に無傷で治せる力が現れると、世界中から外人が来日して治してほしいと大騒ぎになった。末には拉致未遂まであって隔離保護をするハメにもなったほどである。


 そして心理系、治癒系に限らず、人が神通力を使うことは神霊法第五条によって規制の一切が掛からない。これは憲法零条に関わるためであり、そのため使うのは合法だが報酬を受け取ると違法となった。


 そんな幸か不幸か断言できない力が一本の万年筆に宿ってしまったかもしれない。かもしれないのははっきりとしないからだが、治癒は神通力と神自身が認めているし、心理は古川の言動を見ればまず間違いなかろう。


 ゆえにこうなる。



「月宮、今日一緒に帰らないか? なんか食ってこうぜ」


「面白いゲーム買ったから家に来いよ」


「おい、俺が先に声を掛けてるんだぞ」


「うっせ!」



 まるで大人気芸能人が突然転校してきたような状況だ。


 月筆乃命が熟考をしてかは知らないが、人前で神通力を示唆する行動をしたことによって、移動時間になると真相を確かめに近寄ってくる生徒が相次いだ。友達から一度として話をしたこともない下級生を含めて数十人はいるだろうか。


 神通力を使ってくれなんて直球を言う馬鹿はいない。でもさり気なく頼みごとをして使わせようと言う腹が見え見えで、そこで月筆乃命の警告。



「なんだか全裸のタコ踊りが見たくなったな。それとも殺し合いをさせるのも面白そうじゃ」



 噂に尾びれがつき始めているとはいえ、まだ広がりつつある情報は事実のままだ。怒り心頭の人を強制的に土下座させられるだけの力がある心理系ならば、全裸にしてタコ踊りをさせることは不可能とは言いがたい。


 後半は明らかに嘘っぱちだとしても貫之以外の人は過去の例もあって信じる。


 途端、小さな悲鳴を響き渡らせながら生徒たちは逃げ去り、静寂が訪れた。



「少し考えが甘かったかの。まさかここまで群がるとは思いもしなかった。これは困ったぞ」


「それは僕の台詞だ。あの言葉を聞いて怒ったとしても人前でやるべきじゃなかったろ」


「小さいやチビは許せるがあれだけは許せん」


「おかげでこれからの生活大変だよ。絶対に家に押しかけてくる人出るよ。ご近所付き合いも大変になるよきっと」



 ここで厄介なのが信頼関係を攻撃してくることだ。常に拒み続けていると、その間柄に対して脅迫に似た近寄りをしてきて勝手に軋轢が生まれてくる。友達に限らずご近所同士でも同じことだ。月宮家は持ち家だから関係が崩壊したからと言って引っ越すわけにも行かない。貫之が家を離れれば収まるとしてもまだ中三だ。あと三年以上は家にいる。



「迷惑をかける責任は取るよ」


「噂が広まったら多分父さんたちも僕らを見る目が変わるぞ。全員を忘れさせることって出来ないの?」


「出来たとしてもいずれまた洩れるぞ。秘密と言うのは存在する時点で隠しきれんからな」



 どんな機密も存在すれば当人の意図しないところから露呈してしまうところがある。どれだけ気をつけていても、一切言わず使わない選択肢をしない限りは不可能だ。



「なに、妾が悪役をすれば済む話よ。すぐに吼えて噛み付く番犬になれば力目当てに近づく者もおるまいて」


 ただの番犬は噛み付けば飼い主を非難できる。しかし神であれば噛み殺したとしても自業自得で非難はされない。実際に殺さなくとも、恐怖を植えつけられれば安易に近づくことはなかろう。


「でもそれだとフミが嫌われ者になるよ?」


「気にするな。周りにどんな評価をされても貴様さえ妾を大事にしてくれればどうでもよい」


 とことん依存する宣言をして、机に置く左腕を椅子代わりに腰を下ろした。



 貫之は背中を無防備にさらす月筆乃命の頭を指で撫でる。


 撫でて周りを見渡す。まだ土下座の真相がはっきりとしていないため、知りたいと貫之たちを意識する男女は多い。その当事者である古川も女子たちの取調べを受けていて、げんなりしてうつ伏せてしまっていた。数十人もいる中で無理矢理土下座をさせられれば消えたいくらいに恥ずかしいだろう。禁句である『人形』を意図的に言ったのだから自業自得だが、あの辱めを想像すると同情してしまう。放課後ならまだしも朝なら逃げ場もない。


 古川が顔を上げて貫之のほうに向けると目を真っ赤にしながら睨みつけてきた。噛み締める歯が見えて、この状況でどうやって仲良くなれと言うのだ。


 しかも、あまり話さない人が近づいてくると間違いなく心理系の力が目当てだから知り合いを十人増やす目的も達成できないし、まだ秘密のままである治癒系まで知られればどんなふざけた提言が出るか恐れるばかりだ。



 きっとこの流れが学生四十三人を虐殺した天災に繋がったのだ。


 どうすれば穏便に落ち着くことが出来るのかを考えると、やはり一番は放置だろう。災害然り、芸能人の騒動然り、大きな問題が起きてもその後さらに追加騒動を起こさなければ風化していずれ忘れていく。


 問題は風化しかかったところに新たに見せて再点火させてしまうことだ。月筆乃命には沸点を著しく低くさせる『人形』の言葉がある。仕置き覚悟でその言葉を出せば再点火するだろう。そうするといつまで経っても風化しない。


 そもそもどうして人形の言葉が嫌いなのだ。褒め言葉として「お人形みたいにかわいいね」と定型文があるのに怒り、その逆にチビや小さいは許してしまう。


 聞けば早いのだが、直感的に怒るかはぐらかす考えが浮かんでやめた。



「フミ、一度依り代に戻ったらどう? 僕は力のことまだ知らないから教えようもないし」


 眉を吊り上げ、眉間にしわが出来ている。ほほも引きつっていることから堪忍袋は限界まで膨れ上がっているはずだ。だからその予防策として貫之は提案する。



「それでは逃げたことになるではないか。そんな弱腰は神として見せたくはないし威嚇もできん」


 人形の言葉で憤激するのに弱腰云々を語る資格があるのか疑問である。


「そう意固地にならずにさ。僕のためと思って、ね?」


 会話だけを聞くと本当に恋人同士にしか聞こえず、頭の中がむずかゆくなる。


 顕現前では友人程度の会話をするのだろうと思ったのに、異性の神が生まれた途端に崩壊してしまった。むしろ同性でこんな会話をすれば気持ち悪い。



「……分かった。依り代に戻るよ」


 見聞を広めたい月筆乃命にとっては苦渋の選択だ。蓋を取らなければ外を見ることが出来ない都合上、出来れば貫之には万年筆を常に使って欲しいがそうも行かない。かといって使わず、ただ蓋を取るだけだとインクが乾いて道具としての真価が発揮できない。


 それでも月筆乃命は先のことを考えて了承してくれて、腕に座る小さき神は瞬きをした瞬間に消えた。


 依り代に戻っただけだというのに、ほんのわずか心の一部が欠ける印象を覚える。


 依り代に戻っている間、脈が起こる以前と同じように意思の疎通は不可能だ。例えれば依り代側は送受信のうちの受信しか機能せず、依巫側は送信しか働かないようなものだ。


 だから寂しさを覚えてしまう。昨日顕現したばかりだと言うのに現金と自分で自分を自嘲するが、その気持ちの制御を新米依巫である貫之はまだ知らない。



 鐘が鳴り、この時間の緊張がようやく緩んだ。

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